十二



「主、間に合ったか。こちらはもう片づいた」
 そう言って食堂に入ってきたのはあのとき現れた男性である。それに乗じて彼女が呼んだ人たち――話を聞くに人ではないみたいだけれど――が中に入ってくる。あの陸奥守と呼ばれた青年も笑って海野さんのそばに寄ってくる。
「館長、文豪さん、もう大丈夫やき、安心しとうせ」
「ああ、そうか、ありがとう。どうなるかと思った」
 そう大きくため息をついた館長は、さて仕切り直しだな、と笑った。その言葉に、彼らは目を合わせた。ただ、それを陸奥守と呼ばれた青年が止めるように口を開く。
「おん、そうじゃな、それがいい」
「――無理を言わせてしまったか?」
 館長の言葉に陸奥守はいやと首を左右に振った。もう落ち着いたのだろう舘乃木君が不思議そうにこんのすけを見る。
「そういえば、今日で良かったみたいなこと言ってましたけど、何かあったんですか?」
「アホやなぁ。海野さんが普段はこの時間おらんからやろ」
 織田作さんがそう言って酒を飲む。こんのすけは「いえ」と首を振った。
「本当に今日で運が良かった」
「どういう意味だ?」
「こんちゃん、言わないで」
 小さな子の頭を撫でていた海野さんがそう言ってこんのすけを見下ろす。藤村先生がまた訪ねた。
「今日で良かったってどういうこと?」
「主様は明日よりいなくなります。代わりの者を手配するまで時間がかかります故」
 こんのすけの言葉に僕らは言葉を失った。どういうことだ、といったのは館長と佐藤先生である。海野さんがこんちゃん、ともう一度制した。今度はキツネの代わりに陸奥守と呼ばれた青年が答えた。
「主は明日から此処にはこやん」
「主様は明日で二十一歳の誕生日を迎えられます。ソレは我らにとって大切な日なのです」
 ぱたん、と尻尾をならす。
「我らは七の節目がございます」
「七の節目?」
 菊池先生がキツネに尋ねる。キツネは「ええ、そうですね」とただ肯定した。
「子供が七歳になると真に人となるのとは逆で、我らは七の節目に完全に人の世とは切り離されるのです。主様は明日で丁度就任して七年目を迎えられます」
 開いた口が塞がらないとはこのことかもしれない。僕らが唖然としている中、按司君が口を開く。
「それがそいつの両親や家族が失踪してた絡繰りか」
「主様からお聞きになられていましたか。はい、その通りでございます。主様の母君も、兄君も皆七年の節目を迎え――人の世から切り離された先で歴史を守っておられます」
「――どうして人の世から切り離される必要がある?」
「主様の使役する物は人ではございません。位が低いとは言え、神と呼ばれる物なのでございます。その為も理由に含まれるでしょう」
 キツネは淡々と当たり前であるかのようにそう告げる。でも、それは当たり前ではない。佐藤先生が海野さんに目を向けた。
「遼はそれでいいのか?」
 その問いに、海野さんは少し目を泳がせて――うなずいた。
「はい、昔より決まっている運命ですから」
 そんなことは嘘だろう。それはきっと、そばにいた佐藤先生達の方が見抜いている。
「嘘だ」
「いえ、嘘ではございません」
 やけにはっきりした声で彼女は告げる。
「もう覚悟は決めてます。どうして七年の節目ぎりぎりの私が選ばれたのかはわかりません。こうなるのなら、もっと若い子を連れてきたら良かったのに」
 彼女の言葉に、佐藤先生が黙る。目を少しつり上げた彼に、海野さんは目を伏せた。
「私は確かにいなくなる。貴方達とは会えなくなる。しかし、この国を守ることができる。貴方達がいきる今を守ることができる」
 その言葉に、佐藤先生はひゅっと息を飲んだ。それは佐藤先生だけじゃない。そこにいた何人かの文豪が息を止めた。そんなことを気にしていない海野さんは言葉を続ける。
「私はこの国の為に、貴方達のために、あそこへいく」
 彼女はまっすぐにそう告げた。しかし、その言葉は、彼らの何かを抉ったらしい。佐藤先生は大きく手を振り上げる。このままでは海野さんが殴られる、と思ったが、思いとどまったようにそれは緩やかに彼女の肩に置かれた。何処か泣きそうな彼は、何かを葛藤しているようだった。今まで黙って見ていた騒動を見ていた牧水先生が彼女を見る。
「遼がいく必要が本当にあるのか?」
「家族はみんな行きました。私も行くべきでしょう」
