Somebody help me.


 どうすればいいのかなんてわかりっこないのだ。あれから何度も住み込みアルバイトをしながら転々としていたのだが、頭の中にはずっとオーナーの話がこびりついていた。
 結局私はどうすればいいかわからなかった。だから、あの日の言葉を少し信じてみようと思ったのである。でも、私の考えとは裏腹に工藤一家は留守らしかった。そこに住む沖矢という人によれば、工藤夫妻はいつ戻るかもわからないのだという。揺れるコーヒーの湯気を見つめる。だされたサンドイッチは大変おいしそうであるが、どうも食欲がわきそうもない。
「どうかしましたか?」
 そう尋ねられて顔をあげる。そこにいた男性は少し困ったように私を見下ろしていた。
「いえ、すいません、考え事をしてて」
 私はそう言って苦笑いしてからコーヒーに砂糖とミルクを入れる。彼は私の様子に目を瞬いた。
「もしや、家族と喧嘩して家出したとか?」
 彼の言葉に私は苦笑いをする。そういうふりをしていればいい。みんな私くらいの年頃の人間には『家族』が当たり前のようにいて暮らしているとおもうのだから、そう思うのは当然だろう。彼は茶目っ気たっぷりにウィンクをすると、口を開く。
「よければ話くらいは聞きますよ」
「宛てにしていた人を頼ってこの街にきたんですけど、仕事柄いつ帰ってくるかわからないと言われてしまって、どうしようかと」
「そうだな、家に帰るのはどうかな?」
「それはなしで」
 私はそう言って首を左右に振る。彼は苦笑いしてカウンター越しに頬杖をついた。私の言葉は喧嘩して家出少女そのものに見えたのだろう。
「そもそもどうして家出を?」
「どうしたらいいかわからなくなったというか……それをその人に相談しようと思って」
「どうしたらいいかわからない?」
 彼はそう言って首を傾げた。私は何とも言えない顔をする。初対面のこの人に話すことではない。いや、逆に初対面だから話せることかもしれない。
「……なんていうか、私は嘘つきなんですけど、どうしたらいいかわからなくて」
抽象的だった。でも、そうとしか言えなかった。
「じゃあ、嘘をつくのをやめてみては」
 当たり前の返答である。彼の言う通り、嘘をつくのをやめればいい話なのだ。でも、そうすれば私はどうなるのだろうか。
「でも、嘘をつくのをやめたら私がいなくなるというか」
 そう言って私はまたコーヒーカップを見つめる。ミルクの混ざったそれはもう湯気があがっていない。彼は口を開く。
「嘘をつくのをやめたら君がいなくなる、か。どうしてそう思うんだい?」
 彼の問いかけに私はどう答えればいいか考える。何かを言えばいいのか、それとも。
「――大丈夫、嘘をつくのをやめても『君』は残るさ」
 私。私が残る。その『私』に何もないのだ。
「残らないよ」
「残るさ」
 何が残るのだというのだろう。何もない私に何があるというのだろう。名前もない。正確な生年月日もわからない。私はまるで透明人間だった。当たり前だと思っていた。でもそうではないとわかったのは、私と同じような年の子が学校に通いだしてからだ。いつの間にかいなくなった両親に、一人残された私はどうすることもできなかったのである。
「――嘘をついていても君は君だ」
 私は私。そう言われたって、よくわからなかった。とりあえず、お礼だけ告げてミルク入りのコーヒーを飲む。ぬるくなったコーヒーは少し苦かった。


 困った事があったらまたおいで、と告げた男性店員と女性店員に頭を下げて私は夜の街に戻る。早めに宿をとらねば不審がられてしまうだろう。とりあえずビジネスホテルの部屋を借りる。小奇麗なベッドに寝転んで私は目を伏せる。私が出会った多くの人にとって私は敷島麗華である。私が出会って気にかけてくれた人にとっても、私をだましたり脅したりした人にとっても。私が彼女の身分証を持っている限り、私は敷島麗華であり続ける。それを取り上げてしまえば、私はまた『透明人間』に戻るのだ。あの店員が言っていたようにはならない。
「どうしよう」
 でも、彼女の父親は彼女を探しているのだ。このままほうっておけば彼はずっと彼女をずっと探し続けるのだろう。それに、何年かは知らないが事件には時効がある。それを迎えてしまえば彼女をそうした相手は罰を受けることはない。でも、でも、でも。ずっとその堂々巡りだった。真実を告げてしまえば私はどうなるかなんてさっぱりだった。
 一人で考えてもわからないから、自分ではどうすることもできない困ったことになっているから、頼ろうと思ったのだ。何かあったら頼ればいいなんて、はじめて言われた言葉だったから。
 目を伏せる。襲ってこない眠気にため息をついてテレビをつける。動物園でパンダの子供が生まれた今日もどこかで殺人事件が起きている。そういえば、工藤息子の話は最近聞かないが元気にしているのだろうか。彼はあの時のように事件を解決しているのだろうか。