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「先輩に疑われるのは嫌だなぁ」
「でも天女様が殺されるなんて、私……」

 呟かれた声に思わず眉根を寄せる。とても申し訳ないが、だからといって「私のことはほっといても平気よ」と言ったところで確実に聞いてはくれまい。でなければ必死に抵抗した名前が、今ここにいることもないだろう。
 先輩たちとの間に角を立てず、彼らが思うように行動するには

「あっ……そうだ! 思いついた!」
「なんですか?」
「結局はさ、みんなが浮かれて勉学に身が入らないのが問題なのよね?」
「そうですね。それから委員会、実習でも怪我が増えるほど、注意散漫になることでしょうか」
「うんうん。そうよね」

 名前は腕をまくる。

「よし! は組のみんな! 苦手なことは何?」
「勉強です!」

 庄左ヱ門以外が口を揃えて答え、「ガクリ」庄左ヱ門が肩を落とした。名前はそれに思わず笑いながら、それなら!と人差し指を立てる。

「私と一緒に勉強をしよう!」
「ええ ────────っ!!!なんでですか!?」
「……なるほど」
「なるほどじゃないよ庄左ヱ門っ!」

 よくもまあ10人も口を揃えて喋れるものだと感心する名前の側で、ただ1人庄左ヱ門だけが何度も頷いた。
 
「天女様がおっしゃっているのはつまり、浮かれるのとは反対の事をしろということだよ。
 ですよね、天女様」
「庄左ヱ門君のいう通り! 例え私に惚れていたって、きちんと勉強をして、委員会に励み、実習でも実力を出せればなーんにも問題ないのよ」
「そうですか?」
「虎若君、そうよ! だって、忍者だって奥さんや恋人ぐらいいるでしょう」
「……ああ確かに、山田先生には奥さんがいます」

 はっと気づいたように団蔵が呟いた。

「そうでしょ。みんなデートしたり、お手紙送ったり、ちょっとぐらい恋を楽しんでいるはずよ。
 それでも本業に集中する。それができれば、問題ないんだわ」
「でも僕達、本当に勉強が苦手なんです……」
「金吾君、大丈夫。
 普段テストではどれくらいの点数をとってるの?」
「2.7点……」
「すごいな金吾!俺なんて1点も取れないぜ!もっと自信持てよ」
「いやきり丸、お前はもうちょっと危機感を持て」

 その突っ込みに「わりぃわりぃ」と頭をかくきり丸だが、悪びれるそぶりは全くない。
 だけどそもそも本当にそんな点数をとる人がいるなんて
 一瞬とても驚いたものの、天女がいることに比べれば大したことではないかと名前は思い直す。

「まあ、一応聞くけどまさか100点満点じゃないんでしょう?」
「その、まさかなんですよ……!」

 思い切り吹き出した。

「天女様本当に、笑いごとじゃないんです!」
「だってあんまりにも、庄左ヱ門君の声が悲惨なんだもの」
「そうなりますよ! 僕たち、平均点が視力検査って馬鹿にされるんです……」
「庄左ヱ門君が良い点数なら、平均がそこまで悪いこともないでしょう。
 それにね、100点満点でその点数って、今回ばかりは好都合だよ」
「どうしてですか?」
「成長が目に見えて分かるから。95を100にするより、1を20にする方がずーっと簡単じゃない?」

 なるほどと頷く頭はマチマチだ。それにまた少し笑い「まあ、みんなが嫌じゃなければの話だけど」と付け足す。

「嫌じゃありません!!」
「おお、突然叫ぶなよ。びっくりしたじゃねーか」
「ごめんきりちゃん。でも、私頑張りたい」
「ええっ、乱太郎まじかよ」
「うん。それで天女様が助かって、私達が先輩方に疑われずに済むんだったらそれが良い。
 きりちゃんは何か他の案思いつく?」

 いいや、ときり丸は首を横に振った。

「ね、だからきり丸お願い」
「……あーあ仕方ねえ。アルバイト一回な」
「きりちゃん!」
「僕も、ちょっと頑張ってみようかなぁ」
「しんべヱ!」
「分かった、僕も頑張る」
「金吾!」
「一年は組のみんなで、頑張ろう!」
「みんなぁ……!」

 そう言って盛り上がる子供達に、名前はありがとうと笑う。本当に優しい子達だ。一瞬でもここに来たことを恨んだことが申し訳なくなるほどに。
 「い組より良い点取ったらどうする!?」と興奮気味に騒ぎ始めたみんなをしばらく眺めていると、ふと

「ねえ庄左ヱ門君」
「どうしましたか」
「忍者の勉強って……何するの」

 ああ、と庄左ヱ門は頷いた。
 
「今度『忍たまの友』をお見せします」
「忍たまの友?」
「はい、僕たちの教科書です」
「それ見て良いの? 秘密だったりしない?」
「じゃあ土井先生に伺って、秘密じゃなさそうなところをお見せしますね」
「ええ、ありがとう」
「ほかに質問はありますか」

