十二
陽炎と名乗った男は忍なのだろう。面白いくらいにくるくるとかわる表情は忍らしくない。そもそも、親バカらしい節が見て取れるぐらいだ。とても今の陽炎とは似ても似つかなかった。
まるで活動写真――映画を見ているような気分だった。これでポップコーンさえあれば完璧に映画だろう。繰り広げられるのはとなりにいる男と恐らく司書の少年期だろう人物の話だ。それは普通からは逸脱している。司書のスパルタは恐らく、この隣にいる男の教育がある意味そう言う物であったからだろか。
たまに書き込まれる悪口に、頭に響くような声に、こいつこんなことかんがえてたの? だとか、この僕凄くカッコよくない? だとかちゃちゃをいれる男に坂口安吾は苦笑いをする。とっつきやすい男である。真意は何も読めないが。
「隼人の親代わりか」
「そんなものだね。すくなくとも、僕はそうであろうと思ったよ。良いか悪いかは別としてね」
彼は淡々とそう告げた。
「僕は彼に出会ったとき、彼は小さな箱庭の中にいたんだ。本当はそこで殺すべきだった」
「でもお前は殺せなかった」
「そう見えたかい?僕は結構打算的だよ」
「打算的?」
「陽炎という人物を途切れさせないために僕は彼を選んだんだ。そのためにあの子の逃げ場をなくしてみせた」
彼の言葉に坂口安吾は少年と男のやりとりから目を離す。
「――襲名先か」
「そうだ。最初は確かに、そうだった」
彼はそう言って頬杖をついた。
「陽炎は自分を持ってはいけない。それは先代に教えられたことだ。だから、僕もそうだった。あの子を拾う前まではね。僕は変わってしまったんだ」
男は緩やかに笑う。諦めたような顔だった。それでも、何処か納得したような顔だった。しかしながら、そんな男の表情とは裏腹にこの少年の物語は終わりが近づいてきているがわかる。そして、その結末も予想ができた。なぜなら『先生』である男の名前は今別人に受け継がれているのだから。代々風魔小太郎がいたように。代々名のある忍が襲名していったように。恐らくこの男の名前は、この少年に受け継がれたのである。そしてそれは、穏やかな話題のはずではなかった。
ぐちゃり、と幸せそうな日々が黒に歪む。隣にいる男は苦笑いした。
「僕が関与できるのはここまでだ」
男のクビからは筋のように血が流れている。
「死ぬのか」
「まぁ、ね。ここにいる僕は本体の術によって形成されているから」
そう告げた男に、坂口安吾は彼を見る。
「わかるだろう? この本に書き込んでるのは僕じゃない。僕は本来ここに存在しない。いつか、あの子に呪いのように宿った本体の術が切れれば最後、僕は消えるさ」
彼はそう言って黒に溶けていく。
「あの子は陽炎になれない。自我を持ちすぎた。だから、できることなら僕が変わってあげたかった。でも、それもできなかった」
そんな言葉を残して男は消える。暗闇の中で、少年が逃げるようにかける。なんで、どうして、と何度も尋ねる。僕にはできないと叫んだ子供に、彼はいいきかせるように少年の肩を掴んだ。
「やりなさい」
「なんでですか、先生、教えてください、どうして!」
そう少年が叫ぶ。男は苦虫を噛み殺したような顔をした。安心させるように少年を抱き寄せた。一緒に逃げようと告げた少年に、男が目を伏せたのが見える。そうして、彼は、穏やかな顔をした。それは、先ほどの笑みと一緒だった。諦めたような、納得したような。それでも決心したような笑みだった。ソレを肯定と取った少年が喜びの笑顔を浮かべた瞬間、彼は自分のクビをかっきった。隼人として生きろ、君は陽炎になれやしないと言い残して。先生? と震える声で少年は倒れた男を揺する。何度も何度も揺する。男はピクリとも動かない。とんだ悲劇だ。違う大人達が少年を取り囲むのが見える。よくやったと少年を褒める声も聞こえる。
「お前が今日から陽炎だ」
そんな声を残して。
頭の中に呪詛のような声が聞こえる。なんでどうしてなんでいやだどうして、どうしてどうしてどうして。少年が泣き喚くような声がした。たすけて、先生、いやだ、いたい、こわい、たすけて。僕は。僕は、隼人として、『先生』と――。
ぷつん、とまるでテレビが消えるように景色がかわり――真っ白になった。頭を抱えた少年は止まったまま動かない。しかし、彼の声だけが聞こえた。
――その日から僕は隼人でなくなってしまった。
――その日から僕は陽炎と名乗ることになった。
――隼人は怨むだろう。この国を。命令を下した人間を。全てを奪った奴らを。
――陽炎は日本の狗として、この国の利益のために戦いこの国のために死ぬのだ。
――もう一度隼人を名乗れるのならば、あの日々の続きを生きられるのであれば僕はその人たちのためにいきたい。そんなことを願うのはいけないことなんだろうか。
――僕は陽炎としてこれからを生きる。どんな命令だって聞いてみせる。なぜならそれが僕の使命だからだ。
反転したような言葉だった。そして、按司隼人が図書館を裏切れない理由も理解した。恐らく彼にとっては恋い焦がれたようなあの日々の続きだったのだ。自分たちと過ごした日々は。だから、心底から悪役になりきることも出来ず――ただ、仕事柄こちらに着くことも許されない。死にたい、でも、師でもあり親でもあった陽炎の言葉に死ぬことも許されない。だから、あんな風に笑うしかなくなってしまったのだ、あの青年は。
「お前はとんだ道化師だよ」
少年に坂口安吾はそうなげかける。かの黒を身にまとった少年はその言葉にじっとこちらを見た。先ほどまでそばにいた男が坂口安吾の存在を認めていたように。
「人の日記を覗くような悪趣味な奴にいわれたくねえな」
少年から発された声は見知った声である。坂口安吾は一瞬呆気にとられたもののすぐに肩をすくめて見せた。
「そのわりには、怒ってないみたいだけどな。お前にとっては予定調和ってところか」
その問いに答えることなく、少年は唇に人差し指あてて笑んでみせる。
「――アンタ達が探している者の一番は秘密基地の中だ」
それだけ告げた少年は、溶けるように見知った姿に変わった。周りが白から何処か公園のような場所に変わっていく。彼は坂口安吾に背を向けて――ベンチに座っている好青年に声をかける。それと同時に周りが青く光り出す。どうやらこの日記帳の潜書は終わったらしい。いや、潜書が終わったと言うよりはそれ以上は見せられないのだというようだった。
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