十七
「――おかえり、遼。海野遼」
そう佐藤先生が彼女を呼ぶ。最初に変化が現れたのは彼女の肌の色だ。死んだ人間のように真っ白だったそれは赤みを帯びた。そして次に変化したのは彼女の身にまとっていた白い着物である。白い下駄は黒くなり、桃色の鼻緒に色が変わる。そして彼女の着ていた服もまた、淡いオレンジのようなピンク色のような色に変化した。まるで呪いが解けたようだ。いや、魔法にかかった様な、共言える。ゆるり、と目を開いた彼女はゆっくりと自分の手を見た。まるで半分寝ているような、夢見心地であるかのような彼女は初めてみる。佐藤先生を見つけた彼女はそっと彼の手に触れ――驚いたように口を開いた。
「さわ、れる、?」
起き上がった彼女はぐるりと周りを見渡した。戸惑ったように戻ってきた、と息を吐いた彼女に僕らは安堵した。どう見ても彼女は生きているし、ここにいる。按司くんが足音をたててやってくる。彼女の正面に片膝を立て座ると「おい、審神者サンよ、」と声をかけた。
「扉開けろ。外でお前んとこの役人が戦ってる」
その言葉に彼女はもう一度周りを見渡した。あちこちに貼ってある札に気づいたらしい。按司くんが先程音を立てて落ちた刀を海野さんに渡す。彼女は目を見開いてそれを抱きしめ――立ち上がるとともにその刀をいつものように帯刀した。
「短刀貸せよ、助太刀してやるから」
「その必要はありません。もうすこしぼんやりさせてくれても良いでしょう?」
「無理な相談だな」
「これだから貴方は」
彼女はそう言って断るとただただ扉を見つめた。ガン! と何かが扉に叩きつけられる音がする。外から叫ぶような声も聞こえる。ダン、ダン、と叩かれた扉に彼女はドアノブに手をかけた。すると、さっき按司くんや僕らが開けようとしたのにも関わらず開かなかったというのに扉はすんなりと開く。
そこにいたのはあの狐面を被った青年ではない。帝国図書館の服を着た――舘乃木くんだ。顔を真っ青にした彼は彼女を、僕らを見る。中に入ろうとして――それは壁に阻まれるように止まった。
「なんで、」
そうぼやいた彼に彼女は「どうしてでしょうか」と彼に逆に問いかけた。
「入れないの、」
小さく告げた立川さんに、海野さんが「ええ」と肯定する。
「彼は入れません」
「なんで、外は危ないんでしょ」
「普通の人には危なくありませんよ。この時代に生きる人はね。そう言う人は守ってくれますから。役人が」
「どういうこと?」
「この結界は、恐らくは貴方達を守るためのものでしょう。文豪は彼らに過去からの来訪者だと捉えられる可能性がありますから」
彼女はじっと彼を見つめる。彼ら? と按司くんが尋ねた。
「歴史修正主義者の駒か?」
「いえ、時代遡行軍ではありません。正しい歴史でいようとする世界の補正力といいますか。彼らは今を生きる人間には危害を加えませんが、違う時代からの来訪者には容赦がない」
「ってことは」
按司くんが彼を見下ろす。彼女は綺麗な笑みを浮かべて彼を見た。
「こんにちは、未来の特殊指定人物さん。いえ、未来の文学排除主義さん? 同類だと思っていたんですが、どうやら違ったみたいですね」
「文学排除主義?」
「未来ではそういう人がいるようですよ、ロクに中身を見ずに文学を有害だと声高に告げる人が」
ゆらりと青い光を宿した化け物が現れる。彼はそれを見てヒッと声をあげた。
「たすけ、」
「都合のいい話だ。本を切り裂いたのは貴方でしょう? あの日、時代遡行軍を連れてきたのも、今、外側で戦っている時代遡行軍を呼び出したのも貴方。時代を超えたのも貴方であれば、検非違使を呼び出したのも貴方。歴史を変えてはいけない、それは当然の道筋でしょうに」
彼の背後から青い光を宿した化け物が大きな刀を振り上げる。手を伸ばした館長、棋院くんが舘乃木さん! と叫ぶ。
「貴方は感謝すべきです」
彼女はそう言って彼を部屋の中に引っ張り込む。パリン、という何かが割れる音がした。振り落とされた刀は空振りで終わる。
「しかし、その感謝は私に対してでも、刀剣たちに対しでもない。私を連れ戻してくれた彼らに、そして、敵でも情けをかける彼らに感謝すべきだ」
彼女はそう言って扉から出た。ぐるり、と青い光を宿した化け物は彼女をみる。
「ありはや、遊ばぬと申さず、あさくらに、我に使えし刀の御神よ、おりましませ」
そう呟いた彼女の周りに桜が舞う。
