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 一転して苦々しげな調子で仙蔵は言葉を続けた。

「ある忍者が、忍術学園に侵入してしまった」

 浮かれた先生達の言葉を盗み聞いたある城主は、その忍者を使って天女を攫おうとした。
 当時天女が暮らしていたのは医務室。そしてその日、医務室の番をしていたのが善法寺と3年生で保健委員の三反田数馬という名の少年だったという。
 先生が使えない忍術学園は、どんなに頑張っても力が落ちる。その上先生達は抜け道まで喋っていたらしい。易々と医務室にやってくると、天女を見張る保健委員達を殺そうとした。

「初めに手を掛けられたのが三反田だった。
 結局、留三郎という男と伊作が共闘して三反田も怪我を負うことはなかったが、三反田はショックでその時の記憶がない。そのことを、伊作はかなり気にしている」

 だから同時に天女も警戒しているのだろう。
 名前が思うよりも深刻な被害に、自然と眉根に皺が寄った。

「よく私のことを殺しませんね」
「学園長がそれを許さないからな。疑念と私怨だけで殺すことはできん」
「あなたもよく私の世話を焼くわね」
「だから言っただろう。
 私たちは天女を恨まない。そもそも以前の天女とお前は関係ない」
「それはそうですけど……」
「私は、例え天女だとしても学園の秩序を守るなら文句はない」

 「へえ」感心して名前は相槌を打った。すると立花が「それ」と名前を指差す。

「え?」
「胸に手を当てるのは癖か?」
「いや、そんなことはありませんけど」
「そうか。よく胸元を触るから何か理由があるのかと思ったが」
「特には……?」

 名前にはそもそも胸に手を当てている自覚もなく、首を傾げるしかない。それを見た立花も「ふむ」と一言、顎の下をさすっただけだった。

「もう質問はないか」
「ないです。どうもありがとう」
「だがしかし、一日中ここにいるのは暇だな」
「暇ですけど、まあ仕方のないことですので」
「そうだな」

 再び沈黙が訪れた。立花がおもむろに、懐から何かの本を出す。

「なんですか、それは」
「兵法書だ。お前も読むか」
「いえ、どうせ読めないですし……。
 もし宜しければ、いらない紙と書く道具をくださいませんか」
「分かった。少し待っていろ」

 立花はそういうと天井裏に登り、幾ばくもしないで帰ってきた。その左手には文鎮と筆と硯が、右手には紙の束を持っている。
 名前は「ありがとう」と言いつつ受け取ると、布団のそばにある卓上に置いた。

「立花君をデッサンするのは、まずい?」
「好きにしてくれて構わん。
 この部屋の中にあるものなら、何をスケッチしたところで咎められはしない」

 そういって壁にもたれかかった立花を、名前は半紙の上に描く。
 刻々と時間が過ぎていく部屋の中で、響くのはページを捲る音と筆が紙の上を走る音ばかりだ。口も開かず干渉もせず、お互いが思い思いのことに夢中になる。
  ────立花は一体何しをにここに来たのか、監視ではないのか。

「……誰か部屋の前にいるな」

 腹が空くなあとぼんやり思い始めた頃合いだった。ポツリと立花が呟き、部屋の戸を静かに引いた。

「あ! あの時の」
「お久しぶりです」
「お久しぶりです。食満留三郎さん、と言いましたか。
 あの時はどうもありがとうございました。保健室へも君が運んでくれたと善法寺君から」
「はい、なにごともなさそうで安心しました」
「申し遅れましたが、私は苗字名前と言います」

 その様子に立花が肩を揺らす。

「まるで見合いだな」
「普通だと思いますけど」
「それで留三郎、何の用だ」
「何の用、という訳でもないんだが」

 食満がぶら下げていた風呂敷の結びを解く。中から出てきたのは、妙に底が厚いが

「草履、ですか?」
「はい」
「あれ、でも草履なら昨日、立花君から頂いたのですが」
「いえ、こちらは振動を吸収するタイプの草履です。腰を痛めていると伊作から伺いましたので、天女様に履いていただこうと」

 どんな草履だよと内心突っ込みを入れながら「ありがとうございます」とそれを受け取った。側面を見て、裏を見返してはたと気付く。

「これ、私の履いていたスニーカーと型が一緒ですか?」
「ああ、はい。履き慣れている物の方がいいかと思いまして」

 ならスニーカーを返してくれれば良いのに
 名前は突っ込みたい気持ちをぐっと押さえて、なにが目的かと考えた。足跡から自分の歩いた場所を探ろうとかそう言う魂胆か?
 しかし結局、なんにせよ不都合はないから良いかと素直に受け入れた。疑われているとはいえ不自由を強いられるのはどうにも気に食わないが、たかが型の違う草履くらいなら気にならない。

「出来るだけ履いていただけると嬉しいです」
「ええ、勿論です」

 食満は軽く一礼すると、それ以上のことは何も言わず身を翻した。一寸の隙も見せずスタスタと去っていく。

「……今までで一番警戒心が強そうな男ですね」
「お前も言うようになったではないか」
「早々に敬語すら外した立花君には言われたくありません」
「そうか」

 ははっと笑うと立花はまた兵法を読み始めた。何を考えているのか掴めない奴だが、あまり敵意を剥き出しにされても疲れる。これくらいが丁度いい。数日過ごして入ればまたなにか分かるかも知れないと、名前も再び筆を手に取った。
 しかしながら。
 結局、これといってなにも起きないまま2日3日と日は過ぎていった。目覚めてから4日、今日も今日とて昼間は全く読めない立花と過ごし、夕方からは部屋に集まるは組の子達に勉強を教えている。
 文字を学べば怪しまれるかもしれない。学園内の散策などもっての外。立花との話題は尽きた。善法寺とも体調と食欲、怪我の具合以外話すことはない。外出はできるのかもしれないが、そもそも長い距離を歩こうとすると、未だに背中の傷が痛む。
 ……あの門番、一体どれほどの力で投げたのかしら
 それはともかくそうなると、この子達と話す以外楽しみなど特にない。

「あ────────終わらねえ……」
「きり丸、あともうちょっとだから頑張って」
「そうだけどさぁ庄左ヱ門、俺バイトが終わってないんだよ」
「バイト?」

 見ていた金吾のプリントから顔を上げ、名前は首を傾げた。

「きり丸は、アルバイトをして学費を稼いでいるんです」
「へえ、なかなかね」

 名前は勝手に食費と生活費だけがかかるのかと思っていたが、そうか学校だから学費も必要なのかとひとりごつ。

「それが終わってないのね? 締め切りは?」
「明日の昼、売りに行かないといけないんっすけど」
「内容は?」
「草履作り」
「草履作り、か」

 それならば、やり方さえ分かれば出来るかもしれない。毎日退屈ばかりして、なにもしていないのだから丁度いい。

「うん。きり丸君、それここに持ってきてくれない?」
「え!? 手伝ってくれるんすか?」