十七
――全ては一瞬のことだった。陽炎と呼ばれていた青年が見慣れた姿に戻るのも、彼の近くにいた黒い人が壁にぶつかるのも、履歴書を奪った彼が棋院くんの前に立つのも。唖然とした男をおいて、彼は何時ものように面倒くさそうに頭を掻いた。
「もうちょっと茶番に付き合ってくれても良いだろ」
彼はそう言ってため息をついた。その姿は何時もの按司くんである。腰に手を当てた彼は男をみて見下したように笑った。なかなかに悪い顔である。それをみて男はわなわなと怒りをあらわにした。僕達は彼をただただ唖然と見上げるだけだ。彼は小瓶を指さして口を開く。
「アンタが扱えてる振りしてるモンはちっとも扱えてねぇからやめといた方が良いぜ。今の段階だと紛れもなくどこぞの国の二の舞になるからな」
「二の舞だと?」
「何処かの国じゃ、アンタ達が考えていたことを実施しててんやわんやだ。日本人の錬金術師が持ち込んだ『転生』という物によって最近は落ち着いては来たみたいだけどな。はっきり言って今の時点じゃ特務司書でも侵蝕をコントロールは出来ない。アンタ達が考えてんのは絵空事ってわけだ。ちなにみ、アンタが持ってんのは俺がすり替えといたただのインク」
彼はそう言って肩をすくめた。館長が気を取り戻したように彼を見る。
「では、文字が消えたように見えたのは、」
「俺の忍術だな」
「あのインクを何処にやった! アレは我々が苦労して作り上げた物だぞ」
男性の言葉に、按司君は哀れんだような顔をした。失敗したんだろうか。どうだろうか。僕は答えを求めるように按司君を見る。
「失敗したのかい?」
「いいや、侵蝕者の抽出自体は成功したらしい」
「らしい?」
「俺もまだ詳しいことは聞けてないんだが、侵蝕された実験成果に乗り込んだオダサク、乱歩、多喜二、敦が調べてくれた。だが、なんとなく答えはわかる」
そう言って按司君は壁にぶつかった人達を見た。海野さんが何か察したように手を宙に延ばしたのがわかる。その人達がぶつかったあと。そこに広がっているのは黒い液体だ。
「――まさか」
文豪の誰もが声をそろえてつぶやいた。動き出したその人達に海野さんが刀を抜いてきりかかる。が、それはべたり、と黒い液体を彼女に撒き散らしただけで終わる。黒い液体を垂らした彼らは――彼女を見下ろした。遼! と佐藤先生と菊池先生が彼女を引っ張る。間一髪で回避した彼らに、館長が按司くんをみた。按司くんはそれに答えるようにたたずまいをなおした。
「公安隠密局兼任、公安隠密局兼任帝国図書館特務司書より帝国図書館館長並びに審神者各位ご報告いたします。あぁ、これ思ってたより面倒くせぇな。アレが侵蝕者だ」
そう言って彼は余裕綽綽とした態度で腕を組んだ。慌てるのはこちら側である。
「侵蝕者がなんで現実にいるのさ!」
「誰かが偶然忍術――錬金術を組み合わせて連れてきちまったんだろ」
按司くんの言葉に男が嬉しそうに笑う。その構図は、物語において昔から繰り返される構図であるに違いない。
「いいぞ、いけ、お前たち、アレらを全て消せ、消すんだ!」
そう告げた男に、彼らはぐるりと彼に視線を向けた。燃え上がるような黄色い炎を灯した彼らは男に近づく。文豪達は顔をしかめるだけで動こうとはしなかった。僕たちも動けない。こういう時に動けるのは海野さんと按司くんだろうが、海野さんはただただ目を見開いて佐藤先生に隠されているし、按司くんは表情を落としたようにそれをみているだけだ。彼らが炎を振り上げる。立川さん達が小さく悲鳴を上げる。
