9
拝啓、花森圭悟くん。
お久しぶりです。貴方は私のことを覚えているでしょうか。
そんな文言で始まった手紙に口元を緩める。彼女はどうやら元気にやっているらしい。でも、しばらく続いた近況の後、そこに続いた文言に俺は目を見開いた。何度読んでも変わらない言葉。彼女が迷って書いたのも、恐らく文字が滲んでいるのをみると泣きながら書いたのも簡単に想像がついた。ごめんなさい、と書かれた手紙に目を伏せる。彼女は俺たちを裏切ってなどなかったのだという安堵と、どちらにせよ彼女とはサッカーをできないのだという失望。手紙を裏返しても差出人の住所がない。どうやら、俺は返事を書くことも許されないらしい。ため息を吐く。
――あの頃思い描いた未来はどうしようもなく、遠い。
ハナちゃんというのは彼女だけが俺を呼ぶ愛称である。
恐らくは持田が俺をハナと呼ぶからだろう。初対面からハナちゃんと呼んで見せた彼女にハナちゃんではないと言いかえしても不思議そうに俺をみるだけだったのだ。だから、俺が折れた。これも天才の運命かと。諦めて好きに呼べばいいと言えば彼女はハナちゃんと俺を呼んだのだ。
思えば彼女との付き合いは持田に続いて長い。最初は持田のファンの一人かと思っていた。というのは最初に会った時彼女は私服に身をつつんでいて、持田のファンと言われる女子達の中にいたからである。でも、違うのだとわかったのはいつだったか、彼女が東京ヴィクトリーユースのユニフォームをきて現れたからか。いや、同時に開かれていた女子大会、その中に彼女はいたからである。
彼女はサッカーがうまかった。俺には及ばないが持田には及ぶだろう。女子で一番なのは確かだった。男女別であるがたまたま被った代表合宿を抜け出して、三人でサッカーをするのがそれはそれは楽しかったし、恐らく三人でサッカーをすれば世界で一番を掴み取れる気がしたのだ。だから彼女が一緒に同じ舞台でいつかサッカーをしたいと言った時、俺も素直にやりたいと返した。そんなもの、絶対に楽しいに決まっている。そのころには俺も持田も当然A代表にいて、彼女もまた女子の代表にいて、またあのサッカーができるのだと。
――でも、十年前、彼女は消えた。俺にも持田にも何も言わずに。彼女が所属するチームに聞いても、一身上の都合だとしか教えてくれなかった。でもきっと戻ってくると漠然と思っていた。彼女は嘘をつかない。掲げる夢は絶対叶える。そんな人物だったからだ。
だから、俺は待った。俺たちを捨てた、そんな感情を見ないフリをし続けて待った。でもいつからか持田との会話には彼女の話題は上がらなくなり、腫れ物のように触れない話題になった。持田はきっと待つのをやめた。最後に彼女について話した時、彼女に失望して、口だけだといった。持田は裏切ったと思っている。俺はその時なんと返しただろうか。信じると返せていただろうか。そうして、お互いにあの頃の思い出をみないフリをして、彼女をいないものとして扱って、今に至るのだ。
――十年。俺たちはプロになり、オリンピックを経験し、俺は海外に行き、今も日本代表に居続けている。あの頃思い描いた彼女の十年もそうであるはずだった。でも、実際の彼女の十年は。
ごめんね。ごめんなさい。そう何度も綴られる言葉をなぞる。こうなったのは彼女のせいではない。酷い話には違いなかった。神様がいるのであれば恨みたくなった。神様はなぜあの二人に大きな試練を課してみせるのか。持田はともかく、彼女は善良であるはずなのだ。
もっと酷いのは、あの頃彼女は何度も俺を元気付けてくれたというのに、俺はそれを彼女に返すこともできないことだ。
目を伏せて彼女を思い出す。思い出の中の彼女は明るい声色で、俺の名を呼ぶ。
「ハナちゃん、元気だしなよ」
そんな顔してたら蓮にまた変なこと言われるよ。
そう言って陰りなど知らない笑顔で俺からこぼれ落ちた滴を拭ってみせる。そんな手は今はないというのに、俺から滴がこぼれ落ちた。