それに気づいてしまえば、どうするのが正しいのだろうか。織田作之助は額縁にいれられた物をみて考えた。どうしてだろうか、とは少しぐらいは思った。なぜならそれに潜書したときに感じたのは酷い憎悪だったからだ。でも、浄化をして現れた手紙は半分が白紙の手紙で。そこに綴られた文章には憎悪のかけらもなくて。でも、その時は納得したのだ。なぜならそうなる術なんて知らなかったからだ。
「アイツはお節介やなぁ」
 そうぼやいてしまうのは仕方がない。アイツは酷く世話焼きで、突き放そうとするくせに寂しがり屋でどうしようもない人間だ。恐らく、根っこは真面目な青年なのだ。棋院とちがうのはソレが表に出ているかいないかの差だろう。おそらくもう一度これに潜書すればそこには正しい解答が現れる。意図的に隠したものを見る好意はパンドラの箱を開けるにも近しいのだが。
「ああ、あのこのお友達から聞いたのか」
 そう背後からかけられた声に織田作之助は振り返った。そこにいたのは男だ。しかしながら、司書でもなければ陽炎という男でもない。既視感はしたが、職員ではなかった。しかし彼は何も気にしていないかのように額縁にいれられた手紙を眺める。
「あの子は優しい子だろう? 昔からそうなんだ。だから、こちらに向かない。そうして己を殺していくのさ」
 その言葉の意味がわからずいぶかしげに彼を見た。彼はなんともないように言葉を続ける。
「あの子は今まで何人の自分を殺したのか、私には見当もつかない。ただ、彼は何人も自分を殺しているのさ」
 そこでようやく男は織田作之助を見た。口に笑みを浮かべて。そこでようやく既視感の理由がわかる。その人物は自分に似ているのだ。肌の色や目の色、髪の色は違う。でも、確かに自分に似ていた。
「死なないと良いな、君の司書」
「なんやそれ、自分、あのお司書はんが死ぬとおもってんの」
「すくなくとも、君はそう思っている。自暴自棄になって死ぬんではないかと」
「お司書はんはそんなもろないで」
「それは嘘だ。君は理解している。あの子は酷く独りよがりで、寂しがり屋で、見栄っ張りで――」
「なぁ、自分、決めつけはよくないで」
「――誰かさんと一緒で死にたがりだ」
 その言葉に、織田作之助は動きを止めた。理解したくなかったが、その言葉を理解してしまった。彼は確かに死にたがりだ。目に見えないだけで、そう言う行動をしないだけで、死にたがりだ。彼が空いた時間に活字を読むのは何も考えなくて良いからだと織田作之助は聞いたことがあった。あの青年はきっと、表側に出さないだけで常に死を考えている。その理由はわからないが。彼が太宰治に怒るのはだからだ。自分が死ねないのに、死のうとする自分に似た人物。彼に向かって吐かれる言葉は、きっと自分自身に向けられた言葉なのである。だから彼は太宰治にはあたりが少し強いように見えるのだ。
 何も返さない織田作之助に男は言葉を続ける。
「――彼は誰かさんとそっくりだ、君もサングラスの男もそれは思っている。君があのこと仲良くするのは、誰かさんにそっくりだからさ」
 男はそう言って歪な笑みを浮かべた。確かに、当初から気にかけたのはそうだからかもしれない。否定する術がない。
「――その誰かさんがここにきたのだから、あの子はもういらないだろう?」
 その一言に、織田作之助はひゅっと何かが消えるのを感じた。芯が冷えた様な感覚――しかし、体が言うことを聞かないとはこういうことだろうか。気づいたら織田作之助は男の顔近くにある額縁を殴っていた。薄いガラスが割れた音がする。ああ、手紙を汚してしまうと冷静な部分が告げたが、口から出たのはそんな言葉ではない。
「いい加減にせえや、自分、腹立つな。太宰君は太宰君、按司は按司や。片方がおるから片方がおらんなんて理論間違っとる。アイツはワシの友達やねん。あんまり適当なこというといてまうぞ」
 低い声である。男はそれを聞いて、目を見開いた。驚いたように。しかし次の瞬間には子供のような表情にかわる。
