「あ、椿くん。個人的でほんっとうに申し訳ないんだけど」
 代表出発前夜である。そう言った苗字さんは鞄から封筒をひとつだけ取り出した。
「これ、花森選手に渡してくれない?」
「え?」
「私の名前を出せばわかると思うから」
 苦笑いした彼女に首をかしげる。まぁ、渡すぐらいならいいだろうとそれを受け取った。渡せなかったら渡せなかったでいいよ。彼女はそう言って俺の背中を叩く。
「楽しんできてね、A代表。絶対楽しいから」



 花森選手に会えたら渡してほしい。渡せたらでいいから。そう言われていたことを別れ際ギリギリに思い出す。それも彼女の言ったA代表は楽しいという言葉を反芻していたから思い出せたに近い。確かに彼女のいう通り、A代表でのプレーは楽しかった。渡せなくても彼女は怒らないだろうけれども。名前で呼んでくれた彼を呼び止めて、あの、これ、と手紙を渡した。
「貴方に渡してほしいって頼まれてて」
「なんだ……ファンレターならクラブを……」
「いえ、あの……苗字ナマエさんっていうウチのクラブの事務員さんなんですけど」
 そう言えば彼は目を見開いて動きを止めた。そして何かを紡ごうとしたがそれをのみこんだようだった。仕方ないから預かろう、と告げた彼は手紙を手に持つとそのまま人混みに紛れていく。なんだなんだと周りが俺を見たが、俺は苦笑いするしかなかった。確かに名前をだせば花森さんは受け取った。でもその関係から関係性が分からないからだ。
「なに? 誰からの手紙? 賄賂か?」
「いえ、ETUの事務員の人なんですけど。花森さんに渡して欲しいって頼まれて」
「ハナのファンか」
「いや……ファンではなさそうな感じだったんですけど」
 そういえば、城西さんや秋森さんたちは花森さんと同世代だったはずである。
「苗字ナマエさんっていうんですけど」
 俺の言葉に、城西さんが目を瞬いた。覚えがあるのかな? と首をかしげる。
「あの苗字がETUで働いてるのか?」
「えっ? あ、はい」
「……そうか、通りで」
「城さんもなんかあんの?」
「覚えてないか? アンダー18まで女子のトップにいた……持田とハナと仲よかった女子」
「あぁ、いたなそんなやつ」
「あー、思い出した。一身上の都合で辞めて消息たった奴か」
「結局何だったんだろうな?」
「デキ婚とか色々噂あったもんなー。懐かしい」
「椿はなんで辞めたかしってるか?」
「えっ、いや……えーと……」
 恐らくその答えは病気だろう。でもそれを答えていいのだろうか。次までに聞いておいて、と言って帰っていく彼らに苦笑いしておいた。




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