序章(終)

 ――赤い夢を見る。熱い。痛い。でも気になんかしていられなかったのだ。私はただ、死なせたくなかった。そのトリックで誰かが死ねば、彼女は人殺しという世間の認識になってしまうのだから。だから、制止を振り切って中にいた人を引っ張り出す。自分の火傷など気にせず、体が燃えることも気にせず。
 引っ張り出したそれは生きている。生きていたのだ。スタッフが火を消した段階では。誰かが私を引っ張って、私についた火を消す。痛みなどもやは感じない。ただ、私はその現実を受け入れなかった。
 ――誰かが私が仕組んだことだと告げた。それはそうだった。重傷を負った人間は母親の敵なのだから。でも違うと庇ったのは紛れもない学園で出会った彼や友人、恩師だった。そうして私に渡された母親の残したもう一冊の手帳。私の手帳にはないトリック。それをみて、私は理解する。
 ――母親は彼らを殺すつもりだった、と。そして、それを公表したマスコミは彼女を。
 違う、違うのだ。母親は――近宮玲子は最高の奇術師なのである! 人殺しではないのだ! 違う、違う、違う! 母親は人殺しなんかではない! だから、こんなトリックは、あってはならないのだ!
 そうわめいたって誰も私の言葉に耳を貸さない。母親は――奇術師などではなく――。
「――ナマエ!」
 そう呼ばれた名前に景色が暗転し、私は目を開ける。七海が心配そうに覗き込んでいる。夢だと自分に言い聞かせる。こぼれてくる涙を隠すために腕を顔の上にのせ、小さな嗚咽を漏らす。
「違う、母さんは人殺しじゃない」
「……」
 決まって彼はこの言葉に肯定してくれない。何故なら母親が作り上げ――私のトリックノートに書かれていないトリックで彼らの中の一人が結果的に殺されたからだ。
「違う、違うんだ。母さんは最高の奇術師なんだ。ああなるくらいなら、母さんが人殺しだと言われるくらいなら、何もない私が殺せばよかった、私が殺せばよかったんだ」
 パニックになっているんだと、どこか遠くを見るような感覚で理解はしている。理解はしているが、まだまともな部分は動けそうもない。ゆっくりと腕が退けられる。ぼやけた視界に映り込んだ七海は私の髪を撫でた。そして、目をぎゅっとつぶってから明るく笑うのだ。
「……また嫌な夢見たんだな! 仕方ねぇなぁ、ほら、こっち向けこっち!」
 そう抱き寄せた彼にしがみつく。
 助けてほしかった。母親は人殺しではないと誰かに言ってほしかった。あの事故は夢なのだと言ってほしかった。しかし、その願望を否定するのはあの事件を忘れた大衆なんかではない。いつも、現実から目を背けられない自分自身なのである。


 目が覚めたら隣に人はいない。少しさみしく思いながらベッドから起き上がる。そのまま着替えを持ってお風呂場に直行する。キッチンから鼻歌が聞こえてきているあたりまだ出勤していないらしい。シャワーを浴びて着替え、そのままキッチンダイニングへ行けば朝食が並んでいた。なるほど、和食。
「お、目が覚めたのか」
「さっきね。何時も軽食とコーヒーありがとう、助かる」
 そう言いつつ席について彼を眺める。ああそうだ、まだ言ってない言葉があった。私は彼に向かって言葉を投げかける。
「ただいま、光太郎」
「ああ、おかえり、ナマエ」
 振り返って笑った彼に私も笑う。そこでようやく私は幸福を感じるのである。

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