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「なんだ、金吾」
「名前さんのこと、どう思いますか」

 ハッとして名前は保健室の中を振り返った。

「それ、流石にその子に聞くのは可哀想よ。答えに困るでしょう」
────まあ、そうだな。確かにこの優秀な私でもなかなか答え辛い質問だが……」

 ふむ、と平は鷹揚に顎を撫でた。

「私は今回の天女様とは今日初めてお会いするし、また友人達も関わったことがない。七松先輩から話を伺ったこともないな。だから、評価することは難しい。
 だが、三之助を保健室まで届けてくれたというのは紛れもない事実だ。私はそのことにとても感謝するし、それは良いイメージに繋がるだろう」

 それだけだ、とまとめたのを聞いて「へえ」と名前は嘆息した。文句のつけようもない模範解答である。それは金吾にとっても平にとっても、そして名前にとっても。
 と思ったのだが、なにやら質問した本人は不満そうだ。でも……と一層小さな声で呟くのが聞こえて苦笑する。

「金吾君」
「なんですか」

 金吾は遮られたのを不思議がるように名前を見遣った。

「明日、テストじゃなかった?」
「あ、はい! 予定通り、土井先生のクラスでテストをやるそうです」
「なら、今日の夜最後の勉強会をするから」

 うってかわって金吾の顔が明るくなる。

「だから、今までと同じ時間に私の部屋においで。は組の子達にもそう伝えておいてね」
「はい!」
「なら天女様は明日、忍装束に着替えて部屋で待機だ!」
「え、誰」

 言下、どおおおんという大きな音と共に保健室の障子が破られた。
 そうして突っ込んできたのは、左腕にまさかのバレーボールを抱え、緑の装束を茶色く汚した少年だった。この人も体育委員会だろうか。なんとなくそんな気がする。
 あの優しい善法寺が「ちょっと小平太!」と怒ろうが「すまんすまん」と反省のそぶりも一切無い。さしもの名前も呆気にとられてポカンと口を開けた。
 …………いや、本気か?

「なにをそんなに驚いているんだ?」
「これ、こんなに大破して……普通に入ってこれないものかと」
「全く天女様の言う通りだよ小平太!」
「いやあここの木枠が脆すぎるのが悪い」
「そんなことはないでしょうよ」

 なにを言われようが口を大きく開けて笑うばかりの小平太という少年に、末恐ろしさを感じて思わず身を震わす。

「ところで、さっきはなんて」
「あぁそうだった。明日の朝、忍び装束に着替えて部屋で待っていてくれ」
「あなたをですか?」
「そうだ。この草履を履いてきてくれ!
 こっちの草履は回収させてもらうぞ、いいな」

 それに何かを言う前に、小平太は名前がここまで履いてきた草履を風呂敷で包んで腰に結びつけた。
 いいな、とか聞く意味あった?
 まぁいいけどと名前は呟く。

「他になにか準備する物はありますか?」
「ない!」
「そうですか。じゃあまた明日」
「ああ! 楽しみにしている」

 楽しみにしているって何を
 怪訝な顔をして見せたが、小平太は見て見ぬ振りをして顔を後輩達の方へ向けた。なんだ?と思うが答えてくれそうもないので仕方がない。どのみち明日になれば分かるだろう。

「それでは体育委員会!」

 ひうっと小さく纏まった4人が息を呑んだ。

「今から裏裏山までダッシュだー!」
「うわあっ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ七松先輩!」
「いけいけどんどーん!」

 「小平太、あんまり無理させないでよー!」という善法寺の声は届いたのかどうか。しかし届いていたとしても、聞く気なんて更々ないに違いない。
 金吾を小脇に抱え走り去っていく姿は、そのフサフサした髪も相まってまるで野生のライオンだ。土煙を上げ、瞬く間に走り去った方向に向かってため息を吐いた。つくづく明日が思いやられる。
 ────取り越し苦労ならいいんだけど
 そうはならないのが世の摂理である。

「おお天女様、結構やるじゃないか。じゃあ更にスピードアップだ!」
「い、や……ちょっ……と、え……」

 名前はふざけるなよ、と胸のうちで悪態を吐けるだけ吐き、七松を必死になって追いかけた。さっきから山にいるのは分かるが、登ったり降りたりどこに向かっているのだろう。
 そもそもいつ終わるのよ、これ

「あ、の……」
「なんだ?」
「もうちょっと、……っはあ、ゆっくり……」
「大丈夫だ! いけいけどんどーん!!」

 殺す気かという嘆きすら言葉にならない。走るどころか歩きすら慣れないこの山道で、こちとら足を取られないようにするのに精一杯なのに。
 そもそもどんな身体構造をしているのだ、こいつは。七松は振り返ったり変な掛け声を上げたり余裕綽綽に見えるが、スピードは乱太郎よりも絶対に速い。つまりは────オリンピック選手を超える速さ。一体どんなトレーニングを積んだのか。
 忍者なんか辞めて「速く走るコツ」なるメソッド本を出した方が絶対に上手く生計が立てられる。

「……っと、ここだ!」
「っうおぁ!」

 気を紛らそうと全く違うことを考えていた名前は、思い切り前につんのめった。

「なんだ、まだまだ元気そうだな!」
「……っなにを見て……っはあ……」

 名前が息を整えるのを待ちゆっくり歩く七松に、自由人かと思いきや一応委員長とか呼ばれてたからなぁと失礼な感想を抱く。
 ここが裏山で普段は練習をしに、と喋る七松の声を右から左へ流しながら、背後からじっと七松を見つめた。しかし

「別に……普通なんだよね……」
「何がだ?」