12


「……何の音?」

 コトリ、と小さな音がした。しかも上から。
 じいっと見上げるが、何もないただの天井に見える。けれど、確かに音はここから──
 誰かが見張っているのだろうか。
 死んでもまるで、生きているような感覚だ。物騒で、スリルがあって、死を怖がらなくてもいいはずなのにワクワクする。いや、保健委員がいるということは、病気や怪我を治す必要があると

「そうだ怪我! こっちに来てからできた怪我は…………
 あるじゃない」

 白衣を脱いだお腹周りに、いくつもアザが残っていた。
 おかしな話だが、銃で打たれたところは痛くも痒くもない。なのに空から落ち、小松田に投げられて出来た背中の打撲はかなり痛い。アザも、押せば思わずウッと声が漏れた。
 変よ、本当に変
 呟きながら、渡された服を手に取る。うっとりするほど綺麗な黒色をした忍び装束だ。その間に

「わぁ……夕焼けみたい。こんな目立つ色のスカーフなんて、100m先にいたって見つけられそうね」

 慣れないこの服は、監視のためのものに違いなかった。夜に浮き出てしまう漆黒、光をよく反射する鮮やかな赤。
 私服と教えられた平凡な服も、結局は保健室の棚に仕舞われてしまった。軟禁しますよーとお知らせしてくれているのだろうか、これは。
 随分と舐められたものだ。

「ここは一体どこなのかしらね」

 うっすらと感じる、もしかしたらここは死後の世界ではないのかもしれないという可能性。正常に機能する感覚、大量に渡された薬、監視する鋭い視線、全てが「生きるため」に働いている。
 それにそぐわないのは、左腹に鎮座する銃槍だけだ。痛みはなく、驚異的なスピードで回復するそこだけが違和感を訴えている。
 タイムスリップ、パラレルワールド、死後の世界。
 並べてみると、思い浮かんだ3択はどれも同じに思えた。非現実的であり同時に突拍子もない。

「天女様、着替え終わりましたか?」

 善法寺の声ではっと我に帰った。

「はい、終わりました」

 カラリと戸を引き入ってきた立花は一言、「物覚えが早いのは良いことだ」とだけ放つと背を向けた。

「では今から部屋に案内する。付いてこい」
「それじゃあ僕はここで。また明朝に、薬を持って伺います」
「善法寺君。本当にどうもありがとうございました」
「ああ、いえいえ!それではまた明日」

 ひらひらと手を振る善法寺に頭を下げ、別れの言葉も早々に歩き始めた立花のあとを追う。後ろの部屋とは言えど、長屋だから反対側まで回る必要があるらしい。
 前を歩く立花との話題もない。沈黙の中、名前は静かに辺りを見渡す。
 …………この生茂る木は身を隠すためかな。背の高い木が多いのは、やはり木と木の間を飛び移ったりするのかな。あ、あの塀に穴があるのは、

「私の勝手な見解だが」

 唐突に切り出すと、立花は立ち止まり名前を振り返った。

「お前は天女だ」
「は、はあ……?」
「この時代の者ではないだろう」
「え、ええ。多分……?」

 困惑を隠さず表情に乗せると、立花は大きく二つ頷く。そうしてまた歩き始めた立花は表情を変えず続けた。

「あぁそうだ。
 私達がお前のことを監視しているのは、お前が"かんじゃ"ではないかという疑いを持っているからなのだが」

 かんじゃ、言葉の意味が分からず自分のうちで反芻する。かんじゃ、患者、寒邪、間者……
 ────そうか、間者か。
 本当にスパイだと疑われていたとは。はっきり言われると、それはそれで不思議な気がした。死んでなおスパイと思われるとは、誰が想像しただろうか。

「しかし、私にはお前が天女にしか見えん」
「その天女とは……」
「は組のやつらが説明してくれるだろう」

 ですよね
 ならなぜそれをいうのか、と尋ねようとして辞めた。聞いてもどうせ、答えてはくれないだろう。
 だが、立花の言葉から考えると「天女」には別の時代から来た人という意味があるようだった。そして自分は、ここの人達にとって天女か間者の2択らしい。
 ならば自分は天女、になるのだろうか。

「……そうですか」

 結局口から出たのはなんてことない相槌だった。

「まあ、お前が天女だからといって情をかけるわけではないが」
「はぁ」
「少なくとも、このままの天女でいるならお前を殺さずに済む」
「はぁ……?」
「まあ、詳しい話は中にいる良い子達に聞け」

 言いつつ立花が目の前の障子を引いた。

「どうぞお待ちしてました!」

 立花の素っ気なさや四六時中注がれる視線と比べたら、なんと可愛い子たちなのだろう。口を揃える11人が天使に見えると言っても過言ではない。

「おお、随分綺麗に片付けたな」
「そりゃあ、私を助けてくれた人をお迎えするんですから!」
「そうか」

 くつくつと喉の奥で立花が笑った。ありがとうと名前は言い、自分のためだろう敷かれた布団に近づく。

「ここに座っても?」
「はい!」

 いそいそと掛け布団を捲る乱太郎の頭を撫で、ありがたく敷布団の上に腰を落とした。

「では私は帰るとするか」
「立花君、どうもありがとうございました」
「気にするな。すっかり普通に歩けるようだが、くれぐれも暴れるんじゃないぞ」
「もちろんです」

 何を心配してるのだろうか。内心眉を顰めたが、よくよくその視線の先を追うと、どうやら1年は組の子達にそれとなく釘を刺すのが目的だったらしい。
 冷徹そうな顔をして、立花もなんだかんだ大概だ。間者だか天女だか、どちらにせよ未だ警戒中の輩によくもまあ慈悲の心を向けられるなと感心する。

「……何か失礼なことを考えてはいまいな」
「まさか!」
「まあ良い。明日の朝、また身支度を手伝いに来る。
 それまでに色々考えておけ」
「分かりました」

 名前が頷くと、立花は

「……天井に消えた」
「すごいでしょう、僕の先輩なんです」
「へえ、兵太夫君の……
 うん、すごいね。忍者、初めて見たから」

 天井からの視線はこうやって、と名前はひとりごつ。
 並大抵の跳躍力でおいそれと出来ることではないはずだが、一体どれほどの訓練を積んだのだろう。そして、ここの建物は絡繰屋敷のようになっているのだろうか。ずいぶんと夢のある。

「天女様、そんなことより……」

 じゅるり、としんべヱが涎を垂らした。