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「なるほど。まぁあなたが疑われている理由を僕から言うことは出来ないのですが……」

 あくまで僕は、監視をするのが役目なのでと困り顔で語る不破にはぁと頷く。だからなんだ。

「やっぱり僕にはあなたが、間者には見えないんですよね」
「そう、ですか? なんで」
「昨日、天女様は歌を歌っていらっしゃいましたよね。ほら、ナントカ体操第1、とか。他にも色々と」
「え……? ああ、ああ! そうですね」

 あんな眠気覚ましの歌、「歌っていらっしゃる」と言われてもピンとこない。あれは「唱えていた」ぐらいが表現としてもせいぜいだろう。

「確かに歌いはしましたけど」
「僕はあれを聞いて、やはりあなたは天女様ではないかと思いました」

 僕は前に来た天女様から歌を習いましたが、と不破は自身の体験談を語り始めた。
 朝から晩まで天女の部屋に入り浸り、つきっきりで習ったと言うのにマスター出来なかった。ここにはない音程に、沢山出てくる知らない単語。リズムも取りにかったと嘆く不破に、名前は少し首を傾げる。

「あの『しほうろっぽうはっぽーう』の歌は別なんですか?」
「あの歌……僕は歌えません」
「え」
「あのようなリズムの曲も、あの歌しかないはずです」

 後輩が歌っているを散々聞いているはずなのに、歌えない────それだけならまだしも、親しみがないなんてことはあるのだろうか。名前は首をひねるが、不破はさも当然という表情である。
 ……まぁ、リズムという単語はあるのに、トイレはトイレではなく厠だものね。
 そう思えば理解できないこともない。

「それで?」
「この時代とは楽譜が違うので、天女様と合わせて歌ったのですが、それもすごく難しくて」
「まぁ……そうよねえ」
「だから、あなたは天女様だと僕は思いました」
「な、るほど?」
「仮にあなたが、さっき言った様に天女に扮する間者だったとします。
 そうすると、歌は天女様があなたに教えたということになりますよね。でも完璧に歌える様になるには、どちらも根気よく練習を重ねないといけません。
 しかし僕に教えていた、僕に惚れていた天女様でさえ途中で諦めていましたから……」
「そんなにいろんな歌を私が歌えるはずがないって?
 でも、天女様は私に心酔していたのかもしれませんよ」
「それならあなたも天女様に心奪われて、潜入するというような、長期間天女様の元を離れる任務は遂行できるはずがないんです」

 名前はまた首を傾げた。

「でも天女様に懇願されたら? 忍術学園を落としてくれと」
「まず、天女様は男を落とすことに関してはかなりの策略家ですが、基本的に争いを好みません」

 確かに、と名前はひとりごつ。天女がみんな自分と同じ時代の人だとしたら、よほど特殊な環境に身を置いていない限りは血を伴う争いとは縁がない。そんな彼女たちが、失敗したら死ぬリスクがあることをさせるはずがない、と言うのは最もなことだった。
 この少年はよく観察している。

「それから、天女に惚れている状態で長期間その人の側を離れると、言いようのない不安に襲われます。
 次第に動悸や冷や汗も止まらなくなり、何も手につかなくなってしまうんです」
「……へ、へえ」

 思わず口の端が引きつった。まるで中毒だ。

「……天女様って、厄介ですね」

 やっと口にした感想に不破は困り顔で笑う。実際そうだとしても名前がいる手前、頷きを返すことはできないらしい。

「だから、未来の歌を歌える貴女は天女様です」
「なるほどね。言いたいことは分かったよ。
 まぁ実際私は間者ではないから、天女だと思ってくれるなら何にせよいいんです。ありがたいわ。
 だけど、そこじゃないの」

 不破が自分を間者か天女かどちらだと判断しているか、それは名前にとってそれほど大きな問題ではない。名前が疑問を抱いたのはそこではなく、そもそも「貴女は間者ですか」と本人に聞く理由だ。
 まだ、続いた話がぶっ飛んだものだったらその質問も理解できた。しかし不破はよく人を見ているし、指摘は的確で頭が悪いようにも見えない。

「結局最初の質問、一体何の意図があったんですか?」
「僕は天女様だと思う、と僕と同室の鉢屋三郎と言う男に話したら」

 ああ学級委員長委員会の、と確認する様に呟けば、不破が一つ頷く。

「そいつは間者だ、と言われてしまって。
 しかも、きり丸のアルバイトを手伝ったから良く見えるだけだと言われて」
「ほほう」
「言われてみればそうかも知れない、いやでも天女様に慕われていた僕ですら歌を習得できなかったのにあんなに沢山の歌を、でも学園の人を知らない天女様なんていなかったし、ううん……」

 会話の途中だというのに腕を組み思案を巡らし始めた不破に、名前は小さく息を吐く。
 おいおい

「不破くん?」

 だが呼びかけても返事がない。

「不破くん!?」

 まさか急に意識が遠のくようなそんな大病を、と慌てて不破の肩を強く叩けばはっと不破は顔を上げた。

「大丈夫?」
「大丈夫です。実は僕、迷い癖があって……迷いすぎると寝ちゃうんです」
「それも大分厄介ですね」
「本当に……
 それでさっきも、三郎に言われて悩んで寝てしまって。それならいっそのこと天女様に聞いてみようかと」

 悩む割に大雑把なのか。迷いすぎて寝てしまうほど考えた末に「本人に聞いてしまえ!」となるなんて、なかなかの男だ。

「それで成果はありました?」
「うーん……僕としては、やっぱり天女にしか見えないという結論に一歩近づきました」
「一歩かい」

 名前の突っ込みに不破が笑みを零したので、楽しくなった名前も声を上げて笑った。

「じゃあ僕はそろそろ……」

 崩れないよう一束一束縄に通した草履は、風呂敷に包まれ不破の肩に担がれた。よいしょ、と一つやや重そうに担ぐ不破を見て、名前は思わず顔を顰める。

「もう一つあるけど大丈夫ですか?」

 すぐ後ろに山があるということは、随分と街まで遠いのではないかと名前はふと思った。いくら鍛えているとはいえど、1人で2つも担いで行くのはどう考えても非効率に思える。そして恐らく治安も良くない。そうだと言うのに手を塞いで行っても大丈夫なのだろうか。
 といっても私がなにかできるわけじゃないんだけど
 どうにかして楽にするか、せめて一つに纏められないか────考え始めたのをぶった斬るように、スパン!と障子を開ける音が鳴った。

「その心配はいらない」

 そう言ってづかづか歩んで来る男に目を遣る。

「随分そっくりな……?」

 言いかけた言葉を途中で飲み込んだ。
 なんの匂いだ?