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「……質問はある?」

 一体どうしてこんな思いをしているのかと、伊作はもはや神様さえ恨みたくなった。そもそも天女を降らせるようなことがなければ、誰もこんな思いをしなくて良かったのに。

「私も伊作の意見には賛成だ。ヘッポコ間者なら、そもそも我々がここまでする必要はない。
 では伊作の結果も、女が天女である証拠として認める。異論はないな」
「ああ」
「さて、文次郎は相変わらず長次に認められないというし、小平太は今検証の真っ最中だろうから後は5年だけだが」

 仙蔵の言葉に5年が顔を見合わせた。瞬時に伊作たちが知らない矢羽音が飛び交う。
 誰から行くかとかどうするかとか、大方そんなところだろうと黙って待つ。5年らしいといえば5年らしい。

「私と雷蔵は」

 口火を切ったのは鉢屋だった。

「女の懐に入ることを試みました。
 あえて雷蔵が欠点や内実を晒し女の心を掴み、対する私が攻撃的な態度を取って一層雷蔵が女に近づくという算段です」
「ふむ、それで? 成功したのか」
「いえ、潮江先輩。残念ながら……あれは成功とは言えないでしょう」
「確かにあの日は和やかに過ごせたと思います。僕の悩み癖の話をしたり……天女様が服毒した後も、感染症の危険がと言いつつ追い返されることもなく、僕は保健室に通いました。
 ですが、それ以上のことはありません。質問をすれば答えてくれますが、こちらが質問されることは滅多にありませんでした。彼女自身の話をすることも」
「あの女に何かしら持ちかけられることもなかったのか?」
「はい」
「それは俺も上から見ていたので保証できます」

 竹谷の答えに「まあ同じ5年ではな」と嘯く文次郎だが、その調子からあまり疑っていないのは明白だった。
 天女に堕とされたにしては、鉢屋の様子がおかしい。思い通りにいかなかったのが悔しかったのか、はたまた天女に何か言われたのか。鉢屋は厳しい顔をして畳の縁を睨んでいる。

「見張っている時には何もなかったか?」

 留三郎が竹谷を伺った。

「あったといえばありましたし、なかったといえばありませんでした」
「なんだ、まどろっこしい」
「これといって特筆すべきことはなかったんです。ただ、未来の歌を歌っていたぐらいで」
「あの妙な調子で変な言葉がたくさん出てくる、アレか?」

 はい、と竹谷は頷くと以上ですと引き下がった。

「もそもそ。……たしかに、未来の歌を歌っていたと言うのは天女の証拠としては弱いが、しかし参考にはなるから『あったといえばあった』だな。……もそ」
「ああ。それに聞いていたのが竹谷たちだけとなると、参考程度にしか扱えん」
「もちろん、それは承知しております」
「なら良い。では他に何かあるか? ないなら小平太が帰ってくるまで、」
「善法寺伊作君はいますか────────── !」

 騒がしい足音を立て、目下議題になっている張本人の盛大なご登場。「なんだ騒がしい」と顰めつらしい顔をして呟いた仙蔵に、伊作も苦々しい顔を浮かべた。
 警戒心も持たず騒がしくされると、今までの天女を思い出す。やっとここまで来たのに?
 心中穏やかでないまま、仕方なく伊作は障子を引いた。

「ここにいますが……うわっ」
「おい伊作大丈夫か。何を2人は急いで、」
「今すぐに水を満たした桶2つと空の桶1つ、ひしゃく2つと、それから食堂でお酢を貰ってきてくれません?」

 天女は上がる息を整えようともせず、お願いだからと喋り続ける。

「……もそ、なぜですか」

 遮った長次の目は、小平太の手首を掴んでいるのが気に食わないのか、キツく細められていた。しかし大抵の人が怯む、怒っているのに今にも笑い出しそうなその表情にも一切動じることなく、天女は小平太の手を差し出した。

「この手」

 見れば表面が少し溶けているか、爛れているようにも映る。

「何をした!」
「怒鳴らないで」

 留三郎の言葉を一蹴すると、天女は伊作に視線を向けた。

「私が何をしたわけじゃない、彼が勝手に私の持ち物を触って怪我をしたの。
 未来のもの、手当てできるなら任せるけど。でも、適切に処置をしないと跡に残る。今ならまだ怪我の程度も軽く済むから、私のお願いを聞いて」
「……小平太は、本当に天女に何かされたわけじゃないの?」
「ああ。私が勝手に名前の持ち物を触ってこうなった」
「なら、天女様のいうことを一旦聞こう」
「伊作!」

 咎める強い声に振り返る。

「文次郎、僕は保健委員長だ。これでも、手当てできる傷と出来ない傷くらいの見分けはつくよ」
「……おい、桶を取ってくればいいのか」
「留三郎!こんな奴の言うことを信じるのか!?」
「信じたのは女じゃない。伊作だ。保健委員長の伊作が女に従えと言うんだ、怪我や病気に関しては一番正しい判断を下せる伊作が、だ」

 チッとあからさまに舌打ちをすると、文次郎は天女を睨めつけた。

「好きにしろ。俺は従わん」
「結構。彼の怪我が悪化するだけだから」
「おまっ……」