RE:カルペディエム 05『待つ人』

「私はやっぱり貴方が嫌いなので」
 そう言葉を投げる。彼はそんなことを言わないでくれないかと困ったようにするだけだ。私より少しだけ年上の彼は、いつもそう言いながら隣に並んで、私が見つめるその空白をみつめた。私の待ち人は今年も現れなかった。私の視線の先にある空白。その先にいる人を知らない彼は、どうしていなくなったかを知らない彼は、そろそろ、と口を開いた。
「前に進まないか」
 その一言に私は彼を睨む。あいも変わらず彼は真っ直ぐに私を見下ろすだけだ。

 私は彼が嫌いだった。優等生ぶった発言をして人の神経を逆撫でしていくからだ。いや、正しくは嫌いになった、が正しいのかもしれない。出会った時はそうではなかったとは思う。出会った時に思ったのは優しい人だと言うくらいだろうか。まぁそれも隣に男子の暴君がいたからかもしれないが。彼は優しい人だった。うまくいかない私を見かけて声をかけてくれることもあった。この関係をヴィクトリーにいる二人の暴君によくからかわれてはその度に私は怒って、彼は困ったようにするだけだったのだが。ごめんごめんと宥めるように私の暴君は笑い、実際どうなの? と彼の暴君は私たちに問いかける。何にもないよ、と彼は告げて話をまとめて終わっていたあの日々はもう遠い昔だった。

 ――彼の、男子側の暴君はよく怪我をする。
 それでも、彼は必ず帰ってきた。いつのまにか10番を背負って、何度も外れても何度も帰ってくる。帰ってくると信じていなくとも、きっと彼は帰ってくるし、今回もおそらくそうなのだろう。
 ――それに比べて私の暴君は帰ってこない。
 あの日からずっとだ。彼女に与えられるはずだった10番は度々他人に与えられ、私はずっと十一番で彼女を待っている。キャプテンにまでなって、チームで最年長になった今でもずっと待っている。でも、彼女はいつになっても帰ってきてくれない。

 彼は私の気持ちは分かりっこないくせに、私の気持ちがわかっているかのように話す。諦めたらどうだ、と遠回しに言われた時、私は酷く傷ついたのだ。それは私を十一番にこだわる理由を知った、何も知らない外野はよく言う言葉だったからだ。だから、私は彼を嫌いになった。私に向けられている優しさも厳しさも涙を拭う手も。全部全部嫌いになった。今も嫌いだ。
「何でそんなこというの」
 私にとって彼女とプレーすることは何よりも嬉しいことだったのだ。彼女は憧れだった。昔からピッチを軽やかにかけて、鮮やかに相手をかわし、そうして得点を奪う。こうしたらいいんじゃない? というアドバイスは全部その通りで、私は同じチームに配属になった時とても嬉しかったのだ。一緒にオリンピックにでて、一緒に女子で1番になって。そんな夢を抱いていたのに。
「何も知らない癖に」
 そう言えば彼は困るのだ。私がこうしている理由を彼は何も知らないからだ。困って困って、謝るのである。悪かった、と。でも、今日は違った。私から目を離して、私が見ていた空白を見つめた。
「ここ、誰の荷物なのかと思っていたら、苗字のものだったんだな」
 彼はそう言った。私は彼を見上げる。どうして知っているの。荷物を残していなくなった彼女。前の監督がいつから帰ってくるからと物置にしまい、そして、事情を知る人によって今でもそっと置かれている。今では誰も捨てられないモノに変わっている。いや、私が誰にも捨てさせない。彼はその中に置かれたスパイクを取った。私は慌ててその手を叩く。
「何勝手なことしてるの!」
「葉実」
「ナマエちゃんは、帰ってくるの! 絶対にここに帰ってくるから! 置いといてよ!」
 捨てないで。やめて。私が頑張っている理由を捨ててしまわないで。ヤダヤダやめて、と彼の腕を掴む。目を開いた彼は私を見下ろした。そしてはじめて困ったような顔ではなく、そうか、と何かを理解したような顔をした。スパイクを元の場所に戻して、私を見下ろす。
「――葉実、違う。俺は頼まれたんだよ」
「誰に!」
「持田と苗字だ」
 その言葉に私は彼を見上げた。あげられた名前は彼の暴君だけじゃない。どうして私の暴君がいるの。
「……UAEで苗字が花森に会いに来たんだ。そのあと、持田にそれとなく話を聞けば、最近日本で再手術を受けたらしい」
 『一緒に調整するから、倉庫からアイツのスパイク持ってきて』
 もう一人の暴君はそうこの優等生に頼んだ。男子の暴君はここにあるのが誰のものか知っていたらしい。
 ああ、だから。そこで私も理解する。昔から偶に、彼はここに出入りしていたのを見たのだ。まぁそれは花森圭悟が海外に向かった日を境にパタリとやんだのだが。

 私の視界がぐちゃぐちゃになる。彼女が生きていたのだという安堵と、彼女がフットボールをするという言葉に私はただただ泣くしかなかった。ようやくだ。ようやく一緒に、あの頃みたいに走り回れるのだ。あの当時の仲間の多くは幸せな家庭を持ったり、何かがきっかけでこの場所を去って行ったりしてしまった。あの頃からこのチームに残っているのは私だけだ。
 彼は緩く私の手を引いた。困ったような笑みではなく、穏やかな笑みを浮かべて。
「――一緒に怒りに行こう」
 その言葉に私は彼女のスパイクを持って、一歩前に踏み出す。

 ――私は彼が嫌いだ。優等生な彼は世間的には正しい意見をナイフのように私に振りかざすからだ。でも、それ以上に私は彼が昔から好きだ。最後にはこうして優しく手を引いて、そばにいてくれるからだ。
「ごめんなさい」
「何がだ?」
 惚けたフリして彼は私を見下ろす。私はそれに言葉を詰まらせた。こういう時にもっとぴったりな言葉がある。思い出の中で彼女が私に告げる。
「ううん……望くん、いつもありがとう」
 私がそういえば、彼は一瞬驚いた顔をして、「どういたしまして」と嬉しそうに笑うのだが。




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