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「いやあ本当にすごいね」
「実はまだあるんですよ! これは」
「兵太夫、三治郎」

 盛り上がった部屋に、静かな声が響いた。

「立花先輩!」
「おはようございます!」
「おはよう。残念ながらそろそろ授業だ。
  ……そんなあからさまに落ち込むな」
「だって……」

 傍目でも分かるほど肩を落とした2人の頭に、優しく手を乗せる。

「今日の授業が終わったら、また絡繰見せてよ」

 途端、パアッと明るくなった表情に名前は笑みを零した。本当に可愛らしい。

「それじゃあ、授業頑張ってね。寝ないように」
「はーい!天女様またあとでね!」

 バイバーイ!と元気よく去って行く彼らの後ろ姿が次第に小さくなっていく。その姿をじっと見守っていれば、立花が僅かに口角をあげた。

「子供が好きなのか?」
「結構」
「そうか」
「はい」

 ────以上。
 立花の話はどうも要領を得ない。何かを測っているのか、しかし測るにしてはあまり重要そうでない質問ばかりぶつけてくる。
 だからといって、その意図を名前も知ろうとも思わないけれど。尋ねて答えてくれるくらいなら、そもそもこんな話し方はしないだろう。

「なんだ、私に何かついているか?」
「いえ……立花君について考えていただけです」
「はぁ?
 ……ああ、首飾りなら持ってきたぞ」
「ありがとうございます」

 名前が受け取ったそれは、意外にも丁寧に布でくるんであった。
 開けて中を確認するが、特に壊れたりもしていない。散々擦って、石を投げられ叩きつけられもしたが、無傷であることを確認しホッと息をついた。

「大事なのか」
「はい……とても。
 わざわざ包んでくださって、どうもありがとうございました」

 言いつつ落とさぬようそっと自分の首にかける。なんだかやっと落ち着いたような気さえした。

「……ところで、分かったのか」

 なんの脈絡もなくかけられた言葉だったが、なにがとは言わずとも察せれる。立花が名前について気になることなど、1つしかないだろう。

「……それなりには。
 疑問はまだ有りますが、とりあえず天女の話と置かれた立場については分かりました。
 どれもこれも、は組の子達のおかげです」
「良かったな」

 片眉上げ、推し量るような視線に名前は苦笑を浮かべた。嘘はつかないよ、とは言っても信じてくれないか。

「残った疑問についてだが、私で答えられるようなことなら応じよう」
「あ、の……」
「なんだ」
「……歳のこと、なんですけど」

 騙しているようで居心地悪く切り出せば「なんだそんなことか」と立花が懐から鏡を出した。

「今までの天女も、殆どが実年齢と違うと言っていたからな」

 差し出された鏡に映った顔を、名前はじっと見つめた。
 ────若い……!
 この頃は本当にスベスベでモチモチだったんだなぁと、感慨深く思いながらペタペタ顔を触ってみる。

「天女様の実年齢は」
「秘密でお願いします」
「ほう?」
「せっかく若返りましたから。
 私が言う年齢の姿を立花君が見れる訳ではないし、正しいかの確認もできないのだからこの年齢を謳歌しても良いんじゃないかと」
「それもそうだ」

 くすくすと立花が笑いを零した。「多少年上というぐらいだと姉面をするものだが、とうにそんな年は超えていそうだな」という立花の呟きは意図的に無視する。
 そうだよ悪いか

「他には?」
「あとはまあ……いつぐらいの時代かなぁと。
 他の天女さんから聞きませんでした?
「ああ。天女は室町時代後期、と言ったな」
「室町……」

 じゃあ、ここはパラレルワールドかぁ
 名前は胸の中で呟いた。
 死後の世界とタイムスリップ、パラレルワールドの3つ可能性。兵太夫が“生きている”と言ったから死後の世界ではない。それならパラレルワールドが1番可能性が高いと思っていたけれど、まさか本当にそうだったとは。
 ラーメンのある室町時代は名前のいた世界には存在しない。

「あとは」
「最後の疑問、というか質問なのですが……天女を恨んでる人はいないのですか。かなり被害を被っていたように思いましたけど」

 立花がその整った顔を少し歪めた。

「いるんですね」
「……いや、恨みはしていない。だが」
「だが?」
「警戒はしている」
「警戒?」
「ああ。色に溺れることは“忍者の三禁” といってな」

 立花は滔々と語り続けた。
 つまり“忍者の三禁”とは、忍者が溺れてはならない3つ──酒、色、欲を指す。そして生徒たちは、それらに靡かないよう忍術学園で鍛錬を積む。それは大変厳しく、6年生にもなれば動じることも滅多にない。
 だが天女の力の前で、そんなものは全く役に立たなかった。何をしても何をやっても、天女のターゲットになればたちまち普通の男に成り下がってしまう。

「それはすなわち、私たちの世界では死を意味する。大怪我も退学も、忍者になるという視点から見れば死と同然だ。
 しかし、天女を地上に落とすかどうかは私達には決められない」
「そうね」
「それならば、出会っても被害が最小限になるように警戒するしかない」
「それには同意するけど。結局恨んでるの?恨んでないの?」
「……いかなる状況でも自分を律するのが忍者だ。落第したのは天女のせいだが、結局は自分をコントロールをできなかったということだ。
 それを人のせいにするのは、忍者として失格だろう」
「つまり、忍者じゃなかったら恨まれていると」
「しかし私達は忍者のたまごだ」

 くだらない言葉遊びに肩を竦めた。

「じゃあ、立花君ほどは成熟していない歳下の子達は?」
「私達と違って、例え天女に惚れても被害は小さいからな。恨むのとは違うんじゃないか」

 下級生は、学園を守る立場ではなく守られる立場だから。命を落とす危険があるのは実習がある上級生だけで、下級生はせいぜい実技の授業で怪我をする程度だから。"色"の指す範囲が、上級生と下級生で違うから。
 重ねられる理由に名前は確かにと頷いた。

「先輩たちを堕落させることに怒っても、友達が怪我することに怒っても、それでも事の重大さはまだ分からないから」
「その通りだ。しかし恨んでないとはいえ、何があっても天女を救おうとするのは保健委員くらいだろう」
「善法寺君や、乱太郎君とか?」
「ああ。それでも伊作はかなり警戒しているがな」

 伊作の場合は少し特殊な事情があるんだが、と立花は続ける。

「特殊?」
「伊作には私達とまた違う理由がある。
 前に一度だけ、先生方が天女の罠にかかったことがあるんだが」
「へえ」
「その時の天女は誰もが惚れるほどの美貌の持ち主で、そんな女性を虜にしていることを先生方は誇っていらした」

 連日わざと人の多いところを練り歩き、先生達の目論見通り沢山の声を掛けられ毎日を過ごしていた。天女も虚栄心が満たされさぞかし満足だったろう、と皮肉る仙蔵の言葉に名前も苦笑を漏らす。しかし

「そんな中、最も恐れていた事態が起きたんだ」