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「ええ、手伝って“あげる”」

 言下きり丸は目を小銭にすると、とんでもない勢いでこの部屋を飛び出した。
 名前がつい先日知ったことだが、きり丸は「あげる」のつく言葉をとても好む。自分でいうのは泣くほど嫌がり、言われれば飛び上がって喜ぶのだから面白い。
 いつか「情報を聞いて“あげる”」などと言われて機密事項を洩らしはしないか、名前はそれだけが心配だがいつか治るだろう。……と、信じている。

「これでっす!」
「うわ、すごい……」
「きりちゃんそれは引き受けすぎだよ」
「だってぇ」

 ものの数分で戻ってきたきり丸は、両手にいっぱいに抱えた藁をどさっと畳の上に落とした。これを昼までと思うと気が遠くなるが、どうせ明日の日中もすることはない。
 夜更かししたって、昼寝すればいいもんなぁ

「いいよ、やってあげる」
「あげるぅ!?」
「うん。
 勉強が終わったら、やり方だけ教えてね」
「もちろんっすよ!」

 先ほどまですっかり勉強に飽きた様子だったというのに、きり丸は快活に返事をすると、水を得た魚のように生き生きとプリントに取り組み始めた。なんとも現金な様子だ、きり丸だけに。
 あまりに頑張るので早々に疲れてしまうかと思ったが、やはり「あげる」は絶大だ。いつもの倍早く勉強を終えたきり丸が懇切丁寧に作り方を教えてくれる横で、名前は「いつもこうすりゃ良いのに」と胸のうちで呟く。
 それが出来りゃ苦労しないってか

「こんな感じなんすけど」
「思ったよりも簡単。私にも出来そう」
「ほんとっすか!?」
「ええ、大丈夫。私に任せて頂だ……任せて?」
「毎度ありぃー」

 アヒャアヒャアヒャと目を小銭にして喜ぶきり丸の姿に、名前は苦笑を浮かべた。こんな顔にすら可愛さを覚えるあたり、名前も大分毒されている。

「じゃあ、取り敢えずみんなの宿題を終えてしまおうか。きり丸君も手伝って?」
「分っかりましたぁ!」
「僕達も終わったので手伝います」
「いつもありがとね、伊助君。庄左ヱ門君も」

 そうしてみんなで一緒に考えたり教え合ったりしているうちにみるみる宿題は消え、全員が筆を置いたのはいつもより随分早い時間だった。

「あー疲れた!」
「よく頑張ったね、虎若君。みんなも」
「あ、そういえば!
 明日は私たちじゃなくて、伊作先輩が夕餉の担当です」
「あぁそうなの、分かった。
 明日は何かあるの?」
「校外実習があって、裏々山で崖登りするんっすよ」
「へえ、頑張ってね」
「はい。それが、結構大変らしくて……」

 帰ってきたら疲れて眠ってしまうだろうから、という善法寺の気遣いで担当が変わったと虎若は言った。

「だったら明日は、この勉強会もなしにしようか」
「やったあ!!!!」

 全員の声が揃ったその随分嬉しそうな様子に、いつも頑張ってくれているからなぁと名前はしみじみ思う。
 この子達は勉強が大嫌いだ、庄左ヱ門を除いて。それでも名前のために毎日来てくれることに、感謝してもしきれない。

「じゃあ明日は、名前さんとお話だけしにくる?」
「それはいい案だね! 喜三太」
「でしょう? 金吾も一緒にこようよ!」
「ダーメ」
「ええ────────っ」

 喜ぶのも一緒なら、ブーイングだって口が揃うものらしい。

「お話できるなら、ご飯も持ってこれるでしょう。
 善法寺君は、帰ってきたらすぐに部屋で休んで欲しいと思って言ってくれたんだと思うよ」
「はぁい」
「じゃあ、次会えるのは明後日ですか?」
「そうなるね。でも私は此処からいなくなったりしないから大丈夫、安心して?
 ところできり丸くん」
「なんっすか?」
「この草履、お昼に売らないといけないって」
「ああ、それなら大丈夫っす!
 俺と同じ図書委員会の不破雷蔵先輩に頼んだんで!」

 もう困っちゃうんすよーときり丸は続けた。

「学園長の迷惑な思いつきのせいでしょっちゅうバイトはパア、今回は前日に言ってくれたんでいいんすけど」
「でも珍しいよね、前日にお知らせがある学園長先生の思いつきなんて」

 兵太夫によると、ここの学園長はよく「思い付いたぞ!」といって突然実習課題を出すらしい。そのせいで、ただでさえ遅れているは組の座学が遅れ、教科担当の土井半助という先生の神経性胃腸炎が悪化するのだという。
 そりゃあ座学を教える方としては堪ったもんじゃないよなぁ
 名前は7日前に見た若い男の顔を思い出した。眉尻を垂らし困り切った顔しかイメージにないが、そこに見かけ通り苦労人と付け加える。前日に教えられても、予定が崩れることは必須だろう。
 どこか同情さえ覚えつつ「今回は前日だからまだ良かったね!」と無邪気に喜ぶ兵太夫の頭を撫でる。

「まあ、せっかく事前に教えてもらったんだから早く寝た方がいいね。明日に備えて」
「そうですね。
 じゃあ、みんな帰ろうか」

 庄左ヱ門の言葉を皮切りに、皆が持参したノートや忍たまの友を持って立ち上がった。

「それじゃあ名前さん、おやすみなさい」

 おやすみなさい、おやすみなさいと戸を出て行く前に律儀に頭を下げる子達に

「おやすみ。明日は十分注意して、頑張ってね」
「はーい!」

 名前への返事も、外から聞こえる喋り声もいつもよりずっと元気だ。最後に出ていく3人組も「おやすみなさい!」と一際元気な声でいうと、スキップをしながら去っていく。「しほーろっぽーはっぽーしゅーりけん!」と陽気な歌まで聞こえてきて、可愛いなぁと名前は顔を綻ばせたが
 ……まぁ、現実逃避してないでやんないと
 積まれた藁を手に取り、習ったように動かす。藁を捻じ上げ、出来上がったそれを足に引っ掛け新たな藁を継ぎ足して────意外と1つに時間がかかる。大変だが、何かに集中するのも久しぶりで案外楽しい。
 先が尖らないよう爪先を作り、弛まぬよう編み上げていく。これを日頃からきり丸がやっているというのには驚いた。かなり神経を使う。

「とまぁ最初は楽しかったんだけどね」

 ひとり部屋で小さく呟く。

「そろそろ眠い……」