小説家は模造品を評価するか(9)

 
 部屋に入った瞬間、足元から崩れ落ちる。どっどっとなる心臓を落ち着かせるために、座り込んで頭を抱える。頭がいたい。吐きそうだ。まさか自分の小説を元に死体を彩られるとは思わなかった。しかしながら、これは私のミスだ。小説の欠番を欠番のまま放っておいた私の。
「さいあくだ……」
 環ナマエのトリックは現実で同じようにできない。それは複雑な過程の元、犯人の荒が出るように設計されているからだ。それに生きている人間が、頭に描いた行動と同じ行動を取ることなどほとんどない。咄嗟の判断や状況でそれらは変わるのだから。現実で行うよりも、紙面に落とす方がどれだけ楽だろうか。それに、第一として、人は殺してはいけないものだ。
 そうだというのに――美しいと感じてしまった。彩られた死体を。犯人が自分の考えた行動をとったことを快感だと思ってしまった。そう感じた自分がとても恐ろしかった。長年心の中でせき止めていた何かが溢れ出しそうな感覚である。まるで、トリガーを引きそうな。
「先生?」
 数回のノック音とともに聞こえてきたのは賢一くんの声だ。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫、ですよ。貴方は心配性ですね」
 そう言って立ち上がる。彼を招き入れてはいけない。何故なら彼を招き入れては最後、彼は欲しい言葉(欲しくない言葉ともいうが)を必ずかけてくる。
「その声は大丈夫な声ではありません」
「貴方の気のせいですよ」
「いいえ、気のせいではありません。僕は貴方のそんな声を初めて聞きました」
「それは貴方の知らない面がまだあるということで」
「……先生」
「なんですか」
「これは先生の責任ではありませんよ」
 ほうら、きた。彼は平然とそういうのだ。七海ならば言わないであろうことを、彼はしおらしい声で、しかしながら真っ直ぐな声で告げるのだ。
「こんなの、やった方が悪いに決まってるのに、先生が悪いわけがないでしょう」
「世の中では犯罪を唆しても」
「貴方は唆していない」
「計画を立てても犯罪になるんです」
「犯人の計画にたまたま貴方の小説が使われただけだ。貴方は悪くない。先生、僕を部屋に入れてください。貴方の様子はやはりおかしい」
「大丈夫ですよ」
 話を変えろ。思いついたように、話を変えろ。声を明るくして扉の先の人物を欺け。そう念じて口を開く。
「貴方が暇だというならば、少年探偵団に付き合ってあげてくれませんか?」
「……彼らに?」
「探偵ごっこ、してるでしょう?彼らは小説のように犯人をきっととき明かすつもりです」
「しかし……」
 少しの沈黙、そして、彼はため息を吐いた。
「わかりました、貴方の頼みなら」
「……貴方は優しい人ですね、賢一くん」
「……僕は優しくなんてありませんよ」
「いいえ、私にとっては十分に優しい方ですよ。私のわがままを聞いてくれますしね。では、彼らを頼みます」
 出来るだけ明るい声を出す。
「先生、僕のわがままも一つだけよろしいですか?」
 その問いかけに、私は目を伏せる。
「内容によりますね」
「――僕が心配なので、少しだけ――」
「大鷹大翔」
 不意に第三者の声がする。賢一くんは、飯塚龍一、とその誰かを呼んだ。
「高宮一葉はまだそこにいるか」
「えぇ、こちらに……何か?」
「別室でもう一人発見されたんだ」
 ずきりと頭が痛む。
「だが、俺には該当作品がわからない。彼女なら分かるかと思ったんだが」
「どこで」
「西棟の方だ」
「少年達はそちらに?」
「あぁ、飯塚ヤマトと一緒にな」
「先生、僕が見てきます。貴方はここに」
 そう告げた彼はそのまま去ったのだろう。足音が遠のいていくのが聞こえる。
「高宮一葉」
「なんですか、飯塚龍一」
 刺々しい返事をしてしまったな、と思う。それを聞いて、彼は息を詰めたようだった。しかし、すぐに声が変わる。
「……ナマエ、大丈夫か?」
 その声に安堵する。聞き慣れた声――七海の声だった。
「……大丈夫、じゃ、ない、」
 振り絞った声にずるずると丸くなる。大丈夫なはずがない。扉を開けて今すぐにでも縋り付きたくなるような感覚だ。彼はその言葉にだろうなと小さく告げた。
「だが、ナマエ。現実から目を背けるな。起こってしまったことは変えられないなんて、お前が一番わかってることだろ?」
 ほうら、彼は賢一くんのような言葉は決してかけてくれないのである。震える手をグッと握る。ああ、こうしていてはいけないのだと自分に言い聞かせる。
「……再推理シリーズは全部目を通してるんですよね」
「あぁ」
「あのトリックはわかりますね」
「まかせろ。お前の作品のトリックは全部知ってるからな」
「まぁ、名探偵と少年探偵団の活躍に期待しますよ」
「そうだな」
 そう言って、七海がコツリと靴音を鳴らす。誰かの声で、協力は得られないか、とぼやいた彼はそのまま立ち去った。私は部屋に鍵をかけて眠るとする。七海が動くのであれば大丈夫だろう。


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