「――なんてな、あんま喧嘩売らん方がええで。ワシ、今あんまりきげんよくないから」
 ――そうおどけてみようかと思ったが、その男がうずくまったことで今度は織田作之助が目を瞬くことになった。
「ちょっとお兄さん?なんなん?わしに喧嘩売ったのはそっちやろ?」
 そう同じように屈んだところで、男が顔を上げた。そこにいたのは自分のよく知る人物である。ただ、髪が黒い。それは陽炎となのった人物とよく似ているが見せている顔は無表情なんかではなかった。ただ、不安定な誰かさんのように泣きそうに顔をゆがませて見上げているのだ。
「――なんや、お司書はんやったんか。おかえり。帰ってきていきなりからかわんといてや」
 目線に合わせて織田作之助は屈んだ。その人物はぽろりと涙をこぼす。
「――おださく、どうしたらいい?」
 それは本当に困り果てたような顔だった。どうすればいいのかわかっていない顔だった。先ほどの館長の言葉を思い出す。自分たちはちゃんとしたとはいえないが確かに大人だである。長いものであれ、短い物であれ一度は一生を生ききったからである。ある意味二度目の人生で、確かに自分は目の前の青年よりは大人だと言えた。いや、目の前の青年も自分達と同じような大人なのだと思いこんでいた。でも違う。彼は――特務司書と呼ばれる彼らはまだ一度目の死も迎えていない。あの頃より豊かになった世界で、なんの経験もない『子供』だった。
「どうしたん、お兄さんに言ってみ」
 織田作之助はそういって彼に会わせて屈んでやる。死にたがる友人とそっくりな顔だった。
「――おれはどうしたらいい?」
「……みんな許してくれるって。戸惑ってるけど。まぁ、せいぜい怒られるぐらいやろ」
「おれはあずはやとでいたい」
「何言ってんねん。お司書はんは按司隼人やろ」
 その言葉に、彼は少し安堵をしたようだった。
「――なぁ、おださく、俺はどうしたらいい? 上司から言われたこと、すれば、おれは帰って来れない」
 そう首を左右に振った按司に織田作之助は彼を見下ろした。
「――何言われた?」
 その問いかけに按司は一瞬の後に、何時もの表情に変わる。
「――政府の有力者が、『侵蝕』を使えるものだと判断した」
 織田作之助は動きを止めた。
「ちょっと待ってや、じゃあ、この図書館は」
「――もうすぐで、この図書館は不要だと判断されるかもしれない。特務司書なんて、一人いれば良いって、そいつは」
「――お司書はんがいればなんとかなるって判断したってことか」
「俺かわからない。それが按司隼人であろうと、陽炎であろうと、つかえるのならそれでいいと言ってたからな。他の部署が絡むから、海野がのこるかもしれない。でも、俺はこの図書館を消したくないし、特務司書を殺したくもない」
 そうして、按司はおびえたように縮こまる。織田作之助は眉間に皺を寄せて按司を見下ろした。嘘だろうか。惑わすための。こちらを乱させるための。そこまで考えたところで、織田作之助は息を吐いた。
「按司隼人は嘘つかへん、か。わかった、一緒に考えたる。なんたってワシらは――」
「運命共同体だから、でしたね」
 不意に聞こえた声に按司が顔を跳ね上げた。驚かせてしまいましたか、と演劇口調で告げたその人物はかぶっていたシルクハットを外して一礼するとクスリと笑う。
「この私も微力ながらお手伝いしましょう、司書さん。いえ、私たち、ですかね」
 江戸川乱歩はそう言ってシルクハットをかぶり直す。シルクハットで隠れていたその先にいたのは紛れもない按司隼人の会派の面々で。それを見て、按司隼人は口を開く。
「――このお節介どもめ」
 噛みしめるような少しの喜びが含まれた小さなぼやきに、織田作之助は息を吐いた。まったくもって、この司書は不器用な司書である、と。そして、自分たちもまた不器用なのだと。


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