次に日の夜のことだ。高熱でうなされていた海野さんが目を覚ましたらしい。その報告をきいて、僕らがそちらに向かおうとすれば、逆に彼女が館長室駆け込んできた。
「按司は!」
「……按司によく似た誰かならもういないが」
 そう告げた多喜二先生に、海野さんは珍しく頭を抱えた。とりあえず彼女は両手を叩き、たちませ、たちませ、とまた謎の言の葉を紡ぐ。夏に使っていた術だろうか。館長はその姿を見て彼女に問いかける。
「海野さん、体はもういいのか?」
「えぇ、まぁ、蓮子ちゃんのお陰で」
「森先生と佐藤先生がよくここにくるのを許したね」
「あー、はい、それは、まぁ、置いておきまして」
 海野さんはそう言って、館長を見て頭を下げた。
「申し訳ありません、私が不用意な行動をしてしまったばっかりに」
「いや、いいんだ。いつかは明るみになっていただろうから」
 館長はそう彼女に顔を上げるように告げる。
「でも、何があったんだ?」
 館長の促すような言葉に、海野さんは「違和感がしたんです」とだけ告げる。棋院くんが彼女を見下ろす。
「それは按司について?」
「いいえ、按司はもとからああだと思っていますから。彼じゃないです。まぁ、違和感というか……まぁ、私も上司というか、偉い人に言われて初めて気づいたんですが」
 彼女はそう前置きを置いて僕らを見た。そろり、と立川さんが手をあげる。
「遼ちゃん、それって、私達が聞いて大丈夫?」
「どうして?」
「さっき、按司――じゃなくて陽炎って人が遼ちゃんはいらないことに首を突っ込んだから、我々の一部によって黙らされたって言ってたから」
 その言葉に海野さんは少し考えるそぶりをする。何かに迷っているらしい。
「ほかに何か言ってませんでした?」
「……この国の利益になるなら図書館には何もしないとは言っていた」
 多喜二先生の言葉に海野さんはまた考えこんだ。
「しかしながら、審神者側の上層部は館長や他の特務司書に聞いてみなさいと言っていたのですが……」
「そういえば、海野は歴史を守っているんだったな。未来はわからないのか?」
 独歩先生がメモを携えながら彼女をみる。彼女は「少しぐらいですね、わかるのは」と告げた。
「すこしというか、かなり大まかな流れと言いますか、それくらいですけど」
「え、いいの、それは」
 僕の問いかけに彼女は苦笑いをする。
「干渉しなければセーフって、役人は言っていましたよ。……あぁ、国木田先生の言いたいことは理解しました。なら、大丈夫ですね」
 納得した彼女に僕らは顔を見合わせる。オダサクさんが独歩先生を見た。
「独歩せんせ、どういうことなん?」
「海野が知ってる未来には俺たちや司書がいるってことは、今俺たちが何かで死ねば歴史修正と見なされるだろ? そうしたら、刀達が動くんじゃないか」
 得意げにそう告げた国木田先生に、海野さんが答える。
「刀が動くかどうかはともかく、未来の歴史学上には私たちは全員生きているのはたしかですよ」
 海野さんがシレッと「まぁ、生きているからといって安全だとは言い切れないんですが」と告げた。え。固まった僕と立川さんの反応をスルーして、館長も彼女をみた。
「……話を聞こう」
「実はこちら側の調査で――この近年で、いくつかの文書がなくなっていることが判明しました」
「文書?」
「ええ、そのどれもが日本の政治、とりわけ戦前の資料やあまり存在事態が良くないとされていた資料です。歴史書の一部でもあります。言ってみればこの国や国の重鎮に不都合な物ですね」
「なくなったってことは、盗まれたってことか?」
 坂口先生がそう彼女に尋ねる。海野さんは首を左右に振った。
「いいえ。そもそも、この『今』を生きる私たちはその文書の存在さえも知りません」
「と、なると……民間人には秘匿されてるのですか?」
 今度は乱歩先生が彼女に尋ねる。彼女はまた首を振った。
「いいえ、違います。存在事態がなくなっているんです」
「存在事態がなくなる……歴史が変えられたということか?」
 多喜二先生がそう問いかける。中野先生が同調するようにまた質問した。
「それなら君たちの分野じゃないのかい?」
「いいえ。確かに今までは存在事態がなくなる、なんて、今まではこちら側――何かを使役して『歴史を修正する』しかありませんでした。しかし、今回は違います。四、五年前までは存在が確かに確認されているんです。それが、忽然と、存在自体が記憶からも他の関連文書からも消えているんです」
