「花森には言ったの?」
喫茶店のソファに腰かけてそう尋ねる。オレンジジュースだなんて色気もくそもない子供のようなモノを頼んだナマエは少しの沈黙のうちに言葉をつげる。
「椿くんに頼んで手紙を渡してもらった。読んでるなら知ってるだろうし、読んでないなら知らないと思う。蓮はまだ知ってる場所にいるし、面と向かって言うつもりではいたよ」
「つもりねぇ」
その決心がいつついたのかは知らない。最初は見るからに俺におびえていたようだが。これが花森なら少し違った結果になっていたのだろう。アイツは見事こじらせているように見える。面白くないから口には出さないが。
「そのわりには俺にビビってたみたいだったけど」
「どう切り出せばいいかわかんなかった。失望されてるのも裏切ってるのも理解してたし、最悪ただの言い訳にしか聞こえないじゃん」
どうもナマエは理解しているらしい。俺は少し眉間にしわを寄せて口を開く。
「お前な、そう思うならさっさと言ってくんない?」
はーあ、なんでまたこんなタイミングかね。そう呟いて、俺はナマエから視線を外して、外の景色をみる。あまり人気のない場所だからか人通りはかなりすくない。
コイツは俺の決心になんというだろうか。あの夢のように引き留めるのだろうか。
「……俺も今回ダメならスパイク脱ぐし」
俺の言葉にナマエは心底驚いたような顔をしたのが窓ガラス越しに見えた。それはどういう意味だと俺はナマエを見下ろす。ナマエはただただ不思議そうに俺を見上げた。
「てっきり、蓮は死ぬまでフットボールをやり続けると思ってた」
なにそれ、と返事をする。だが、わかる。おそらく、コイツが知る年を重ねる前の俺ならばそうだろう。死ぬまでフットボールを続けるというだろう。ナマエは言葉をまた続けた。
「なんだろう。勝手な想像? 蓮にスパイクを脱ぐっていう選択肢があるんだ」
「……お前、俺を何と思ってんの?」
自分は超人ではない。マスコミが囃すような決して不死鳥ではない。ただの人間だ。ナマエは何を言っているのだという風に首を傾げた。
「蓮は蓮でしょ? まぁ私は最近の君はテレビでしか見てないから詳しくないけど、私の中の蓮はフットボール大好きで誰より上手い王様だから。なんだろうね。それ聞いて普通の人間だったのかって、びっくりしちゃった」
そんなことを思っていたのかコイツは。俺はきっと変な顔をしているだろう。俺の一大決心を成田さんと同じようにコイツは流そうとしている。
「……止めないわけ?」
「止めて欲しいの?」
その答えは俺は持たない。言葉に詰まる。ナマエは言葉を続ける。
「そりゃあ、欲を言えば蓮とハナちゃんはフットボールできない私の分までフットボールして欲しいよ」
――自分勝手な願いである。それを理解しているのかナマエは口を開いた。
「でもそれはそれ。他人は他人、自分は自分じゃん。私の意見に蓮の意志が左右されることじゃないよ」
それも、そうなのだが。そういえばコイツは滅多に否定はしないのだ。だから花森もなついていたように思える。天才というアイツに俺が下手くそといっても、ナマエは認めていた。まあ、最後はだいたい三人全員天才だと大雑把にまとめていたが。恐らく、コイツはおそらく自分の意志はどうであれ相手の意見を一度は肯定する。そんなこと、
忘れていたことだ。現実では夢の中のコイツのように引き留めることは恐らくしない。
「蓮は私みたいに医者に止められたわけじゃないんでしょ。自分のことを自分で決めれるなら、他人にとやかく言われたって自分で決めるべきだよ」
「……あっそ、」
ほら、やっぱりだ。ナマエから視線を逸らす。
「お前さ、いつ死ぬの?」
「知らない。でも、蓮達よりは短いよ。あとは神様の気分次第じゃない?」
ナマエはそう言って笑う。その笑みは子供のようなそれではない。大人になりやがって、とコイツは俺に告げた。しかし、コイツのそういう動作に、コイツも大人になったのだと俺も思うのだ。死んでも口には出さないが。
「でもまぁ、畳で死にたいとか、ベッドで死にたいとか、そういう願望を言えるのなら私はやっぱり最後にフットボールして死にたいね」
「はぁ?」
