02


「仕方ない。分かったよ、その学園に行こう。
 そこは本当に、万が一悪い奴らがきても平気なんだね」
「大丈夫です! 先生や、先輩方が守ってくださいますから!」

 正気か、という言葉は我慢した。何も知らない自分と、とりあえず自分の所属が分かっている子供達。
 ここはもう、2人を信じるしかない。

「乱太郎君、先導を頼むよ」
「はい!」

 乱太郎の威勢のいい返事に慌てて口を塞いだ。そして緊張感のかけらもなく、恍惚とした笑みを浮かべる伏木蔵をしっかり背負う。

「じゃあ行くよ……3、2、1」

 いけ!
 合図するや否や弾かれたように飛び出した乱太郎を、名前は必死に追いかけた。
 本当に100m10秒なのね!?
 乱太郎は走りにくい凸凹斜面を飛ぶように駆けていく。いくら山に慣れてるといっても信じられない速さで、ひょうひょうと岩を避ける姿はまるで天狗。
 けれど名前も感心している場合ではない。見失わないよう、気合を入れ直すように息を大きく吐く。──────ふにゃり
 突如として視界が歪んだ。瞬く間のことに、心臓がバクバク音を立てる。
 ……どういうこと。

「天女様! 血!」

 それからしばらく、伏木蔵が突然大きな声をあげた。

「え?」
「乱太郎大変だ! 天女様のお腹から血が!」
「なんだって!?」

 大慌てで戻ってきた乱太郎は、名前を見て大きく目を見開いた。

「本当だ! すごい出血ですよ、止血しないと」
「どこ?」
「ここですよ!」

 言われて初めて、横腹に綺麗な穴が空いていることに気付く。
 そうか、あの時に
 ジンに撃たれたのだと遅まきながら思い出す。不思議と痛みが全くなく、服も濡れていないから傷も消えたと勝手に思い込んでいた。まさか、死んでもそのまま引き継がれるとは。

「大丈夫。痛くないの」
「そんな、我慢しないでください」
「違う、本当に痛くないのよ」

 死んだら痛覚は残らないのだろう。傷は残っても。
 いや、それにしては打ち付けた背中はかなり痛むが──少なくとも今気にすることではない。

「だから乱太郎君、進んでお願い」
「駄目です! 私達保健委員ですから放っておけません!」
「僕達でも止血ぐらいならできますから」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないの」
「言ってる場合ですよ! そんな怪我じゃ走れません!」
「ただでさえ乱太郎は足が速いんだから、治療しないと」
「いいから走り続けて!」

 咄嗟に出てしまった大声に、二人はピタリと止まった。「……あ、ごめんなさい」言うと同時に、後ろでも何者かが止まる。
 巻けると思ったんだけど、という本日何回目かのセリフを胸の内で呟くと、名前は子供達を庇うように振り返った。

「おうお前ら、もう終わりか?」

 下卑た声がゾワリと背中を撫でる。

「だってあなた追いついてくるし、もうどうしようもないでしょう。
 これ以上逃げようがない」

 言いつつさりげなく視線をやれば草陰、木の裏と目の前に1人ずつの計3人が確認でき、名前はそっと息を吐いた。元々はざっと見積もっても10人いた追手を、3人まで減らしたと考えれば上出来だ。ただ、普通の大人がここまで速く走れるなんて。
 死んだら足が速くなるのだろうか。

「でもまぁ、なんにせよここまで追ってくるなんてすごい執念」
「あの罠を踏んだやつを、みすみすと見逃すわけにはいかないからな」
「私はこれ以上逃げないから、この子達は見逃がしてくれない? まだほんの子供よ」
「だが罠を踏んだのはそいつらだろう。生かしておくわけにはいかん」

 さっきから罠、罠と恐らく獲物を獲るためのものだろうが、そこまで固執するほどのことなのだろうか。食事への影響はあるに違いないけれど、こんな何人も引き連れて捕まえるより、新しい罠を仕掛けるようがよほど合理的だろう。
 随分余裕がない様子に、死後の世界も殺伐としているのかと名前は苦い気持ちになる。戦いは避けられないと悟り、仕方なく腰を落とした。