 彼女の説明に、僕は考える。そんな魔法のようなことが可能だろうか。しかし、館長は思い当たることがあったらしい。まさか、と口を開いて海野さんを見た。
「はい、館長が考えるとおりです。その文書や資料は「故意」に「侵蝕」されてしまったのではないか、というのがこちら側の推測です」
「……政府が侵蝕を使って不都合なものを消してるってことか?」
 独歩先生が、こりゃあスクープだな、といいながらメモを取る。海野さんは「あくまで審神者側はそう思っています」と告げる。それをきいた堀先生が首をかしげた。
「審神者側は政府側じゃないんですか?」
「国に属しはしますが、私たちは時の政権に左右されません。私たちは正しい歴史を守るための組織ですので、その時々の政権に左右されてしまっては意味がないんですよ」
「その時代の政権によって主張が変わるからか」
「そういうことです。まぁ、その反対を行くのが『公安隠密局』でしょうか」
 彼女はそう言って館長をみた。
「とりあえず、私が急にお昼に不在にさせていただいたのはこれを貴方に伝えるように、また図書館側にも調べて欲しいということを頼んで欲しいという事を命じられたんです」
 彼女の言葉に、僕は目を瞬く。太宰先生に怒って帰ったんじゃなかったのか。海野さんは困ったような顔をして口を開く。
「按司に聞けば早いと思ってしまって、館長に相談せず彼に聞いたためにこんな結果に」
「――大まかなことはわかった。歴史の資料が『侵蝕されている』となれば図書館側の話になるからな。調べてみよう」
 館長がそううなずいたことで海野さんはホッとしたらしい。少し緊張を緩めた彼女はオダサクさんや僕達を見た。緊張感が走る堅苦しい雰囲気の中、彼女は安心させるように口を開く。
「あと、按司は信じていいと思いますよ」
 海野さんははっきりとそう断言した。あんな目に遭っておいて、どうしてそう断言できるのだろうか。彼女は言葉を続ける。
「按司隼人は公安隠密局の忍だと私は確かに事前に聞いています」
「監視ってことを?」
「いいえ。彼は監視ではないでしょう」
「どうしてそう言えるんだい?」
「忍は基本的に任務に忠実です。そうであることを教え込まれた存在です。心の内に秘めているものがどうであれ、任務は遂行するものであると。按司隼人は図書館の絶対的な味方だと私は聞きました。彼は彼である限りここを裏切らないでしょう」
 その言葉に、オダサクさんが、あぁ、と何か納得した。どうした? と尋ねた坂口先生に、オダサクさんはいつものように両手を頭の後ろで組んだ。
「お司書はんが、最初の方に言ってたのはそういうことか、って」
「言ってたの?」
「ほら、謎解きみたいな言葉! 最初、誰が来た時も言うやろ? お司書はん」
 オダサクさんの言葉に彼の会派は何か納得したらしい。
「――按司隼人は信じていい。だが、俺を信じるな、だったか」
 多喜二先生がそう告げて目を伏せた。中島先生が安心したようにほっと息を吐く。
「最初は何を言ってるのかと思いましたが、これを想定していたのなら理解が出来ます」
「そうだな」
「……でも、どうやって資料を確認するんだい?」
 徳田先生の問いに、館長が海野さんを見る。海野さんはうなずいて手を叩いた。
「おいでませ、こんちゃん」
 海野さんが呼びかければ、ぽん、と言う音と木の葉と共に狐が現れる。
「あるじさま! またそのような幼な言葉を! 何度も申し上げますが!」
 そう吠えた狐――正しくは確か管狐で、その正体は海野さんのお兄さんのはずである――に、海野さんは「今はその話は置いておいて」と告げた。そうして館長の机にのせると彼女は彼に問いかける。
「八幡の君から預かってきたものは?」
「こちらにございますよ!」
 この管狐、今、どこから巻物を取り出したのだろうか。彼は何処からか巻物を取り出すと転がすように館長に差し出す。
「八幡の君……こちらの上層部の一人よりお預かりしてきた消滅が確認された文書資料及びこれから消滅する危機がある資料の一覧です」
「ああ、確かに受け取った」
 巻物を手に取った館長はしっかりとうなずく。ソレを見て管狐のこんのすけもまたうなずいた。
