十一


 その手帳に入った時、聞こえたのはオルゴールに似たような音だ。カチリカチリと回されては繰り返される音楽。そっとその音楽の出どころを見てみれば、一人の少年が繰り返しオルゴールのネジを巻いているのが見えた。夕暮れ時である。奥には祭りか何かの喧騒が見えた。不意に大きな影がその小さな背に、声をかける。
「帰るよ」
 その声に少年はくるりとこちらを向いて、うん、と素直に頷くと、大きな影に並ぶ。そうして通り過ぎていった二人をただ文豪達は見送った。その途端、頭に響くような声が聞こえた。
 ――四月六日、晴れ。

 少年のような声である。

 ――あの人がオルゴールと日記帳をくれた。どうせ三日坊主になるのなんて分かっているから断ったのに、記録をつけることは大切なものだよ、だなんて可笑しい人だと思う。今日が新しい君の誕生日だから誕生日プレゼント、らしい。変なの。今日から僕は隼人なんだって。あの両親がつけた名前はもっと変な名前だったのに。

 大人が子守唄のような歌を歌うのが聞こえる。

 ――あの僕はあの両親と一緒に死んだんだって、あの人はいう。なんにせよ、僕は今日からあの人と一緒に暮らすらしい。あんな毎日とおさらばできたらいいのにな。

 そうしている間に角に消えた二人に坂口安吾は息を吐いた。敬愛する推理作家が描いたシナリオに乗っかったのはいい。乗っかったのはいいが、本来日記帳を任せられるはずの彼の初期文豪と一部の文豪は違う場所にいたりする。それをどうにかしてごまかす必要があったため、些細な理由をつけて彼が日記帳の中にいた。司書の日記帳に――いや、他人の日記帳に興味がなかったといえば嘘になる。それは恐らくは他の文豪もそうだろう。人の日記、ただそれだけで興味というものは簡単に引けるのだ。

 不意に周りが揺らめいて、景色が変わり始める。暖かな夕闇の色が黒い闇に染まっていく。そうして現れたのは一つの部屋だった。少年がいる。手を真っ赤に染めた。それにしてもひどい有様だった。痩せこけていて、伸びた服から見える体には傷や跡がたくさんあった。何かに怯えている少年の前に黒を着こなした男がいた。それどころか、周りに同じような人間がいたのが見えた。殺しますか、と誰かが聞いた。男は首を左右に振る。その問いを聞いた周りは下がり、男は子供の目線にかがんだ。
「一緒に来るかい、少年」
 そう笑ったような男の声は先程手を引いた大人と同じである。その手をとっては後に引けなくなるぞ、といっても恐らく声なぞ聞こえないのだろう。読者は本の中の存在に何ら影響を与えることは出来ない。それはきまりきったことだ。
 少年はまよったようだったが、手を恐る恐る差し出した。よし、と繋がれた手に彼は笑うと少年を抱き上げた所でそれは絵画のように動きを止めた。

 ――前の両親はそれはそれは酷い人だった。
 ――隼人は産まれながらにしての孤児だった。

 声が重なって聞こえるそれに眉間に皺をよせる。
 どちらかが真実で、どちらかが表面だけ改変されたものだ。いや、どちらが正しいかなんてわかりきっている。坂口安吾が真実に書き換えるために動こうとした時だ。男が振り向いて、口を開いた。
「ダメじゃないか、暴くなんて。これは隠してあげないと」
 まるで坂口安吾に投げかけているような声だった。そして、その声は口調は表情は陽炎と名乗った人物にひどく似ている。周りを見渡したが背後に自分以外はいない。だから、登場人物に尋ねることにする。
「それは、俺に向けた言葉か?」
「君以外に誰がいるっていうのかな」
 彼はそういうと布をつまむようにして暗闇を摘んだ。そして、それをテーブルクロスのように引っ張ってみせたのだ。すると、周りの景色は先程の夕暮れにかわる。
「こんな記憶があっちゃ、可哀想だろう? 少年は新しいスタートをきったんだ、昔に縛られてはいけない」
 ゴミを丸めるようにそれを丸めた彼はどこかにそれを投げ捨てる。そこでようやく理解した。
「ページを白くしてるのはお前か」
「さぁね、この付近のページは僕だけど。他のページはどうだろうね。コレはこういう術だから。君はそれを読み取ることが出来るみたいだけど。だからここに来たんだろう?」
 彼はそう言って坂口安吾に問いかける。坂口安吾は「そうだな」と返事をして――違和感に気づいた。
「待て、お前はなんで意識がある?」
「それを聞くってことは君は錬金術師じゃないんだね。錬金術師は己の記録を本に残すことができる。その応用さ。まぁ、僕ができるのは錬金術じゃなくて忍術なんだけれど」
 男はそう言って近くの塀に腰かけた。隣を叩いた彼はどうやら敵意はないらしい。坂口安吾はため息をはいて、その塀にもたれかかる。
「登らないのかい?」
「登れないんだよ」
「なんだ、君は忍じゃないのか」
「ただの作家――で、『隼人』の友人だ」
 そう告げてみれば、その人物は目を瞬いて――ケタケタ笑う。何が可笑しいのかと思って見ていれば、男は坂口安吾を見下ろした。
「そうか、あの子にも友達ができたのか。それは良かった。貴方の名前は?」
「坂口安吾だ」
「ははは、昔の作家の名前だ」
「まぁな。お前の名前は?」
「僕の名前は陽炎」
 そう笑った彼に坂口安吾は彼を見つめる。その名は司書が名乗った別の名前でもあったからだ。しかしながら、今対面している彼とあの時対面して見せた彼は別人に見える。彼は坂口安吾の疑問に答えるように口を開いた。
「僕は――あの子の先生だ」


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