「なんだ、丸腰で戦うのか」
「ええ。だって武器なんて持ってないし」

 拳銃はあるけど
 小さく付け加えるが、子供の前で使用するのは憚られるから仕方がない。

「そうか。それは好都合だな」

 刀の先がこちらへ向かう。間合いを詰め、相手の息遣いに集中する。二進も三進もいかぬ睨み合いに、痺れを切らした相手が刀を振り上げた。

「天女様危ない!」
「だっ……」

 名前が後頭部を抑えたと同時に、コロッと横に2つ石が落ちた。

「君達はなにもしなくていいから後ろに下がってなさい!」
「ご、ごめんなさい!」
「ご、ごめんなさい!」
「仲間割れか? いい気味だ!」

 嘲笑う声とともに振り下ろされた刀を、体を半身ずらしてかわす。勢いを殺さぬまま相手の腕を捻り上げ、次いで木の裏からでて来た男に投げつけた。団子になって倒れたのを確認し、残る一人に意識を向けるが、恐ろしく正確な狙いで飛んでくる小石や木の枝が邪魔をする。
 くそっ……これじゃあ近づけない!
 そのうちに起き上がった先程の二人が斧を掲げ襲いかかってくるのを、山賊が落とした刀で受け止めた。

「……ダメだ、埒が明かない」

 刀でひと突きできれば勝てるというのに。だが子供たちに血生臭いところは見せたくない。
 とはいえ、追手がさらにやって来ることを考えてもここで時間を食うわけにはいかなかった。怪我を覚悟で斧を切り落とし順に手刀を叩き込む。残るひとりの投擲攻撃を避けつつなんとか間合いを詰め、伸ばされた腕の関節を折った。

「っあ゛あ゛あ゛」

 悲痛な叫び声にどうしようもない罪悪感を感じるが、そうも言っていられない。
 心配そうに見遣る乱太郎たちの視界を遮るように、彼らの前にしゃがんだ。

「天女様、あの人、」
「いいかい。彼のことは私たちの身の安全が保障されてから治療しに来ればいい」
「で、でも、もう3人のことは倒したんじゃ……」

 顔色の悪い顔をなお一層青くし、遠慮がちに伺う伏木蔵の頭を撫でる。手荒い行動のせいか怯えている伏木蔵を安心させるように微笑み、名前は言葉を紡いだ。

「追っ手はまだいるでしょう」
「あ、そっかぁ。僕達をまだ追いかけてる山賊がいるんだ」
「そう。でも、またさっきのように走れば、安全な場所……君達の学園までいける」
「天女様の傷は?」
「私の傷も君たちを学校に送り届けてからどうにかするから、気にしないで。
 さて、あと学校までどれくらい?」
「この森をぬければすぐです!」
「オッケー」

 返事をしつつ伏木蔵を背負うと、ふっと無意識に息が漏れた。痛みはないのに、体がとても重い。死んだはずなのに疲れはするらしい。つくづく変な世界だ。

「さあ、行くよ!」
「はい!」

 もう次々と変わっていく景色さえ見る余裕はない。ただ乱太郎の背中だけを必死に追い続けていると、突如として視界が開けた。

「あそこが忍術学園です!」
「……忍術学園」

 言われた言葉を小さく反芻した。森を抜ければ学校だと言っていたから、忍術学園こそが彼らの通う学校なのだろう。顔を上げれば、確かに学校らしい立派な門が目に入る。
 ……だけど、いくらなんでも忍術学園って
 どういうことだと背中の伏木蔵に問いたいが、もうその体力さえ惜しかった。だが、学校の名前だけでなく子供達の格好、山賊、天女──とにかく可笑しなことに巻き込まれてしまったのは確からしい。死んでなお休むことさえ許さぬとは、なかなか神様も意地悪なものである。
 小さく溜息をつき、名前は怪しげな門を叩いた。




一興を喫する 終