三
慌てて僕らが音のした方に向かえば、按司くんが海野さんの顔スレスレを殴っていた。近くの花瓶が割れているのをみると、聞こえてきた破壊音はそれだ。オロオロする先生達に駆けつけた僕らはその間を割り込む。立川さんが落ち着いて、と二人をなだめるのが聞こえる。
「黙れ、部外者は黙ってろ」
按司くんはそう言ってこちらを睨んだ。そんな目を今までこちらに向けたことがない彼に、僕は身がすくむのがわかった。先ほどの太宰先生の気持ちがわかる。これはすごみがあって怖い。海野さんは彼の腕を掴んでいる。恐らくソレで彼女は軌道をそらして見せたのだろう。按司くんはそんな彼女を見下ろした。
「で、なんだ? そっち側の言い分はこっちが怪しいって?」
彼はそう言って彼女を見下ろした。彼女は肩をすくめて彼を見上げる。
「私はなにも言ってないでしょう。ただ、問いかけただけです。それなのに、そんな反応をされると困ると言いますか。是と取るしか無くなるといいますか」
あまりにも僕らが置いてけぼりの会話である。彼女は彼に言い聞かせる様に口を開く。
「私は『按司隼人』を疑っているわけではありません」
「そうだろうな、だが、実際は疑ってる」
「按司は嘘をつけないようなので、按司は疑ってないですよ」
彼女はそう言って按司くんの腕から手を離す。
「ただ――」
海野さんが何かを紡ごうとした時だ。彼女が目を少し見開いて僕らの反対側を見たのは。按司くんもそちらを見る。空いている窓の外は何もいない。彼女には何か見えたのだろうか。
「いっ、」
小さなうめくような声に僕らは彼女を見る。海野さんが顔を歪めた。彼女は首元を押さえながら、ずるりと力を無くしたようにしゃがみこむ形になった。按司くんがそれを目を見開いて見つめた。
「遼ちゃん?」
立川さんが駆け寄る。按司くんはそれが恐ろしいものかのように後ずさる。あず、と苦しそうに彼を呼んだ海野さんに按司くんは首を左右に振った。
「俺じゃない、」
彼女の顔色がみるみると悪くなっていく。それを見た按司くんの顔からも血の気がひいていく。遼ちゃん、と立川さんが海野さんを揺すった。彼女はそのまま、力を失ったかのように、かくん、と項垂れるのが見えた。大量の汗をかいて、息が酷く荒い。それを見て騒ぎを聞きつけてやって来ていたのだろう館長が僕を見た。
「東くん、救急車を手配してくれ! 棋院くんは森先生を呼んでくれ! 急患だ!」
その言葉に僕らはハッとしたように顔を上げる。棋院くんがかけていくのを尻目に、僕は携帯端末を取り出して救急に連絡する。立川さんが海野さんを横にした。
「チアノーゼがでてる……酸素が足りてないのかも。なんだろう、あの倒れ方。首元抑えてた」
「おい馬鹿、立川! 無造作に触れんな!」
不意に按司くんが立川さんの手を掴んだ。相変わらず真っ青な顔をしている彼は嫌がる子供のように首を左右にふる。
「何かわかるの?」
「首元、多分、毒だ」
その言葉に、周りが彼女を見下ろす。按司くんは顔に手を持っていく。救急隊に繋がった電話、しかしながらタイミングは悪くて救急車が出払っているらしい。
「あと十分くらいかかるかもって」
「もう、そんな、もたない、」
「……按司、一応聞くけど、どういう系統の毒かわかるの?」
返事を返さない按司くんに、立川さんは眉間に皺を寄せた。そうして自分を奮い立たせるように頬をたたくと、視線を按司くんから自分の会派へとかえる。
「田山さん、啄木さん、私の部屋から薬剤ありったけもってきて! 中野さん、水汲んできて! 朔太郎くんはタオル!」
「わかった!」
そうかけていく彼女の会派を見送って、館長は何処か納得したように彼女をみた。
「そうか、君の錬金術はそちら側か!」
「本当はどんなものかわかればいいんですけど」
「森先生を連れてきました!」
棋院くんが森先生を連れてくる。その後ろには彼女の会派だ。どうやら潜書が丁度終わったらしい。
「遼!?」
「佐藤はさがっていろ。呼吸は辛うじてあるな。チアノーゼがでている。気道を確保するか。持病の話は聞いていないが……」
テキパキと処置をしていく彼は流石医者というところだろうか。立川さんがそれを手伝いながら口を開く。
「森先生、恐らくは毒です」
「毒?」
「按司がそうだって。あと、首元には触るなって」
「按司は何かしるのか?」
そう森先生が按司くんを見上げるが、按司くんは相変わらず顔を覆ったまま動かない。眉間にシワを寄せながら按司? と尋ねた森先生に立川さんか首を左右にふる。
「ずっとああなんです」
「……先に遼だな。首元に何か跡がある」
「え、さっきまではありませんでした」
立川さんはそう言ってそれを覗き込んだ。そして何かに気づき、森先生の鞄からピンセットを取り出して何かを掴む。小さな針状の何かである。中野先生が水を持ってきたよ!とバケツを持って走ってくる。田山先生たちが持ってきたのは色とりどりの液体が入ったガラス瓶だ。森先生が彼女を見た。
「立川、それは?」
「あんまりいうと、ややこしくなるから黙ってたというか、黙ってたほうがいいって言われてたんですけど、私の錬金術の研究、もとは薬学の分野なんですよ」
彼女はそう言ってコップに水を移すと針のようなものを中に入れた。そしてポケットからインクを取り出すとその中に落とす。その瞬間、コップの中のインクが図形を作り出す。六課系がつながったような形には見覚えがあった。
「化学式だ」
その図式をみて立川さんが赤く色づいた水を三滴、青く色づいた水を二滴流し込む。するとその形が別のものへと変容した。
「先生、注射器ありますか? この薬剤をいれてとりあえず中和をはかります」
「ああ、まかせてくれ」
立川さんが注射器で瓶から適量を抜き取ったらしい。紫色、ではなく、透明の液体に変わったそれを森先生が躊躇することなく海野さんに打った。程なくして彼女が息を蒸し返したように咳き込む。それと同時に駆け込んできた救急隊に、僕らが安堵の溜息をついたときである。按司くんがようやく、ハッとしたように救急隊の隊員の手を掴んだのは。
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