「敵は歴史修正主義者、及び検非違使の討伐、及び人間もしくは文化財の保護。各隊隊長の指示に従い討伐せよ。以下を隊長と任命する。第六隊、へし切長谷部」
彼女が何かの名前を紡ぐ。その瞬間、彼女のそばに現れたのはカソックをつけた青年だ。
「御意に。必ずしもお役に立って見せましょう。日本号、博多、薬研、宗佐、不動、いくぞ」
「第五隊、三日月宗近」
「あい、わかった。ならば今剣、小狐丸、石切丸、髭切、膝丸とするか」
「第四隊、一期一振」
「喜んで拝命いたします。弟たちはお任せください」
「第三第、燭台切光忠」
「かっこよくきめないとね! いくよ、くりちゃん、鶴さん、さだちゃん、御手杵くん、同田貫くん」
「第二隊、長曽祢虎徹」
「ああ、任された。和泉守、堀川、加州、大和守、浦島、二階は任せrてくれ」
次から次へと現れて、彼らは外に消えていく。彼女は帯刀していた刀を抜く。
「第一隊、陸奥守吉行」
「ま、あたりまえじゃな」
そうまた現れた青年は元通りになっていた。
「行くぜよ、愛染、青江、鳴狐、蜂須賀、獅子王」
桜を纏って青年が消える。外から聞こえてくるのは金属がぶつかり合うような音とつばぜり合いの音だろうか。海野さんは扉の外を見て、もう一度舘乃木君を見下ろした。ひっと息を吸った彼に彼女はため息をつく。
「なぜ貴方がここに来たかは知りませんし、なぜ貴方が文学を排除しようとしてるのかは知りません。貴方がやったことは決して許されることじゃない」
彼女はそう言って彼を見下ろす。彼は負けじと彼女を見上げた。
「だって、ここがなければ! この人達がいなければ!」
「黙りなさい。此処がなければ文学は消えてしまう」
叱った彼女に彼は怒られた子供のように目を見開いて、ぽろぽろと涙を流し始める。
「勝手に過去を憂いないでください。そういう運命だったんです。そういう運命なんです。個人の判断の集合の行く末なんです。それを此処の所為にするのはやめてください。文学の所為にするのも間違いだ。さっさと元の時代に帰ってください。この時代にいれば貴方は死ぬ。政府の部署はここみたいに穏健な人たちだけじゃない。他の部署も、嗅ぎ回ってる部署も穏健とはほど遠い」
彼女はそう言って扉の近くまで彼を引きずると扉を開けた。その先は間違いなく帝国図書館である。今と違うのは、それが少し色あせてしまったように――埃をかぶってしまったように見えたからだ。誰かが走ってくる音が聞こえてくる。ひらり、と扉の先に花びらが舞う。ソレがいくつも重なっていく。その姿に、舘乃木君はごめんなさいと何度も謝った。透き通るように女の人の手が現れる。なぐさめるように彼の頭を撫でた手。うっすらと、幽霊のように、女の人が現れてこちらを見た。懐かしそうに目を細めると、彼女は消える。そして同時に扉は音を立てて閉まった。僕は彼女と海野さんを見比べた。彼女は――。ソレを見送った彼女は息を吐いてこちらを見る。そして、はっとしたように館長を見た。
「申し訳ありません、館長。勝手な判断で逃がしてしまいました」
「――いや、ここにいれば彼が危なかったんだろう。確かに話は色々と聞きたかったが――あれでいいさ」
苦笑いをした館長は彼女はその返答に大きく息を吐くとふらりと体を揺らす。慌てて抱き留めた佐藤先生はさすがというのか。慌てて覗きこんだ佐藤先生達は苦笑いした。なんだなんだと僕らがのぞき込めば、海野さんが寝ているのが見える。
「あらら〜、燃料切れか」
そんな声と共に現れたのは少しボロボロになった青年である。もう一人、あの紫色の髪をした青年もまたやれやれと息を吐いていた。
「まぁ、あそこを抜けるのはすっげぇ力もってかれるからな。それに合わせてあの大量顕著。そりゃあそうなるわ」
「そうだね、ひとりで駆け抜けた誰かさんは帰ってきてすぐにへたれこんだというのに、彼女の方がよっぽど強いね」
「俺も寝たい。飯、飯だ、歌仙」
「いいや、残念ながら君は報告書だ」
そんな言葉に彼はハイハイと返事をする。まぁ、返事は一回と怒られていたけど。彼はくるりと僕らを見渡して――口を開く。
「――未来から来た『特殊指定人物』は自分で未来に帰った。いいな?」
念を押すように告げた彼に、館長は「ああ」とうなずく。
「彼は自力で帰ったさ」
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