十六
小さな物音に、海野さんが眉間に皺を寄せて周りを見た。佐藤先生が気にしたように遼?と彼女に呼びかける。彼女は険しい顔をしたまま扉の先を見ていた。彼女の様子に周りが静まった。彼女は腰にさした刀に手をかけた。それをみて、もう一度館長が彼女に声を帰る。
「海野さん?」
「刀の実体化が解けました。そう言う術を使われたと推測できます。私の錬金術が通用しない可能性があります」
彼女の言葉に僕らは息をのんだ。足音が聞こえる。それは可笑しいことだ。なぜなら、本がそろったのを見て慌てたように海野さんが菜乃花や、まだ戦闘慣れしていない先生達を彼女の家に招いてくれたからだ。だから、今図書館の中にいるのはこの部屋にいる人に限られるのである。コツコツと靴音が扉の前で止まる。品の良いノックの音が聞こえた。
「どなたですか、この図書館は閉館中なのですが」
そう尋ねた海野さんに、扉は勝手に開く。そこにいたのは男性と按司君――いや、陽炎と呼ばれる青年である。相変わらずニコニコと笑っている彼に対し、隣にいる男性は眉間に皺を寄せている。
「どんな連中が特務司書なのかとおもえば」
男性はそう言って僕達を見た。そして、そこらにいるような人間じゃないか、と彼は評する。その評価はある意味は正しい。ある意味というのは、ここにいるのは転生した文豪と館長、海野さん、そしてただの職員である僕にそこらにいる人間から特務司書になった棋院くんと立川さんだけだからだ。
「お言葉ですが、僕達は文豪ですので特務司書ではありませんよ」
中野先生が笑みを貼り付けて男性を見る。彼は「ああ、失礼、君たちがそうか」といって口元にだけ笑みを浮かべる。黙っていた館長が「何か御用だろうか」と彼に問う。
「君が此処の館長か」
「いかにも。悪いが、ここは今大事な作業に追われていてね」
「ああ、知っているとも。だからこそ私はここに来たのだよ」
「……何か御用だろうか」
館長が繰り返してそう問いかける。今まで見たことのない顔だった。眉間に皺を深く寄せた彼は、低い声で威嚇するように告げた。男性は口を開く。
「そこにある本を貸し出してほしい」
「残念だが、この本は貸し出し禁止なんだ」
「参ったな、その本は今すぐに必要なのだが。首相からの指示だ、貸してもらえないだろうか」
「残念ながら、ここは独立した機関ですのでお貸しすることはできません。それにこれは歴史書の類いです。今すぐ必要という部類ではないでしょう」
「歴史書?それが?」
彼はそういうと今まで浮かべていた不気味な笑みを消す。ぞくりとするような表情だった。いや、表情というのは間違いかもしれない。言うなれば、無だ。この人には何もない。小さく芥川先生が「のっぺらぼうみたいな男だね」とつぶやくのが聞こえる。
「それは、歴史書なんかではない。何かの間違いだろう」
「それが今の国の見解と言うことか」
今まで黙々と作業をしていた森先生が尋ねる。男性はまた笑みを浮かべる。館長が口を開く。
「これらは間違いなく歴史書だ。第二次世界大戦中の学者が残した伝記、その当時廃案にされた法律案、公にはされていない書籍、そして、この国の過ちを記した物だ。れっきとした歴史書として数えて良い物だろう」
「この国には過ちはない。全ては正しいものだ」
「いいや、過ちはある。過ちがなかったらあの戦争はなんだと言うんだ」
「はて、あの戦争とは」
佐藤先生の問いかけに彼は首をかしげた。そうして時間をおいて彼はわかったというように手を叩いた。
「もうじきなくなる歴史のことか」
「なくなる歴史? 歴史改編は勧めませんが。いっておきますが、こちらが黙っていませんよ」
海野さんの言葉に彼はすっと目を細めた。君が審神者か、とつげた彼は言葉を続ける。
「――例えばの話だが、君たちの部署が何年、何十年と戦っている相手。それは直接的に歴史を変えようとしている相手だ。馬鹿の一つ覚えのように、歴史を直接的に変えようとする」
「そうとも言い切れないんですが、ある一定の武力を持っていることは認めましょう。貴方達は、武力を伴わないで改変としようとしているというのですか」
「ようはここの使い用だよ」
男はそう言って自らのこめかみをつつく。
「君たち特務司書が戦っている相手がいるだろう? 彼らが暴れた後はどうなるか、君たちは知っているかね」
「――書物がなくなると我々は仮定しているが」