 そうねぇ…と騒ぐ子達に目を向けた。楽しそうにはしゃいでいるが、欠伸を噛み殺している子もちらほら。

「うん、特にない。庄左ヱ門君から質問はある?」
「ないです」
「じゃあ最後に2つだけ、お願いがあるんだけど」
「僕たち全員に、ですか?」

 名前が頷くと、庄左ヱ門は「みんな聞いて!」と声を張り上げた。
 “学級委員長委員会”と聞くと変に感じるが、そうか。庄左ヱ門は学級委員長なのかと遅まきながら気付く。忍者の学校だと言うのに、こう見るとその辺の学級委員長と同じに見えておかしい。
 そしてみんながそれを聞いて黙るのも面白い。現代からは考えられない殺伐とした環境に生きているらしいのに、こうすると普通の小学生だ。

「天女様、それでお願いとは……」
「それ。その、天女様って言うのやめよう。
 なんか変な感じするよ、自分が天女様って呼ばれるの」
「それじゃあなんとお呼びすれば」
「普通に名前さんでいい。私は天女様って呼ばれるほど偉い人でも、尊い人でもなんでもないよ」

 そう言うとは組の子達は嬉しそうに笑った。

「実は私たちも、いつも天女様って呼ぶのが不思議な感じがしていたんです」
「そうだよね。もっと気楽やろう」

 天女ならまだしも、結局は居候と変わらないのに「様」とは、呼んでいて腹が立たないのだろうか。今がマイナスな印象なら、これ以上悪くすることもない。

「では名前さん、もう一つのお願いは?」
「まず、もうみんなにはすぐにお部屋に帰って寝て欲しいんだけど……きっと途中で誰か、先輩か先生かに会えると思うの。
 その人に『名前さんに首飾りを返してください』ってお願いしてくれる?」

 武器でもないし、渡してくれてもいいはずよ
 上にも聞こえるように付け足す。

「分かりました」
「じゃあ……」

 一番眠くなさそうな人に。

「団蔵君にお願いしようかな」
「はい!」
「それじゃあ」

 立ち上がって襖を開けた。

「また明日、授業寝ちゃわないようにね。
 今日はどうもありがとう、おやすみ」

 おやすみなさい、と口々に言いながら開けられた襖から子供達が出て行く。そして最後に

「名前さん」
「なぁに、庄左ヱ門君」

 庄左ヱ門はピタリと上がり框の前で足を止めると、その丸い大きな目で名前を見上げた。じっと見透かすような瞳にさしもの名前も思わずたじろぐ。

「ど、どうしたの」
「今日はありがとうございました」

 言下ガバッと下げられた頭に思わず「ええっ」と声を上げた。

「どうしたの急に。こちらこそありがとうだよ、本当に」
「いえ。名前さんがとても真摯に答えてくださって、とても助かりました」

 曲者じゃなくて……良かった
 独り言のように続けられた言葉に名前は眉を下げた。常に落ち着いているように見えたが本当は不安だったのだろう。悪いことをした。

「みんなが助けようとしてくれたから、だから私もそれに応えようって、それだけだよ。
 さ、もう遅いから、また明日放課後にね」

 半月はすっかり西の空にいて、もう夜も更ける頃合いだ。内面がいくら大人でも体はまだまだ10歳、夜更かしは良くない。

「そうですね。では、また明日。
 あ、ちなみに明日の朝の当番は三治郎と兵太夫です」
「分かった、どうもありがとう。それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい。ゆっくり休んでくださいね」
「庄左ヱ門君も」

 律儀に頭を下げ、庄左ヱ門は身を翻すとスタスタと歩いて行った。あの足取りなら途中で寝落ちることもないだろう。
 ……それにしても
 名前は布団に潜り先程の会話を思い出す。
 予想以上にとんでもないことに巻き込まれたらしい。未だに頭が理解することを拒否している。
 そしてふと、まだ気になることがあったと思い出した。天女の話が衝撃的ですっかり忘れていたが、自分はどうやら若返っているらしいとかなんとか────
 ああ、考えれば考えるほどおかしくなりそう

「もういいや……明日立花君にでも聞こう」

 諦めたように小さく呟き、名前は強引にその瞼を閉じた。



「今度はここをこうやって回すと…」
「へえ、面白い!」

 朝、庄左ヱ門が言った通り部屋に来たのは兵太夫と三治郎だった。三治郎が持ってきた朝食を名前が美味しく頂く前で、目下2人は絡繰を見せるのに必死である。

「お次は……じゃじゃーん!」
「これは、兵太夫特製!
 絡繰人形宇奈月花子と言います」
「うなづき……?」
「はい!こうすると……」

 三治郎がカラカラと取っ手を回すせば花子の首がコクコク動く。

「へえ、すごい」
「これは愚痴を人に聞いてもらいたい、でも聞いてくれる人がいない!という時に使います」
「へーそれはいいね」
「はい! で、こっちが井谷なの子さんと言います」
「三治郎が作った、宇奈月花子の妹です」
「いやなのこ……あ! もしかして、首を横に振るの?」
「はい!」

 口を揃えた2人に名前は肩を揺らして笑った。踊ったり鞠を蹴ったり、確かに動きにぎこちなさはあるが10歳が作ったとは思えない。