――コイツは大人になっても、昔となんら変わらない。結局どうしようもないフットボール馬鹿だ。
最後の最後に告げられたその一言に、俺がそう結論づけるのは仕方がなかった。女ならもっと他にあるだろうとは思うが、それは言わない。向こうが言わないように。
「君達が許してくれるなら、二人揃って青いユニフォーム着た後にさ、やっぱりちょっとでいいから私は君たちとフットボールしたい」
「……何プレーできんの、お前」
「ドクターストップはかかってるけど、ミニゲームならこの前ちょっと遊ばせてもらったよ」
誰と。そんな子供みたいな文言は言わない。
「まぁ、やっぱり最後は薬に頼ったけど。でも、別に私は二人とフットボールできるならそこで死んでもいいかな」
本当はさ、諦めるつもりだったんだよ。
ナマエはそう言って窓の外を見た。その横顔を見る。それは何度も夢で見た何時かと同じ顔だ。
「でも、こうやって昔みたいに蓮と話してたら、やっぱり死んでもいいからフットボールをやりたくなっちゃった」
おそらくはコイツの本心はこう続くのだろう。
――だからさ、また一緒にフットボールしようね。
俺はそれに返答せずに俺は同じように窓の外を見る。ここに来る前は曇っていたというのに、ビルの隙間から青い空が顔をのぞかせていた。
「そうかい。じゃあせいぜい長生きするんだな」
せっかく再会できて、こうも話ができるようになったというのに。あの頃に戻れたのだと思ったのに。だが、俺にはそれを否定することなどできないのだ。だから、せめてすぐにまたコイツが消える事がないように願う。そんなことは口が裂けても絶対に言わないが。
――まあ、しばらく後にコイツの決意はもう一人によって少し違うものへと変じるのであるし、俺も俺で自分の諦めの悪さに気が付くのであるが。生きてほしいと花森はコイツに願った。コイツは俺にフットボールを続けてほしいと告げた。そんな些細なもので、人の決意を揺るがす時もあるのであれば。
「今までの私の人生半分くらい君とハナちゃんとの約束でしめてたんだからな! 私の人生の責任とれ!」
そうおこったナマエに俺は「ふうん?」と頬杖をついた。なんで得意そうな顔をしているか。無自覚にコイツの人生を俺は占めていたから。十年間、会っていたわけでも連絡を取っていたわけでもない。でも、俺はコイツの人生を占めていた。まあ、正確には約束を考えていたのだろう。それでもだ。
「やっぱりお前は俺が大好きだねぇ」
昔から。最初はただ同年代だった両親の交流だったのだろう。近所にいる同い年。蓮くん、蓮くんと俺の家に遊びに来て、遊びに行って。同じボールを追いかけまわして。同じチームに入って。自転車を二人乗りして練習場に行きコーチにキレられたこともあったし、高校も違うくせにテストの点数を競ったこともあった。ユースでお互いに優勝して調子の乗ったこともある。あんな喧嘩じみたことをしたのに、冷たく当たったというのに。そばにいることを選ぶぐらいには、コイツは恐らく俺が好きなのだ。
「はあ?」
「だって、今のどう聞いても逆プロポーズだろ」
俺の言葉にナマエは少し考える。そうして、子供のように笑った。
「逆プロポーズかどうかは知らないけど、そうだね、私は昔から君のそんなところが大好きだよ」
今度は俺が驚く番だった。ケラケラとからかうように告げられた言葉ではあるが、コイツの口からそんな口説き文句のようなことが出るとは思っていなかったからだ。
「やっぱり、私は君たちが大好きだよ。一緒にフットボールしたいくらいには」
穏やかに告げられた言葉に、その表情に、俺の口角があがる。俺だって、あの頃の約束が叶うのを楽しみにしていたのだ。心の底ではコイツが帰ってくると信じていたのだ。そして、一緒に過ごすのが苦にはならないくらい、一緒にボールを蹴りたいと思うくらい。
言葉にして何か変わるのであれば。少しだけ。
「……ま、俺もお前とサッカーしたいくらいにはお前のこと好きだわ」
そう言って目線をそらす。ナマエは一瞬驚いて、にこにこと笑った。その様子に眉間のしわを寄せる。その時笑っている理由は随分と後に知らされるのだが、俺はまだ知らない話だ。