しかしながら、そんな中を駆け出した青年――棋院くんに按司くんがあの馬鹿とぼやくのが聞こえた。棋院くんが男を庇うように前に出る。それらは炎を振り落とす。按司くんが音もなく彼らの前に立つと、オダサク!多喜二!とその場にはいない文豪の名を呼んだ。 その瞬間、青い光と共に足元近くからオダサクさんが、宙からは多喜二先生が現れる。二本のナイフを構えたオダサクさんは、そのまま低い位置から飛び上がるように片方の首にナイフを突き刺し――もう片方は多喜二先生が薙ぎ払うようにハサミに似たその武器で斬って見せた。
バシャン、とインクが弾けるように炎を掲げていたモノたちが散る。あたりに散らばったインクは、まるでその存在がなかったかのように消えた。少しの静寂が訪れる。安堵したような、そんな静寂が。しかしながら、その静寂を切り裂く声が響いた。
「おい、陽炎、何をしてくれている!」
庇った棋院くんを押し除けた男は按司くんをみた。見るからに按司くんの機嫌が悪くなるのがみえる。すっと表情が消えた彼は、男を見下ろした。
「アレは我々の、公安隠密局の切り札となるものだ!」
喚き立てた男に、館長が口を開く。
「狙われてまでそんなことを言うのか。身を挺して守ってくれたことに対するお礼さえも貴方は言えないのか !アレは利用できるものじゃない!」
館長の怒号が響く。男は按司くんから館長に目を移す。
「お前たちがきちんと研究していればこうはならなかった!」
――とんだ言いがかりである。そんなことは言えないけれど。
「我々は兵器のために研究しているんじゃない! 未来のために、文化的遺産を残すために研究をしているんだ!」
「私たちにそんな口を聞いて良いとは思ってるのか!? 利益にならない奴らだと判断すればどうなるか、わかっているのか?」
そう喚いた男に、「彼らが利益にならないと?」と低い凛とした――第三者の声がする。僕らが振り返れば、着物をきた男性がそこにいた。顔は薄い布で隠されていてみえやしないが――その声に、按司くんと海野さん、そしてあの男も反応した。
「八幡の君?」
「あんたは――」
二人の言葉をよそに着物を着た男性は下駄を鳴らして館長の隣に並ぶ。
「いや、まさか。お前がそれほどまでに目先のことを考えられない人間だとは。彼らはこの国の利益になる。今は無益だとしても、長い目で見ていればソレはまさしく有益だ。償わなければならない過去でも、無くした方が良い事件でも、それらは先を繰り返さないための布石になる。ソレを利益と見なさず、なんとするんだ」
そう告げた男性――海野さんが八幡の君と呼んだ人物――は男を見る。男は恐れたように見えた。
「お前は消えたはずでは……おかしい、なぜ、お前の経歴は」
「ソレを志免、お前が知る必要などない。そして詳細に語る必要もない。ただ、一つだけ教えてやろう。お前の上司――今の政権はスキャンダルに追われるぞ。退陣するのも時間の問題だろうな」
小さく端末が鳴る音がする。ソレを見た男が血相を変えて――その場から消える。僕らは唖然とその様子を見た。もう一度海野さんが八幡の君? と呼ぶ。彼はその声に人の良い笑みを浮かべた。
「海野くん、この姿でその名を呼ぶのはやめていただきたい。それは審神者としての名であり――君にとっては『海碧の君』と呼ばれるのと同じだ」
その言葉に海野さんが苦い顔をした。ソレを見た彼はそっと息を吐いて館長に向かい合う。館長が眉間に皺を寄せた。しかし、ソレを見てすぐに、彼は頭を下げたのだけど。
「申し訳ございません。こちらの不始末であなた方を脅かしてしまうとは。公安隠密局を代表し、お詫び申し上げます」
「――貴方は」
「私は石清水と申します。ただの――しがない忍です」
「どの口がそんなこと言うんだよ。館長、この人はアイツの前に一番上にいた人物だ」
館長の問いにちゃんと答えたのは按司君である。石清水と呼ばれた男性が肩をすくめる。
「今はそんな肩書きはないぞ、按司隼人」
「――てっきりアンタは歴代に習って死んだかと。ちょっと探っても痕跡もクソもなかったしな」