館長の言葉に、彼は「ある意味正解だ」と告げた。
「一冊。我々の部署に侵蝕された本があったのだ。簡単な問題だよ。侵蝕を放っておくとどうなるのか。その答えを我々は知りたかったのだ。そして、その答えこそが新たな手立てだった。――本が消えたのだ」
彼はそう言って面白そうに告げる。
「昨日まではそこにあったはずなのに、誰一人その本のことを覚えていない。ソレを記した人物が誰であったかも誰も知らない。それは我々だけの話ではない。日本にいる誰もが、いや、世界中が、現存する全てのデータベースからその書籍も書いた人物も消えてしまったのだ」
「どうして貴方達はそれがわかったの」
藤村先生の問いかけに、彼は答える。
「我々はどこにでもいる物だ。ここにいたようにね。もちろん、碧眼のお嬢さんの部署にもいる」
「貴方達はソレを上司に報告した」
海野さんが淡々と口を開く。彼女の右手はまだ刀の柄にかかったままだ。
「ああ。そうして我々に下された使命は一つ。武力を持って歴史を改変するのなら別の部署がやかましいが、全てが忘却するこの方法なれば誰にも気づかれず歴史を変えることが出来る。だから、我々の上司は我々に使命を下した。これを使って歴史をかえよとね」
「……そうも大々的に告げて良い物なのか」
「かまわん。どうせその本がなくなれば、それに関連した出来事も消え去る。故にこのことも消えるだろう」
彼の言葉に館長が口を開く。
「その話を聞くに――貴方達には侵蝕を管理する手段があるように聞こえるが」
「いるじゃないか、管理できる特務司書が」
彼はそう言って陽炎をちらりとみた。彼は笑顔を浮かべたまま本をチラリと覗かせた。その本は見たことがある。按司君がよく連れていた――というよりは、初期文豪のオダサクさんの本だ。館長が顔をしかめた。
「まさか」
「そのまさかだ。特務司書だけでは意味がない。何人かの文豪が快く承諾してくれてね」
男の言葉に、僕らは動きを止める。太宰先生なんかも目をまん丸にした。ここには坂口先生を覗く按司君の第一会派がいない。となれば答えは一つだけだ。彼らは全員向こう側についたということだ。男は僕らの心情をよそに、言葉を進める。
「どうする? 協力してくれるのならば、君たちに対する手当は増量するし、この図書館への予算も増やそう。なにより、文豪だけでなく特務司書も消えなくてすむ」
「消えなくて――」
「一人の男の履歴書。かつて私とは水と油だといわれた人物がいたのだがね。私はソレを侵蝕してみたのだが、面白いことにその男は消えて見せたのだ」
彼はそう言って悪役のような笑みを浮かべた。館長がただただ呆然と口を開く。
「――なんだって」
「ただ、困ったことに男はいたという記憶は残っているが。まぁ、それは我々でなんとかなる。失踪でも心中でも事故でも、なんでもね」
「でもどうやって侵蝕するんですか。虫のように本から本に移るだなんて聞いたことがない」
棋院くんの問いに彼は小瓶のような物を取り出した。どろりとした液体である。インクにみえて、僕は「インク?」と首をかしげた。彼はそう見えるだろう?と尋ねた。
「君たちが相手にしている物だ」
「それが侵蝕者だっていうのか?」
「ああ、その通り。先天的な物、後天的な物。理解が出来ない物の全てを錬金術と人は言うが、我々が扱う物も錬金術に含まれる。これは我々の錬金術で取り出した物だよ」
彼はそう言って小瓶の蓋を開ける。それと同時に小さな音、立川さんの小さな悲鳴がして、僕ははっとしたように振り返る。立川さんが大事に持っていた本がない。男の方を見れば黒い頭巾をかぶったヒトがその本を男に差し出しているのが見えた。男性がその小瓶の中身を少しだけ本にたらす。ほんの少量だったというのに、ページ全体にしみこみだしたそれ。ゆっくりとページに書かれていた文字が崩れいていくのがわかる。綺麗に綴られていた文字がでたらめに崩れて消えていく。ソレを見て誰もが小さく息をのんだ。
――あれは、本物だ。まぎれもなく、侵蝕者だ。
ソレを理解してからは早かった。海野さんが素早くそれを奪い取ると、立川さんの方に投げる。立川さんの前にいた啄木先生がキャッチした。
「た、啄木さんたち、潜書! そのまま頼みます!」
そう素早く潜書させた立川さんに男はクツクツ笑う。
「どうだ、これで理解しただろう」
