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「全部がよ、全部」

 七松の外見は、殊更ムキムキというわけでもなく至って普通だ。天井裏に飛び上がる忍者のことだから、体が重いのも問題だろうし当然といえば当然である。
 が、まさか七松がドーピングしているわけもない。ここの生活はところどころ未来が混じるものの、薬は薬草を摺って作られているのは名前も見ている。
 ……これも「無自覚な方向音痴」の類の話ってこと?

「息は落ち着いたか」
「ええ。どうもありがとう」

 尋ねた七松は、大量に生えている木々の中でも一際太い幹の下で足を止めた。

「天女様は木登り、したことあるか?」
「え? ええ、小さい頃に何度か……」
「じゃあこの木に登ってみてくれ」
「この高い木に!?」
「ああ、出来るだろう」

 名前は反論を諦めて素直に木の下に立った。
 ……間者の疑いがかけられてるんだもんねぇ
 登れないと言ったところで信じてもらえないのが関の山だ。────それならいかに木登りが下手か、見せてやろうじゃないの。

「よいっ……しょ……」

 小さな突起に手をかけ足をかけ、ジリジリと上に進む。
 なんっておかしな格好だろう!
 けれど名前に笑う余裕は微塵もない。右足、左手、右手、左足……繰り返される動きに集中すると、久しぶりに動かす筋肉が震えているのを感じた。これは、暇だ暇だと嘆いている間に筋トレでもするべきだったかもしれない。

「おお、結構いい感じだぞ」
「どーもー」

 しかし慣れた頃には、下から掛けられる声に返事が出来るようになっていた。この草鞋の縄と木のささくれが上手く絡んで、意外と登りやすい。
 それでも流石に神経は使うけれど、とはいえ初めより上手くなったんじゃないだろうか。手も足も楽に動くようになった。

「あともうちょっとだぞー」

 随分七松の声も遠くなった。初めより幹も大分細くなったなぁとひとりごちて気付く。

「え、これ私どうしたらいいんでしょうかー?」
「枝に捕まって、その枝に登れ!」
「はーい」

 なんと、まだ降りてはいけないというのだから酷い。名前がチラリと視線を下に向ければ、地面がかなり遠く足が竦んだ。少なくとも個々の草花は識別することはできない。

「え、怖いんだけど……?」

 しかし、顔を上げれば七松がいう木の枝はすぐ目の前にあった。
 よいしょと手を伸ばせばすぐに手がかかったので、片手で自分の体をその枝の上に乗せた。そのまま足を掛け、木に跨ってから上半身を起こす。

「おお……あー、あんまり……」

 目の前に広がる景色は壮観、というわけでもなかった。緑緑緑……しかもかなりの近さである。これが例えば山のテッペンなら違ったかもしれない。けれど、七松の止まったこの場所は多分山間だ。そしてこの木、背はそこまで高くない。
 ……あ、七松君ってただの暴君じゃないのね
 ふと気づく。七松が敢えて名前に周りが見えないほど走らせ、この木に登らせたならとんだ策士だ。
 体力や技術を見るつもりもあったかもしれない。しかしそれ以上に学園の位置や、仕掛けてあるであろう罠に気付かせないために方方に走らされたのではないか。
 そして学園を上から眺められないように、この半端な木に登らせた。目立って太い木を選んだのも、それに気を取らせるためだろう。
 
「一本取られた……」

 ひとりごちた名前の声に返ってきたのは

「よし、着いたな!」

 隣の木の下でいいぞ!と意気込む姿に冷や汗が背中を伝う。まさか

「そこから隣の木に飛び移れ!」
「無理です!」

 思わず食いつくように返事をした。

「無!理!で!す!」
「なんで?」
「なんでじゃないですよ!
 私木に飛び移ったことなんてないですし、そんなことしたら怪我します!」
「大丈夫だ! それでも死なない!」
「私は死にますよ! あ、いやもうこれ以上死ぬことはないのかもしれないけど……
 ううんでも、絶対痛いので嫌です!」

 名前には「死ぬ」と言われてもまだしっくりこないが「痛み」はものすごく身近な問題だ。この10日間、背中の痛みやら腹痛やら色々と、それこそ死ぬほどの痛みを感じてきたのだ。
 これで死に損ねてまた大怪我だけ負ったら?
 そんなの馬鹿馬鹿しくてやっていられない。

「大丈夫だ!私が受け止めてやるから!」
「……寝言は寝ていうものなんだけど」
「え、なんだって?」

 聞き返されるのも腹立たしい。さっきの考えは訂正する。七松はやはりただの暴君だ。
 
「じゃあもう飛ぶから!」

 やるしかないなら先延ばしにしたところで結果は同じだ。「よし」意気込んで比較的頑丈そうな枝に狙いを定める。
 気合いを入れて、

「っはっ……!」

 腰も引けた。尻も引けた。当然

「う、うわあああああ」

 上手くバランスが取れず足も滑らせた。あんな屁っ放り腰なら当然か……と考える間にも体はどんどん落ちていく。
 木と木の間で足を滑らせたせいで、中心の幹からは当然遠い。けれど枝の先端に衣服が引っ掛かかることもなく、顔に傷を付けていくばかりでてんで役に立たない。
 スピードはみるみる上がって落ちる落ちる落ちる落ちる。また大怪我をするのか、

「いけいけどんどーん!」
「うわっ」

 パシッといい音がして七松の腕の中に名前は収まった。

「大丈夫か?」
「……怪我はしてないかという意味で聞いてくださったのなら、大丈夫ですよ。
 気持ちの面で言うなら軽くトラウマになりそうですが」
「それは困るな! 忍者になるのに」
「はあ?」

 音もなく地面に着地した七松から名前も勝手に降りる。

「え、どういうことですか」
「え、だって、名前は我々と同じ6年に編入したのだろう?」
「ちゃっかり呼び名まで変えて……って、え、それ本気だったんですか」
「ああ! 本気じゃないわけがないだろう」
「ええー」

 名前は遠慮なく顔を顰めた。
 善法寺の言葉は建前で、疑惑さえ晴れれば解放されるものだと名前はすっかり思い込んでいた。しかし端からこの学園を出るという選択肢はなかったらしい。つまり、殺すか生徒になるかの二択。
 じゃあどーして学園内すら歩かせてくれなかったんだ!など文句は1つや2つどころではないが仕方ない。目線を落として小さく溜息を吐き

「……その手」
「え?」