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微かだけれど、とても変わった匂いがする。薬を焚かれたのだろうか。しかし仲間もいるのにそんなことはしないだろうなどと考えているうちに匂いは強くなり、消えた。
原因を探る前に鼻が匂いに慣れてしまったなと側に立った男を見上げて思う。一体何の用だろう。
「雷蔵、この女と馴れ合う必要はない」
「三郎……」
「天女様、どうぞ御心配なく。私が彼のサポートをしますから」
言葉と共に床にお盆が床に叩きつけられる。
「ああ、お昼ご飯……ありがとうございます」
チッと大きく鉢屋が舌打ちをした。隣で困り顔を浮かべる不破を見ながら、同じ顔でもこうも表情は変わるもんかとしみじみ思う。双子だろうか。
しかしここまでそっくりな双子がいるとは、忍者になるべくして生まれたと言っても過言ではないなぁと感心していると鉢屋がまた舌を鳴らした。今度は溜息もセットで。
「……何か言ったらどうだ」
「え?だからありがとうございますって」
「そうじゃなくてだな、」
「三郎、もうよしなよ。それでは天女様、失礼します」
「雷蔵が言うなら……それでは」
去っていく2人は、後ろ姿から歩き方までそっくりだ。その背に「気をつけてー」と声を掛ける。答えのないままピシャリと閉められた障子を見て、そして手元の粥を見た。
よくもまあそこまで嫌う人に昼食を準備出来るなと再び感心しながら、名前はいただきますと唱える。
口にした粥は、いつもと違う味がした。
伊作は手元に持った盆を視界に入れると、小さく溜息を吐いた。
「気乗りがしないなあ」
ポツリと言葉が零れ落ちる。盆にのった粥にはホワホワ湯気が立っている。その中に────毒を混ぜた。
致死性のものではない。彼女が天女か間者か判断するための、植物由来の軽微な毒だ。忍びなら、少なくとも城や学園への潜入を任される程の忍びならば最低限慣れさせられているだろうし、仮に慣れていなくても大した症状は出ない。
伊作なりに「患者」のことを思いやった結果だ。例え敵であろうと患者を手当てするのがモットーの伊作にとって、殺すわけでもなく、ただ患者の症状を悪化させるような行為は主義に反する。
しかし、迫り来る“10日”と言う期限が伊作を急き立てた。この女が来てから早7日、毒を体に入れてから本調子になるまで丸2日はかかる。そう考えると、自分が面倒見れるうちにと思うなら今日が最後のチャンスだ。
「まあ、もうやらないわけにはいかないんだけど……」
三郎の手をかなり借りている。学園長に変装させては組の授業を変えた上に、判断力を鈍らせるよう昼食には眠り薬を混ぜてもらった。
もちろん眠り薬を調合したのも本物の学園長を丸め込んだのも自分だけれど、それでも三郎の助けあっての作戦だ。できませんでしたとはもう言えない。
「よし」と小さく気合を入れた。伊作には、忍たまを守る義務がある。
「失礼します」
いつもならば、どんなに寝ていようとは組が来れば髪を整えると噂の女は熟睡したままだった。伊作が特別気配を消していたわけでもないのに。
「天女様、起きてください。夕飯ですよ」
強く肩を叩けば、いつもよりボンヤリとした面持ちで女は顔を上げた。
「ああ、善法寺君……あれ、もう夕飯ですか」
「変なの」呟く声にヒヤヒヤしながら眼前にご飯を差し出す。
しかし、体に力が入らないらしい。蓮華を何度も何度も掴んでは落としを繰り返す女を、見るに見かねて伊作は手を出した。
「え、」
「僕が食べさせます」
「ええ……そんな、申し訳ないですよ。いつもはこんなことないんだけど……」
言い募り、なおも掴もうとしている手をなるべく穏やかに払うと伊作は蓮華を引っ掴んだ。もしここで「じゃあもう食べない」などと言われては作戦が水の泡になる。今手を貸してしまえば違和感もない上、食べさせた方が偽装もされにくく好都合だ。
腹の中でほくそ笑み、さも貴方のためと言わんばかりの表情を貼っつけて伊作は女を見た。
「さあ」
女は困ったように笑うと口を開けた。
「どうですか?」
「美味しいですよ」
とはいうものの、咀嚼するのさえ辛そうだ。一応なんとか食べ進めているが、眉間には微かに皺が寄り、お世辞にも美味しそうに食べているとは言えない。
鉢屋、どれだけ薬を混ぜたんだろう
いささか心配になる程自由が効いていない体に、医者としての心が揺らぎ思わず背を撫でた。ありがとうと女はしおらしく呟く。
だが次の瞬間、背筋をすっと伸ばすとまるで悪戯を企んだくノ一のようにその面持ちを変えた。「え」面食らった伊作を下から見上げてくる。
「なにか入ってたのかしらね、お昼ご飯に」
「まさか」
声は震えなかっただろうか。
「……まあ、そうよね」
だが女はすぐさま体から力を抜き、あっけらかんと続けた。
「乱太郎君たちが言うところの『優しくて腕のいい保健委員長』なわけだし。
手を煩わせて本当に申し訳ないです……いつもありがとうございます」
「いえ……」
「どうしました?」
思わず視線が下がった伊作を気遣う口に、やや強引に粥を突っ込む。
無自覚だろう。しかし伊作に全幅の信頼を置く乱太郎の名前を出すことは、罪悪感を抱かせるのに効果覿面だ。保健委員としてどうなのだろうか、そもそも疑いだけでここまで手を下す必要があるのかと疑問がぐるぐる頭を回る。
天女に対する私怨じゃないのかと聞かれて、いいえと答えられる自信は正直ない。
「どうしたんですか、本当に」
飲み込んでは伺う口に、曖昧な笑みを浮かべながらどんどん粥を入れていった。随分体も起き出したようだが、せめてものの気遣いとして粥の中の固形物を潰していく。こうすればある程度、食べるのも楽になるだろう。
「善法寺君は本当に、優しいですね。は組の子達の言う通りですよ」