理解するしかない。目の前で起こってしまえば、嫌でもわかってしまう。アレは本当に侵蝕者らしい。男は別のヒトから封筒をうけとった。中にあったのは恐らく履歴書だろう。そうしてソレを持ちながら僕らに尋ねる。
「此処には君たちの履歴書がある。コレに少しでも瓶の中身を垂らしてしまえば――あの男と同様に君達は消えてしまうだろう。さて、諸君、どうする?」
その言葉に館長は一瞬迷ったようだった。目を泳がせた彼に、僕は何にも言えなかった。今回は――彼には命がかかってしまっている。僕を合わせた五人の命がかかっている。抵抗するように、佐藤先生が海野さんを掴んで背を隠すのが見える。萩原先生が「消えないで」と立川さんにすがる。中野先生が二人を隠すのも見える。太宰先生が小さく「なんだよ、それ」とつぶやくのもきこえる。
「ただの脅しじゃんか!」
「いいや、これは交渉だよ」
「これのどこが交渉だよ! ここでうなずいたって、先延ばしにされるだけなんだろ!」
俺は知ってるんだぞ、といわんばかりに太宰先生が告げる。
「まさか、オダサク達もそうやって脅したんじゃないだろうな!」
「心外だな、彼らはこんなことをせずともうなずいてくれたさ。君はどうする?」
男は太宰先生に尋ねる。太宰先生は身を固めた。佐藤先生の顔から血の気がひくのが見える。間に入る井伏先生はいない。海野さんが心配して菜乃花と一緒に本丸にいるように告げたからだ。太宰、とちいさくつぶやいた佐藤先生をよそに、太宰先生はぐっと手を握った。
「――俺は、そこにいる司書のことなんも知らない。だって、アイツの会派の中で一番最近来たんだから、当たり前だろ。遊びに行ったこともなけりゃ、会話もあんまりしたことがない。そんな奴に信じろって言われても困る」
こぼされたのは彼の本心だろうか。
「でも、俺はアイツを信じる。アイツを信じるっていうよりは、アイツを信じている安吾やオダサク達を信じる。だから、俺はアイツに言われたもう一つの言葉を信じ――」
「――お断りします」
太宰先生が何か言う前に、ばっさりと断りを入れたの棋院くんだった。太宰先生をかばうように一歩前にでた彼は口を開く。
「俺はお断りします。俺は今のこの国の為に特務司書をやってるわけじゃない。そもそも、貴重な本をそのように扱う貴方のような人について行こうとは思いません。俺は上司が館長だから特務司書になっただけです」
彼はまっすぐだった。とても。でも、手が震えてるのが見える。無理をしていると理解した。でも、きっと、彼は守ろうとしているんだと僕はわかった。それはきっと、坂口先生や――オダサクさん達も同じなんだろう。彼らはただ、按司くんの居場所を守ろうとしているのだ。男は棋院くんをみる。
「今のためではないなら、なんのために特務司書をしている?」
「――この国の未来の人のために俺は司書をしています。ひとつの本を無価値だというひともいれば、重要だという人もいます。嫌いだという人がいても、好きだと言う人も必ずでてきます。しかし、その全てが本が存在するからこそおこることです。俺は一人でも多くの人が一つでも多くの本に出会うために司書をしているんです。それは国の為じゃない。強いて言うなら、顔も知らない誰かのためだ。そして、僕の友人も、その為に特務司書になった。だから、俺は此処を守る。彼が帰ってこれるように」
彼の言葉に男は誰のことか察したのだろう。面白そうに、「陽炎のことか!」と声を上げた。
「陽炎は自分を持たん。お前達が聞いた言葉は陽炎が扮した誰かの言葉に過ぎない」
「そんなことは絶対にない。アレはアイツの『言葉』だった」
棋院くんはそう言って否定した。棋院くんは
「――俺がアイツと特務司書になった時、言われた言葉を信じている。最初は太宰先生と同じように、何言ってるのかわからなかった。いきなりすぎるんだ、何もかも」
ね、と棋院くんは太宰先生を見る。太宰先生もまたうなずいた。言葉。按司くんが彼らに残した言葉。男は笑った。おかしな者を見ているかのようにわらった。
「お前達は何を聞いたと言うんだ」
「按司隼人の秘密だよ」
棋院くんの言葉に男は動きを一瞬止めて陽炎のほうを見た。棋院くんは少し笑みを浮かべて、太宰先生は叫ぶように告げる。
「――按司隼人は帝国図書館を決して裏切らない!」
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