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 はぁと盛大に天女は溜息をついた。

「もう逃げなきゃいけなかった時点で負けだったの。
 もう死ぬ未来しかなくて、あえて海に飛び込んだのは、この携帯を壊すため」
「壊す必要があったのか?」
「食満君、携帯って何ができるか知ってる?」
「そうだな。文通をする、“しゃしん”を撮る、メモをとる……」
「そうね。つまり情報の玉手箱ってことよ」

 あまりに現実的な話に、伊作の心臓が嫌な音を立てた。
 死に方が、僕たちのリアルだ

「それはそれは平和だっていうけどね。争いはいつの時代もあるしさ。
 より豊かな土地、より多くのお金や注目、より大きな名声、名誉、地位。そういうものが欲しい人は、どこにだっているでしょ」

 人間とは悲しい生き物だな
 達観したように呟いた尾浜に「でも」と天女は優しく笑いかけた。

「ここに来た天女はみんな、未来は平和だったって言ったんだよね? 相変わらずな部分もあるけど、いろんな理由があって平和に過ごせるようになったんだよ。
 警察はその生活を守る、1つの仕事なの」

 納得?と天女は首を傾げた。
 ────納得もなにも
 死んだ経緯がゾクゾクするほどリアルだった。
 馬より早い乗り物、情報を蓄える携帯、小型化された銃が存在する未来。その中で情報を持ちながら追い詰められた忍、重傷を負ってもう逃げられない忍の、目の前に用意された「死」。
 未来にも「忍者」が存在する。天女の言った「忍者のような仕事」は決して嘘ではない。

「しかしどうして天女様は、こんな仕事を選んだんだ?」
「……七松君、どういうこと?」
「えーっと……」
「もそ、もそもそもそ」
「えっなんて」

 口を開いた長次に天女がグッと顔を寄せるが「……聞き取れない」申し訳なさそうに仙蔵を振り返った。

「不破」
「はい! ええと」
「もそ、もそもそ……」
「……あなたの話には整合性があった。しかし、他の天女達のように楽に生きる道を選ばなかった理由はどこにある。
 未来には職業を選ぶ自由すらある、と天女は言った。そうだな?」
「ええ。仕事は自由に選べるわ」
「もそもそもそ」
「……それなら、わざわざ危険な職業を選ぶ必要はないだろう。共感を得て、私たちを騙そうとしてはいないか?」

 天女は一瞬呆気に取られると、確かにとひとりごちた。

「そういう……ことではないんだけどね」

 まず、と天女は指を立てる。

「少し話が混ざっちゃったんだけど、警察は危険な仕事をすること“も”あるだけ。全部がそうってわけじゃない。
 最初に言ったでしょ、かっぱらいの取締りもあるって」
「もそ、そうだな」
「だから……別に、警察自体は危ない仕事ではないよ。むしろみんなを守るヒーロだって、子供たちの憧れ。
 ただその中が細かく別れてて、警備企画課はさっき言ったみたいな仕事なの」
「そして、特にあなたは“潜入”をしていたんですね」

 尾浜が確認すると天女は大きく頷いた。

「その、警備……」
「警備企画課」
「そう、そこは自分で選んだのですか?」
「選んだ……といえば選んだのかもしれない。
 上の人から来ないかって声をかけられたから、お願いしますって」
「その理由は?」
「ええーまた難しいこと聞くね……」

 みんな優秀ね
 天女が笑うと、尾浜もいやぁと笑って剽軽に頭の後ろを掻いた。小さく「狸め」毒づいた鉢屋にぷっと久々知が吹き出す。

「でも大丈夫、これは証拠があるから」

 言いつつ天女は胸元からペンダントを取り出すと首から外した。そうして手の平に乗せると、かちゃかちゃと音を立てて背面を押したりずらしたりしている。
 なにをしているんだろう?
 伊作からは手元がよく見えない。すると

「おお!」

 天女を後ろから覗き込んでいた小平太が声を上げた。

「開くんだな、これ」
「そうなの、ちょっとした絡繰細工でね。みんなも見て」
「おほー似てるな……」

 中に入っていたのは写真である。
 未来の学校にあるという「制服」を着て椅子に座っている今と変わらない天女。その隣に立っている女性は

「お前の母さんか」
「この人? そうよ」

 鉢屋は「そっくりだな」と呟いて天女の顔に視線を移した。馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに肩を竦める。

「はじめからこれを見せれば良かったじゃないか。
 この時代には、写真という技術はない」
「……そっか」

 盲点だったとひとりごつ天女を鉢屋は鼻で笑った。

「しかしそもそもなにを見せようとしていたんだ」
「あっそうだった立花君。
 この写真はこうすると外れて……ほら、裏に」
「誰かを守るって素敵なことよ。……お母さんが書いたのか」
「そう。よく言ってたからね、その通りに生きようと思って。警備企画課なら一番そうっぽいかなって」

 なにが「そうっぽい」なのか。
 伊作は首を傾げたが、しかしそこを追及する必要はもうないだろう。既に、ペンダントの中の写真によって苗字名前が天女であることは証明された。疑う理由はもうない。天女の最後の説明は、全く腑に落ちないが。
 仙蔵もただ「そうか」とだけ頷いて引き下がると、小平太の手をまた掴んで

「あ、多分そろそろ大丈夫だよ。ちょっと待ってね」

 天女が仙蔵の動きを遮った。
 「もうこれ閉じていい?」と熱心に見ていた文次郎と留三郎に声をかけ、ペンダントを首に掛け直す。

「少し触るよ」
「ああ」
「……うん、もうヌメヌメしないね」

 天女はにっこり笑うとスーツを手にとった。バサリと裏返し、肩部分当て布をきれいに割いていく。すると中から

「ほ、包帯?」
「すごいでしょ。私の持ち物で怪我したんだから、未来の包帯でも試してみて」
「あのー……」
「なに、善法寺君」
「それ、もし良ければ譲っていただけませんか? お金は払いますから」
「お金なんていいよ。沢山治療してもらったし全部あげる。このガーゼ類とか……あと、火傷に効く軟膏も。
 七松君も怪我が治ったらガーゼは捨てて、包帯は善法寺君にあげて?」

 言いつつ天女は木箱の中身も手早く分類していった。

「この、右端のは今回みたいなことになるから触らないで。真ん中の道具類は弄っても平気、左端のはあげられるもの。
 今配る? それとも私をどうするか、みんなが決めてからにする?」

 もういっそ開き直った天女に仙蔵も「決めてからにしよう」と言い放った。
 スーツだけ返して欲しいと言う天女に、6年で一応確認してから風呂敷に包んで手渡す。それを受け取ると、天女はすんなり立ち上がった。

「じゃあ帰るね。
 悪いけど誰か保健室か厠か、私の部屋のどれかに連れてってくれる? この3つなら場所が分かるから」