「ああ、履歴書を侵蝕されてしまったからな」
彼はそう言って冗談めかして笑う。笑い事じゃないのでは、とつげた立川さんに僕も同意した。しかしながら、按司君は眉間に皺をよせて告げた。彼が指を鳴らせば、どこからか乱歩先生と中島先生が現れる。困ったように笑った中島先生に、乱歩先生が帽子のつばをあげた。
「一杯食わされてしまいましたよ」
「ってことは――あんた、そう見えるように改ざんしたな?」
「お前がまさか文豪達を使ってまで俺の経歴書を元に戻そうとおもうとは思わなかったからな」
石清水さんはそう言って肩をすくめる。按司くんは不服そうに口を開く。
「俺が思うにアンタが一番マシなんだよ。つうか、やっぱりたかだか履歴書が侵蝕されたぐらいで人間が消えるわけねえんじゃねえか」
「どうやらこの方は、彼にそう思わせる様に消えて見せたようですよ」
「おっと、江戸川先生、ソレは少し違う。偶々タイミングがかみ合っただけだ」
「偶々、ねぇ」
按司くんは納得していないようである。海野さんが按司くんの対応に目を白黒させている。こそっと立川さんがえらい人なの?と聞けば彼女はうなずいた。ソレを見て、按司くんはまた彼に問いかける。
「アンタ、オレ達を陽動に利用したな」
「疑問ではなく確定か。だが、それは結果的にそうなったとしか答えられない」
彼はあっけらかんと告げる。
「遅かれ早かれ、この国でも『侵蝕』を利用しようとする輩は現れる。侵蝕されていしまえば存在そのものが消える。それは文化的な面を見ると間違いなくマイナスだが、戦略的な面で見ると間違いなくプラスだ。人を殺さずとも人を消すことができる。情報そのものの存在を消すこともできる。お前や俺の扱う忍術のように上辺だけの改ざんにはならない。その存在自体が消えるのだから改変とはまた違う結果になる。あの男の思想もある意味は正しい」
彼は淡々とそう告げた。これは俺の推測になるが――と彼は付け加えるように告げる。
「上層部はこの図書館を見極める必要があったんだろう。錬金術師の集まりに独立帰還として認めるだなんて、陰陽寮を野放しにするような物だ。それに、フランスの前例もある」
「――フランス?」
「あの国は侵蝕が早い段階で確認され――錬金術師がその有益性に気づき、利用しようとした。その顛末は館長、貴方が一番知ることだろう。まぁ、何はともあれ、貴方達がかの国の二の舞をふむような人たちであるかどうか、試したかったんだろうな。未来を知る人物には貴方達が独立機関として存在するのは当然であるが、今を生きるオレ達にとってはソレが正しいことなのかわかることはない」
「もし、俺達が彼らに賛同していれば――」
「オレ達が殺しただろうな」
棋院くんの問いにはっきりと断言した彼に、真剣な目で告げてみせた彼に僕は身震いをする。彼は恐らく本気だ。そして、彼にはその手段がある。
「それでも、按司隼人はそちら側にいただろうが」
「――ソレが貴方が下した命令でしょう」
按司君はそう小さく告げた。
「按司隼人として棋院勇気に出会うのも、帝国図書館に特務司書として赴任させるのも、恐らくはこの事件さえも『日本』という国が描いた物語でしかない。『按司隼人』はこの国が作り上げた『登場人物』でしかない。物語が終われば、登場人物は不要だ」
按司君はそう言って、目を伏せる。
「この事件を持って、この図書館の――文豪と特務司書の有益さはこの国に証明できた。この図書館のあり方もまた棋院と館長の言葉によって証明できた。だからこそ、『按司隼人』の物語は幕を閉じる」
「――そうだな。だが、幕を閉じるのは『按司隼人』の物語じゃない」
彼はどこからともなく紙を取り出す。何もしていないのに燃えていくその紙に、按司君はただ呆然とそれをみた。
「そ、れ、は」
「お前のこちら側の経歴書だな」