「また、上層部より言付けを預かっています。図書館側へ仕事を押し付ける問題となってしまい申し訳ない、今はある意味転換期になりうるのでこちらは手を出せないが、兼任司書ならば好きに使ってもらっていい、とのことです」
 管狐は館長にそう言って、あるじさまもあまりご無理はせぬよう! とだけ告げてまた消えた。海野さんは聞いていないという顔で彼が消えた後を凝視していた。館長のことだから無理はさせないだろうけど、そう言われて嬉しい人はいないだろう。まぁ、こんのすけの自己解釈も含むのかもしれないけれど。
 館長が開いてみせた巻物にはいくつかの名前が挙げられている。そのどれもが見たことがない物だ。立川さんも同じことを思ったのか口端を引きつらせた。
「全部侵蝕されてない?」
「確かに見たことがないな……」
「いや、あるにはある。君達は基本文学の棚しか見ないだろう?」
 苦笑いしながら館長は、棋院くんと立川さんに告げた。二人がこちらを見たので僕も首を左右に振る。
「えーと、僕もわからないからね。さすがにこの図書館にある蔵書全部は把握してないよ。館長は位置がわかるんですか?」
「いいや……あるという認識はあるんだが、山積みの本の中のどれに当たるかはわからない。今でも文学や錬金術書に混ざってたまに珍しい資料が現れるぐらいだからなぁ」
 これでもまだ整理がついたんだが。
 そう頭をかいた館長に、オダサクさんが「あん中から探すん!?」と信じたくないというように館長や僕を見る。僕らは頷くしかない。図書館の奥まった一角や、あまり人が足を踏み入れない一角には確かに本が山のように積み重なった場所があるのだ。それでも虫に食べられることがないよう手入れは一部物好き職員により施されているし、中には菜乃花達の秘密基地と称されている区画もそこにあるようだけれど。
「そんなにやばいのか?」
「区画によっては、安吾の部屋よりやばいやつやで!」
「坂口先生の部屋っていったい……」
「立川さんは入ったらあかんわ、ほんまに」
 オダサク三の言葉に僕はこっそり同意する。暇だから掃除を手伝うといってしまった僕は彼の部屋の汚さを理解してなどいなかったのだ。あれはある意味きれい好きな立川さんが入っちゃ行けない部屋だ。そして、資料があるだろうその場所もまた、そんな場所なのである。立川さんにオダサクさんが部屋の汚さを説き、大げさだなと坂口先生が肩をすくめている。そんな会話をよそに、多喜二先生が考え込む棋院さんをみた。
「棋院? どうした?」
「いや、こんな時に按司がいたら助かるんだけどなって。アイツ、資料でもなんでも読んでるので恐らくその資料の位置も把握してると思うんです」
「それや!」
 うなだれていたオダサクさんががたりと起き上がる。
「按司の手帳!」
「それがどうかした?」
「お司書はん、偶に何処になんの本があるか手帳にかいとったんワシは見た!」
 オダサクさんの言葉に多喜二先生が首をかしげる。
「按司は手帳いつも持ってなかったか?」
「ふっふっ、助手のワシは知っとる。太宰クンが来た日から新しい手帳に変えとった! あと日記もつけとるみたいやし、日記に書いてるかもしれん!」
「日記?」
「この前、暇すぎて按司の部屋行って本棚漁ったら出てきてん」
オダサクさんの言葉に僕らは顔を見合わせる。それはプライバシーの侵害ではと思ったが、それを言うと文豪達の日記も公開されているのでなんとも言えない。
「じゃあ、按司の部屋に入りましょう」
「え、いいの、遼ちゃん」
「緊急事態ですし。ね、館長」
「そうだな……按司くんにはこれでチャラにしてもらおう」
 館長はそう言って立ち上がると引き出しの中から鍵の束を取り出す。滅多に出てこないマスターキーである。そんなところになおしてあったとは。立ち上がった館長に海野さんが扉に手を当て、なにかを告げる。その瞬間、バタバタという足音が聞こえてきて扉が勢いよく開いた。扉を開けたのは佐藤先生である。彼女を見下ろした彼は眉間にシワをよせた。
「遼、しばらくは絶対安静だと森先生は言ってたよな?」
「……えーと、」
 助けを求めるような視線に、館長が彼女に休むよう命じるのはすぐのことだ。


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