柔らかい場所にいました


ああ、いい匂いがする……
それは確かに香水の匂いなのだが、しかし主張の強すぎない、仄かな甘みをまとった上品な香り。しかもなんだか柔らかいものに包まれて、この世にいるとは思えないほど心地よい。幸せな気持ちで微睡む。ああ、ここでずっと寝ていたい……
────ガタンッ

「わっ」

いかにも子供らしい、高くて舌足らずな声が漏れた。

「あら、おはようhoney。目が覚めちゃったかしら?
……ごめんなさいね、でもちょっと」

続いた言葉は、聞かなかったことにしよう。

「逃げなきゃいけないみたい」

思わずぎゅっと、目の前の体にしがみついた。



なんだこれ。素晴らしくもちもちな肌に触れつつ、暴走するバイクに乗って人生初のカーチェイス。やばいだろう。なにが一番やばいかって、それに全く驚いていない自分である。
いやそもそも、体が小さくなって、窓が一つしかない地下牢みたいなところにいて?そんでもってすごく綺麗な男性に銃口を向けられて、かと思ったら恐ろしく美しいお姉さまの谷間にいる。なんておかしな状況。目が覚めてこのかた非日常的なことばかりが起こりすぎて、私はもはやパニックを通り越して冴え渡っているようだ。とりあえず目下

「しっかり掴まってて頂戴」

この道路交通法完全無視の、危なすぎる運転に集中するべきだと冷静に判断できるぐらいには。

「……これは車線変更が必要ね。Okay girl, ready?」
「う、うん?」

なにに備えろって?

「Here we go!」

パチリ、と綺麗なウインクにうっとり見惚れ

「えっ落ちてない!?うわぁぁあ」

ああああ、という続きの叫び声はお姉さんの胸に吸い込まれていった。え、車線変更って言ったよね?
ガタンッと大きな音と共に身体に衝撃が走る。どうやら、道路を飛び越えてしまったらしい……恐るべし。いやそれ、どう考えても車線変更って言わないでしょうよ。口には出さずに表情で訴えてみると、お姉さんは小さく笑って「Good girl」と褒めてくれた。嬉しいような嬉しくないような。

「もうこんな危ないことしないわ。夜の街の景色でも楽しんだら?」

あぁ、それは良いかも。自分がどこにいるのかも知りたいし、と少しだけ頭を服から出した。横を見ると、キラキラとネオンが光って美しい。何時かなぁ。

「……あれ?」

見間違いかもしれないけれど、黄色に光ったWの文字。あれってピエロがキャラクターの、某バーガーショップ店ではないのだろうか。Mが正解のはずなんだけど。ここ、もしかして日本じゃなかったりして。
まぁベルモットさんも怖い男の人も、見た目は完全に西洋系。日本語を話していたが、ここが外国の可能性も……あるのかな。日本語の看板山ほどあるけど。
いやまじで意味分からん。

「興味津々ね」
「……ここ、来るの初めてなんです」
「そう。でも楽しんでるところ、ちょっと悪いんだけど」
「ん?」
「もう一回、頭を下げてくれる?なんだか、虫がついてきちゃったみたい」

虫。虫って。まさか追っている方も、このファビュラスなお姉さまに虫と呼ばれているとは露ほども思っていないだろう。お気の毒に。私の方が気の毒だけど。
だってそうだろう。よく分からんけどギュンギュンと物凄い音を鳴らすバイクに、ただ服に入った状態で乗っているなんて自殺行為としか思えない。このレザー服が破れた瞬間、私の命はまた木っ端微塵。
そうして固く固く目を閉じているうちに、また寝てしまったらしい。どんだけ図太いんだ私は。けたたましいエンジン音に飛び起きた私は、小さく溜息をつく。しかし

「We made it! Great job my sweetie.」

どうやらちょうど危険極まりないレースは終わったらしい。お姉さん、何者。とりあえず生きてて良かった。ついでに言うなら、頭を撫でてくれるのは嬉しいけれど、片手運転をやめて前を見てほしい。
……というか、

「今から、どこにいくんですか?」
「私の家に決まってるじゃない」
「え!?わたし、お姉さんの子供になるの!?」
「話が早くて助かるわ」

うん、今後の生活が激しく心配だ。

「これからよろしく」

いい子だからもう少し待ってるのよ、と顔をぐっと押される。
うん、お姉さん……あの怖い男曰くベルモットという名らしいこの女性がお母さんになることよりもなによりも、

この、私の隣で揺れてる二つの豊かな物体をどうにかして欲しい。

いや勿論、最低限の下着はつけているのだけれど。そこが問題なのではなく。
しかしここにしか居場所はない。ふぅ、と小さく息を吐いて、そのしっとりとした肌に掴まった。