十三
次の日である。嘘でした、と海野さんが来るのではないか。そう思いながら玄関をみたけれど、彼女が来る気配はない。何時も彼女が来る時間に彼女の司書室を開けてみれば、佐藤先生がいた。彼女の机に座って扉の先を見つめている。そこではじめて、彼女の物が消えているのに気づく。まるで最初からいないように。僕の視線に気づいた佐藤先生がこちらを見た。
「なぁ、東。遼は確かにいたんだよな?」
そう、誰かに尋ねたくなるくらいには、彼女の痕跡は何もなかった。
それから幾日も彼女の部屋はたくさんの人が訪れていた。彼女の会派がやってきて、いや、彼女の会派だけでなく他の司書や館長、他の会派の文豪なんかもやって来て、何もないことにみんな驚いて、みんな同じ結論にあたる。彼女は本当に存在したのだろうか、という事に。あの不思議な扉の先は相変わらず壁だ。
「審神者って結局なんなの?」
そう尋ねたのは立川さんである。按司君を見ていったのは按司君がなぜかそういうことに一番詳しいからだろう。
「この前聞いただろ。歴史を守る部署だって」
「いまいちぱっとしないから」
「そりゃお前、俺たちが文学を守って戦ってますっつっても他はそういう反応だろうが」
はっきりと告げた按司君に、確かになぁ、と思う。恐らく他の人からすれば、具体的に何するの? ということなんだろう。按司君は怪訝そうに口を開いた。
「そもそも、アイツは存在したかどうかも危ういんだぞ、今」
「いいや、あの子はもう存在していないさ」
按司君の問いに答えたのは特務司書の誰かではない。かといって、館長や僕、その場にいた文豪ではない。按司君が周りを見渡す。さっと室内であるのに風がふく。ひらりひらりと舞ったのは木の葉だ。その先にいたのはキツネ面をつけた青年である。それはどこか海野さんと似たような服装をした青年だった。黒いマント、ジャケット、ワイシャツ、そんな物を着こなしているにもかかわらず彼は袴をはいている。猫は彼を見た。
「その仮面、向こうの役人だにゃ」
猫の言葉にいかにも、と答えた青年は彼女と同じく帯刀している。館長が眉間に皺を寄せた。
「存在しない、とはどう言うことだ」
「あの子のことを指すならばあの子はこの前七年がたったから人の世から消えた。それだけだ」
七年。その言葉に、何か引っかかりを覚える。若山先生がすっと目を細めた。
「鬼籍に入った、だなんて言いたいのか?」
「ご名答」
「入るわけがない。海野さんは昨日までここにいたんだ。それは俺たちが証明できる」
館長の言葉に、僕達はうなずく。しかし、青年は首をかしげた。
「アンタ達はあのこと写真を?」
「そう! 写真がある!」
そう言って立川さんはスマートフォンを取り出し――動きを止めた。どうして? とこぼした彼女に僕らはその画面を見る。クリスマスの時、年明けの時の写真である。全員で撮った記念写真だ。しかし、佐藤先生の隣にいたはずの海野さんは跡形もなく消えていた。
「理解したか? あの子は存在しないんだ」
「待て、それでもアイツはここにいただろ。人間の世界に」
「いいや、アイツは七年前から人の世では暮らしていない。アイツが仕事の為にここにきていたが、一日でもここに泊まったことはあったか?」
そう尋ねた青年に僕らは何も言えない。たしかに彼女はこの図書館に泊まったことはない。いつも家に帰っていた。でも、それならばおかしい。彼女が帰っていたあの屋敷は。
青年はため息をついて、近くにあったソファに腰を下ろす。そうして気だるげに僕たちをみた。僕らの向ける視線を無視して彼はそこにあったお菓子をつまみ上げた。
「あの屋敷、綺麗だったろ。あそこから見える景色もな。この世とはかけ離れてるみたいに」
彼の言葉に僕らは何も返せない。それは、本当だった。あの扉の先、彼女が暮らしていた場所。そこはとても美しくて。
青年はつまみ上げたお菓子を仮面を少し浮かして口に放り込んだらしい。整った口元がお菓子を食べるのが見える。
「あそこは狭間だ。あの世とこの世の。そして、神域と呼ばれる場所でもある。アイツは七年前にあそこに放り込まれたのさ。今アンタらが呼ぶ名前だって、本来なら要らないものだ。司書業の為に与えられた偽名に過ぎない。それに、第一あの子はもとより人じゃない」
彼はそう言って頬杖をついた。
「この前あの子もそう言っただろう? 自分は人じゃないと」
「……俺との問答の時か。アレはどういう意味なんだ。遼は人間だろう?」