彼はそう言って肩をすくめる。
「お前はいったな。たかだか履歴書や経歴書が侵蝕されたぐらいで人間が消えるわけがないと。だが、消える人間は消える。とくに、表側で生きていない人間なんざそうだ。全てが隠されていることだからこそ、その証明がなくなればあっけなく消えてなくなる」
彼が紙から手を離す。最後の破片が燃え尽きて消える。
「しかしながら、表側に生きる人の証明はそうではない。なぜなら自分と行動の結果のみではなく、不特定多数の人との関わりがその人物の証明となるからだ。按司隼人の証明を消すには、この図書館を消すしかない。しかし、それはこの国にとって不利益になる。俺は公安隠密局の上司として、お前に最後の指名を下す。お前は『特務司書・按司隼人』として歴史に名を刻め。負の遺産は影が連れていく」
そう言って、彼はまるで蜃気楼のように揺らいで――消えた。いなくなった男性を探すように見渡してみたけれど、彼はどこにもいない。館長は息を吐いて、按司君を見た。僕もつられるように彼を見る。彼は石清水と呼んだ男が消えた先を、子供のように見つめていた。置いていかれた子供のように。館長はそんな蹴れに、おおらかな何時もの笑みをうかべて彼の肩を叩いた。
「おかえり、按司くん。帝国図書館館長として君を再度歓迎するよ」
その言葉に呆然と館長を見た按司君は今まで見せたことのない表情を見せた。彼の目元から流れたのは間違いなく涙だ。彼はソレを止める手段を知らないように――そもそも、それがどういう物かも理解していないようにもみえた。ホッと息を吐いたのは按司君の会派――その中でもオダサクさんと坂口さんだろうか。
「お司書はん、男前が幻滅でっせ」
そう言ったオダサクさんは按司君の肩に手を置く。泣き止め泣き止めと頭をぐしゃぐしゃと撫でたのは坂口先生だ。按司君は袖で涙を拭って、息を吐いた。そして震えるようなこえでつぶやく。
「――アンタ達、本当にお人好しだな。会派の奴らも、本当に。俺は裏切り者なんだぞ」
「いいや、君は裏切ってない。助けてくれたじゃないか。それだけでも、御の字なのに、味方といってくれただろう?」
「良いとこ道化師といったところですね、司書は。悪役にまるでなりきれていない」
乱歩先生がそう告げる。館長もうなずいて、そうだな、とつげた。
「君の居場所はここだ。いつも通り、ここなんだ」
その言葉に、按司くんが安堵したように見えた。多喜二先生が、小さく良かったな、とつげる。中島先生も、にこにこと笑っていた。
「だが、説教をしないとは言ってないぞ」
館長の言葉に按司くんは身を固めた。オダサクさんが割り込むように、彼の前に立ったのだが。
「まぁまぁ、館長。そんなこといわんと――なにより、一番は違うやろ」
オダサクさんがそう言って按司君の方向をくるりと帰る。そこにいた棋院くんがにっこりと笑みを浮かべた。
「おいまて」
「わかってると思うけど、本当は手は嫌なんだ。突き指するとピアノが弾けなくなるからね」
「――棋院、まて、よせ」
青い顔をして首を左右に振った彼に立川さんと僕が首をかしげる。
「え、なんでそんなにおびえてるの」
「おおかた、按司本人が棋院に何か教えてたんでしょうね。棋院、木刀、竹刀、竹槍何でも貸せますよ。そういえば、私も被害を被りました。二回も。私も何かするべきと言いたいですが、棋院に任せましょう。菜乃花達を迎えに行かなくては。刀剣達も回収しなければいけませんし。棋院に権利を譲渡します」
「棋院せんせ、振り回されたワシらの分もたのみますわ」
オダサクさんはニヤニヤと笑いながらそう告げる。棋院くんは押さえられた按司君に近づき――渾身の一撃を彼に食らわせた。
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