03


 伊作は天女に着せた白衣の紐を結ぶと、その上にそっと布団をかけた。

「一時はどうなることかと思ったけど……」

 やっと治療が終わったと深く安堵の息を吐き、天女の顔を拭う。怪我による発熱かはたまた疲労からか、拭えど拭えど大粒の汗が止め処なく流れてくるのが痛々しい。つい先程額に置かれたばかりの布も、すでに温くなっていた。
 交換してやるべきかと氷に浸した布を手に取る────

「誰だ!」

 伊作はすぐ近くに気配を感じ、咄嗟に手元の苦無を握った。音もなく、近くまで存在を悟らせないとは忍びか。何用で。

「ご苦労様です、伊作君。天女様の調子はどうですか?」
「……新野先生」

 掛けられた優しい声に振り返れば、そこにいたのは校医の新野洋一だった。
 新野先生がどうして、気配を出さなかったのだろう?
 隠すことなくじっと観察する。纏う白装束が珍しく汚い。足も泥に塗れ、手には所々小さな傷があった。それに抱えられた大量の薬草は、化膿止めや痛み止めを煎ずる種のものである。
 ……そうか。

「新野先生、治療はもう終わりました。今は落ち着いて寝ています」
「そうですか。それなら、棟を走ってまで急ぐ必要はありませんでしたね」

 廊下は走れないから、あえてその道を選んだのだろう。気配を消したのは普段からの癖に違いない。
 変装した間者でもないと判断し、小さく息をつくと伊作は苦無を再度懐に忍ばせた。それに合わせ新野も保健室へ踏み入る。

「なんとか薬草も足りましたか」
「はい、どうにか」
「ではこちらはまた彼女が目覚めた時に飲ませましょう」

 新野はそう言うとわらこもの前に腰を下ろし、その上に薬草を広げた。広がった色鮮やかな緑はまるで風呂敷を連想させる。
 ────風呂敷?

「あっそうでした新野先生」
「どうしましたか」

 風呂敷、包む物、箱、となんともお粗末な連想で新野に見せる物を思い出した伊作は、慌てて背後にある木箱を掴んだ。

「これは」
「彼女が着ていた服の、ポケットに入っていたものです」
「武器、ですか」
「恐らくそうではないかと……」

 新野は舐めるように木箱の中の物を眺め、そしてじっと考え込んだ。

「うーん……そうですねぇ」

 あの新野が眉間に皺を寄せるとは。なぜ天女の持ち物はこう、毎回物騒なのだろうか。

「……そうですねえ。これは、伊作君に預けましょうか」
「分かりました」

 丁重に頷くと、小さく伊作は「ありがとうございます」と付け加えた。

「ただし!
 無闇矢鱈と弄ってはいけませんよ。なにが起こるかわかりませんから」
「はい、もちろんです」
「前に七松君が天女様のケイタイ、とやらを壊したことがありますからねえ」
「あぁ、はい……」

 いくつ前の天女だっただろうか。すっかり伊作は忘れていたが、小平太があの馬鹿力で天女の「携帯」の折り畳み部分を折ったことを思い出す。それきりその「携帯」は光を発しなくなり、景色を写すこともなくなった。食満がくっつけても動くようにはならず、絡繰好きの兵太夫が酷く悲しんだことが懐かしい。
 だが、今回ここにあるのはあくまで武器。前回の絡繰とは全く事情が異なる。万が一のことがあれば、兵太夫が悲しむだけではすまない。

「触るときには慎重にお願いしますよ。伊作君、頼みましたからね」
「はい」

 新野からまた自分の手に戻された木箱が、急に重くなったように感じた。風呂敷で包み直し、落とさないようしっかり抱えると伊作は音もなくその場に立った。

「彼女のことは」
「ええ、任せてください。伊作君、忍たまのことは任せましたよ」
「はい。それでは失礼します」

 落とし穴に落ちないよう細心の注意を払い、急いで6年長屋を目指す。かなり日が傾いているから、約束した時間はとっくに過ぎてしまっただろう。心なしか重苦しい空気を纏う扉を引けば、案の定

「待ちくたびれたぞいさっくん!」
「すまない小平太。天女の怪我が予想以上に酷かったんだ」

 ダラリと寝そべったり壁に寄り添ったり、完全に暇を持て余していただろう5人は、それを聞いてあからさまに顔をしかめた。

「……そんなことはいい。
 それより、これが今回の女の名前だ」

 文次郎から渡された紙の端々には血痕がついている。小松田の持つ入門表を掠め取ってきたのかと半ば感心しつつ裏を返せば、見慣れない名前が書いてあった。

「苗字名前……」
「少なくともこの辺で名の通った忍びではないな」

 文次郎の意見に異論はない。しかしその言い回しに疑問を感じた伊作が質問をするより早く、痺れを切らした小平太が口を開いた。

「それで、これからどうするんだ」
「小平太、そう焦るな。まだ時間の余裕はある。とりあえずここまでの経緯をまとめようじゃないか」
「僕も仙蔵に賛成だよ。
 天女は、失血してる上にかなり疲労が溜まってる。当分起きないよ」

 伊作の言葉に、6人は自然と車座になる。さあ始めようと仙蔵が音頭を取ると、待ちきれんとばかりに文次郎が話し始めた。

「俺は乱太郎と1年ろ組の鶴町伏木蔵に話を聞いたんだが…アイツは怪しい。間者ではないかと疑っている」
「もそ……なぜ、その二人に話を聞いた」
「ああそうか、長次はいなかったな。
 実はあの女は、乱太郎の先導で、伏木蔵を背負ってこの学園にやって来たんだ。二人は裏山で天女に会ったらしいんだが……」

 そこからの話は簡単だった。二人がいつものごとく不運に巻き込まれたところを、運よく裏山に落ちていた天女に助けられたというそれだけの話である。

「ふむ、実に不運委員会らしいな」
「うるさいよ仙蔵!」
「で、だ文次郎。それの何が問題なんだ。今までになく正義に熱く心身ともに強そうな天女でよかったじゃないか」

 咄嗟の反駁にも悪びれた様子なく、薄ら笑いを浮かべて天女を皮肉った仙蔵に、伊作は小さく溜息をついた。あながち否定はできない上に我ながらそう思ったが、他人に指摘されるのは気に食わない。
 これ以上引き下がることもないけれど。