「そのままの意味だ。あの子は人じゃない。お前達はただの人間が時間と空間の定理なんて物に行き着くと思っているのか」
はっきりと尋ねた青年に棋院くんが口を開く。
「何代も研究を重ねた結果、海野さんができるようになったんじゃないんですか?」
「――いや、違う」
館長が首を左右に振った。
「今浸透している理論を元にその定理にいきつくまでに、少なくとも今から百年以上はかかる。そして一人の人間の力でどうにか出来るものじゃない」
「おお、さすが館長さん。その推測は正しい。現に二百年後に時空間定理は実証され――タイムトラベルなんてしゃれた物が出来るようになってる」
「じゃあ、海野さんは未来人やったってこと?」
「違う。キツネが人間は時空を超えられないってたろ。人間は恐らく過去に飛べない。というか、てめぇ、悪趣味だな。なんでこの前の会話知ってるんだよ」
按司君の言葉に青年は首をかしげた。その仕草がやけに海野さんの仕草と似ている。彼は少し考えて、「こうすればわかるか」と頭を掻いた。木の葉が舞って、そこには一匹のキツネが現れる。あの青い瞳の管狐である。佐藤先生が目を見開いてキツネを見た。
「お前、あのときの、」
「そう、あのときのキツネだ」
「のこのこでてきたか」
「ああ、のこのこでてきた。なんでだとおもう?」
キツネがそう尋ねる。
「俺は別にあの子のことを説明しに来たわけではない。かといって後任を連れてきたわけでもない」
「俺たちにある海野の記憶を消しに来たか」
按司くんはそう言ってタバコをつけた。
「本来ならな」
キツネはそう言って目を伏せた。本来ならば、ということはどういうことだろうか。今の彼は記憶を消すつもりはないということだろうか。
「――俺が十の年、俺の両親は消えた。妹と俺を置いて消えた。七歳になったばかりの妹はそりゃあもう泣いた。うるさいくらいに」
キツネはそうぽつりとつぶやく。
「その次の年、俺は妹を施設に預けて学校に入った。休みのたびに妹は俺の帰りを喜んで出迎えた」
「――?」
「俺が十四になって審神者になって、妹とは会えなくなった。妹は泣いて俺を引き留めた。でも、俺はその手を振り払った。そうするしかなかったからだ。他の道がなかったからだ。だから――妹には他の道を示してやろうと思った」
彼はそう言って尻尾をぱたりと動かした。いや、やりたかったか、とキツネは自嘲気味に笑う。
「お前は遼の――」
「そうだ」
また狐の姿から人の姿に変わった彼はうなずいた。
「俺はあの子の兄だ。先に失踪した」
「人の世界に来れるんじゃねえか」
「俺が政府の狐になったからな」
按司君の言葉に彼はそう言って頬杖をついた。
「審神者になった人間の行く先は決まっている。そして、審神者から生まれた特殊な人間は生まれた時からもう未来は決まっている。七つで親から引き離され、十一の年に審神者になるために学校に入り、十四で審神者となり、二十一で親がいる神域に戻る。基本はこの形だ。俺はソレを変えたかったんだ」
彼はそう言って館長を見た。
「だから妹を推薦したんだよ。屁理屈で上司巻き込んで上層部動かしてな。でも、結局は少しそれただけで、あの子は俺と同じ運命を辿っている。両親に会えた、それはいいことかもしれないな。でも、七年間連れ添った刀達はいない。俺たちは永遠を繰り替えす。神が年を取らないように俺たちもまた年老いることはない。永遠と歴史を守るために戦い続ける。それほどまでにあの部署の戦いは出口が見えない戦いだ。なぜなら時空間定理を証明したのもまた、正しい歴史だからだ。ソレを潰すことさえ出来ない」
彼は独りごちるようにそう言うと僕らを見る。海野さんに似たまっすぐな目で。
「俺は、あの狭い閉じこもった世界を変えたい。たったの一人でも変えてやれば、後続は嫌でも出来る。だが上は変化を拒否する。同じであることが楽だからだ。良くはならない。でも、悪くもならない。上は考えることをやめてる。そんなやつ、ただの葦だ」
吐き捨てるように彼は告げた。
「俺が今日ここに来たのは、本来ならばアンタ達の記憶を消すためだ。でも、違う。俺は協力を頼みに来た」
「協力?」
「ああ、あの子――妹を神の国から連れ出してほしい」
そうまっすぐに告げた彼に、僕達は目を瞬いた。
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