お洒落な部屋にいました


それからしばらく走ってついたのは、セキュリティにステータスを全振りしたような高層マンションだった。そこの、最上階の部屋に住んでいるという。金持ちか。

「今日からここが貴女のお家よ」
「すっごい!ひろーい!!」

思わず叫んでから、ベルモットが止めてこないのを良いことに部屋の中へ駆け出した。本当に広すぎる。かくれんぼでもしようもんなら、それだけで1時間は楽しめるだろう。身を隠せそうな巨大調度品も沢山ある。一目見ただけで高級だと分かる家具類、シャンデリア、絵画。キッチンは大理石で出来ており、ソファももちろんふかふかである。かなりのお金持ちなうえに、センスもとても良いのだろう。すごくオシャレ。
でもあまりに綺麗すぎて、まるで使っていないみたい。

「あんまりお料理とかしないんだね」
「最近引っ越したばかりなのよ、この部屋」
「えっそうなの?」

嘘でしょ、と言いかけてぐっと飲み込む。でも絶対に嘘、だってシャンデリアの上に結構埃が積もっているのがここからでも見えるもの。引っ越してすぐのはずがない。
……怖い
急に胃のあたりがスッと冷えた。警戒しろ、こいつはおかしいと本能が訴えてくる。そうだよ、あの怖い男から助けてくれたから良い人かと思ったけど、あの男と普通に会話してたってことは。この人も悪い人かもしれないじゃないか。
なぜさっきまで思い至らなかったんだろう。見た目だけじゃなく、中身まで子供になったということ?ここまで来てしまったら、もう後戻りができないじゃないか。

「ところでsweetie, もう眠いかしら?」

ちらりとベルモット越しに時計を見やると、指している時間は午後5時。小学生だとしても起きていられる時間だ。大丈夫。

「ううん、眠くない」

ならそこに座って、とソファを指されて飛び乗った。差し出されたリンゴジュースを素直に受け取る。これ、このお姉さんが飲んでたんだろうか?こんな紙パックのチープな飲み物。見かけによらず可愛いなぁ、なんて呑気な気持ちは次の瞬間には消し飛んだ。

「あなたのお話を聞かせて欲しいの。あなた自身の、お話」

ツゥ、と嫌な汗が背中をつたった。変なことを言ったら殺されるフラグが立ちまくっている。だって纏っている雰囲気違うよ、ベルモットさん。私大人しくしているからさ……と思いながらゴクリとりんごジュースを飲む。

「うん、分かりました」
「それじゃあお名前をもう一度、良いかしら?」
「苗字名前」
「パパとママの名前は?」

すごい、初手で詰んだ。今ここでお母さんとお父さんの名前を出した場合、想像できる選択肢は2つ。1つ目、私を親元に返してくれる。2つ目、一家殲滅。ねぇ後者の方が可能性高いとか言わないよね?言わないで欲しいけど、このお姉さん目が本気だ。
そんな、どうしよう。

「……あ、のね、」

乾き切った喉にリンゴジュースを押し流す。どうしよう、私のせいで家族は殺されるの?どうしよう、家族が殺されないためには

「私……パパとママ、知らない」

嘘だというのに、一度口を開いたら止まらなかった。

「私はいっつも暗いお部屋にいて、全然人に会ったことがないの。だからね、知らない」
「……そう。何歳かは分かる?」
「分かんない」
「自分の住んでた場所も知らないのは、そういうことね……
あなた、パパとママにもう1度会いたい?」
「……ううん」

しおらしく首を振る。どうですアミューズさんあたり、私を天才子役としてスカウトしてくれません?

「そう……ならウチの子になっても問題はないわね」
「うん!すごく嬉しい!」

そーじゃなくても私をここに連れ込む気満々だったでしょ、なんて口が裂けても言えない。代わりに子どもらしくピョンピョンと足を揺らして見せた。まぁそれに微笑むベルモットの美しさと言ったら。
なんかめっちゃ裏ありそう、などといまさら思ってみたところで、私に逃げ道なんてもうない。正しくこれが、乗りかかった船。そもそもこの人がいなければ、今から私は路頭に迷ってしまうだろう。幼児化なんてだれも信じてくれないだろうし、知り合いがいないかも分からない。

「じゃあこれからここで暮らす?」
「ええ」

ならもうちょっと、踏み込んだ質問をしても許されるだろうか。そろそろこの状況について手掛かりが欲しい。銃を向けられたことやカーチェイスを除いたとしても、そもそも家でテレビを見ている間にこんなところに来ていたなんて奇妙だ。これからどうなるのか、帰宅に向けてどうにか計画を立てなければ。
まず、この女の人の名前。ベルモットが名前とはなかなかに信じがたい。ジンもベルモットもお酒でしょ?今年の流行の名前は……キュラソーです!ってか?いくらキラキラネームが流行ったと言ったって、そんなの世の中狂ってる。
次に、このお姉さんもアイツも、ヤから始まるお仕事をしていらっしゃるのかということ。これは直接聞くと小指がなくなりそうなので、さりげなく聞けたら聞く。
最後に、変な看板達。銀行を通り道で見たけれど、三橋UFJ銀行とか、なめてるのか?パクリとかそういう次元じゃない。金融機関でそれを冠したら日本が混乱に陥るといって、早々に名前を剥奪されるだろう。なのにあんなのが蔓延ってるのはどう考えても、おかしい。
けれどこれらのこと、畏って聞き出しても逆に怪しまれるだけだろう。こういう時は人畜無害な風を装って。そう、精一杯可愛らしく首を傾げて、ちょっと下から見上げてみる。

「今度は私が、お姉さんについて知りたいなぁ!お名前は?」
「Chris Vineyard」
「くりす、びんやーど?」
「そう」

クリス・ビンヤード?聞き覚えのある名前だ。なんだ?
クリス・ビンヤード……クリス……ビンヤード?

「ビンヤード……しゃ、しゃーろ?しゃろん、シャロン・ビンヤード!」
「あら、私の母を知ってるのね」
「……名前だけ、聞いたことある」

誰だ、シャロン・ビンヤードって。自分で口にして動揺する。えっ無意識に名前出てきたけど、一体どこの誰だ?自分の知り合いでいたっけ、そんな人。

「そう。Sharon Vineyardは私の母で世界を股にかける大女優よ」
「へぇー……すごーい!クリスさんも、女優さんになりたいの?」
「そうね。そのために今勉強中よ」
「そうなんだ!頑張ってね!」
「ありがとう」

女優、か。では銀髪の男は俳優さんなのだろうか。芸能界もおっかないな。

「だけど……」
「ん?」

その美しい顔をグイッと寄せられ、反射的に身を引く。それを見たクリスはふふっと笑って「とって食いやしないわ」と言った。

「び、びっくりしただけ……」
「そう?そんなに警戒しないでいいのよ。
だけど………私がChris Vineyardであることは秘密よ」
「どうして?」
「女優にスクープは付き物……でも、ない方がもっと素敵じゃない?」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「ママ、でいいわ。お母さんになるんだから」

えっまじ!?と驚いて顔を見上げると、クリスは妖艶に笑った。一時預かり的な感じで、クリスさーんと呼ぶぐらいがせいぜいと思っていたのに。こんな綺麗で艶やかな人を「ママ」と呼ぶ機会がくるなんて、一体私はどうしたというんだ。夢じゃないの、と思って呆然としていると、頭に優しい手の感触。それから小さな呟きが聞こえた。

「ママ、ってあんまり呼んだことないのね……可哀想に」

そう勘違いしてくれていた方が多分、私は救われるような気がする。ずる賢い私は、ただクリスの温かい手に身を委ねた。