 次に菊池先生が問いかける。
「遼の必要はないだろう?」
「そうかもしれません。しかし、審神者は皆そうです」
 森先生がキツネと彼女を見比べる。
「辞められないのか、その審神者とやらを」
「辞められません。審神者として生きるのは、私の生まれた意味であり使命であり義務なんです」
 一問一答だ。彼女が答えるたびにどんどん俯いていく佐藤先生に、彼女は首を傾げる。
「どうして貴方達は私を止めたいんですか」
「俺は昔、何人も何百もお前のような奴を見た。いや、俺だけじゃない。俺と同じ時代を生きた数人はソレを見ているだろう」
「門弟ですか?」
「門弟もいたさ、俺は笑顔で見送った。それがどうなるかわかっていても、国の為だと言って詩や小説で湛えたこともある」
 そこでようやく、彼の行動の意図がわかった。わかってしまった。僕らは直接的な覚えはない。何故ならそれは遠い昔ではないけれども、昔の話でありほとんど関わりがない話だからだ。その話に対する僕らの感覚がまるで本を読むような感覚、フィクションのような感覚であるのに対し彼らにとってはそれは違う。当事者、といえばいいのか。彼らは確かにきちんと記憶があるのだろう。海野さんは首をかしげる。
「ならば、どうして止めるのですか。その時のように、見送ってくれればいいじゃないですか」
「昔の記憶がなければそうしただろうな。俺たちを守るために戦場へ赴く勇気あるアンタを讃え、アンタを笑顔で見送る。でも、それは後悔を生むだけだと俺は学んだ。俺はもう後悔したくない」
 そこで彼は言葉を区切る。そして、彼女を見た。ポロポロと彼の*に涙が溢れる。
「戦場と呼ばれる場所に、お前を送りたくなんかない」
 だから、行くな。
 そう言った彼に、僕らはなにも言えない。その時代を生きていないのだから、その時代を生きた人がどう感じていたかなんてわかりもしない。ただ、確かに記録としてそれは存在し、繰り返すようにもう二度と起きてはならないと教えられたことだけは確かだ。彼女は驚いたように少し目を見開いて、どうして、ともう一度告げる。
「どうして貴方が泣くんですか」
「どうしてだろうな。それほどまでにお前を行かせたくないのかもしれない」
 彼女がチカチカと点滅するように透けたり、現れたりする。彼女はただただ困ったように佐藤先生を見て、周りを見た。
「私は『人』じゃありません。私のような『モノ』が長く此方にいたことはないんです」
 それはどういうことだろうか。ちか、ちか、と彼女は点滅を繰りかえす。彼女は幽霊だったのだろうか。彼女の足が透けてみえそうもない。佐藤先生はそれに物怖じせず彼女を見下ろした。
「――そうか、奇遇だな、俺も厳密には人じゃない」
「どうなるかわからない。行かなくても消えてしまうかも知れない」
「でも、それでも随分と時間は長い。消えない方法を探してやれる」
 佐藤さんの言葉に彼女は動きを止め、何かを迷ったように目をそらす。その時である。十二時を告げる鐘の音が鳴ったのは。海野さんがハッとしたように時計を見た。
「――時間切れだ」
 そういったのは按司君だ。僕はもっていたスマートフォンを見る。七月十四日、零時と書かれたそれに僕たちは彼女をみた。まず、兆候が現れたのは彼女の足元だった。点滅するように、チカチカと。幽霊であるかのように彼女の体が消えはじめる。ひらり、と一枚の桜の花びらが舞う。それは彼女だけでなく、彼女が呼び出した男性や少年達も同じだった。佐藤さんが目を見開いて彼女をみた。
 行くな、そう告げた彼に彼女は目を伏せた。
「ごめんなさい、」
 そんな言葉をのこし、桜の花びらが彼女を包む。視界が花びらで埋もれるほどの花嵐。誰かの叫び声が聞こえる。花びらの中、佐藤さんが手を伸ばすのが微かに見え――彼女が泣いていたのもたしかに見えた。しかし、それはほんの一瞬で彼女は花びらと共に消える。
 僕らはただただ佇むだけだ。誰しもがそこで起きたことを飲み込めないでいる。
「くそッ」
 沈黙を破るように、佐藤さんが小さく悪態をついた。一枚落ちた桜の花びらを少し怪訝な顔をした若山先生が拾い上げる。しかし、それも元からなかったかのように弾けて消えた。

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