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「5年。何か私たちに言い残したことはあるか?」
「ありません」
「ではここで解散だ。ついでに天女を送ってくれ」
「はっ」

 6人を見送り静かに戸を閉めた仙蔵は「もう結論は出たようなものだが」と小平太を振り返った。

「まあ、何をしたのか聞くというのもいいんじゃないか」
「そうだね留三郎。僕も気になるよ」
「そんなに期待されると困るんだが……
 裏山まで走らせて、木から飛んでもらった!」
「えっ走ったのかお前と? 裏山まで?」
「なんだ文次郎、何か問題でもあるか?」

 それは流石に可哀想だと文次郎は呆れたように笑った。

「そうか? やっぱり足は速かったぞ!
 だけど、木登りはヘッタクソだったなー」

 思い出したように一人大笑いする小平太に、見たかったものだなと仙蔵も笑う。
 それも可哀想だよと伊作は胸の内でつっこんだ。口に出すほど野暮じゃない。

「で、なんで小平太は女を天女だと信じたんだ? まさか木登りが下手だったからか?」
「文次郎、本当にあれを見ればアイツはこの時代の女じゃないと分かる。
 が、まあそれだけじゃない。
 木を飛び移らせようとしたら腰も引けているし、しかも足を滑らせて真っ逆さまに落ちたんだ」
「大丈夫だったのかい!?」
「怪我はさせてない。きちんと私が受け止めたからな。
 とはいえ潜入先なら助けてもらえるという保証もないし、あの高さから落ちたら確実に死ぬ。それでも落ちたってことは忍ではないな!」

 当然だ。この作戦は成功したから良かったものの危険すぎる。ともすれば二人とも大怪我では済まなかったかもしれない。
 思わず目を怒らせた伊作を「まぁまぁ、怪我もなかったしいいじゃないか」と横から留三郎が嗜めるが

「いいや。小平太には“水酸化ナトリウム”のことも含めてあとでたっぷり話がある」
「えっ」
「もそ……小平太はしっかり伊作に灸を据えてもらえ。
 木を登らせるだけ、という話だっただろう。天女がもし誰かを傷つけたがっていたら、小平太。今頃お前は大怪我だ」
「ごめん」
「その話はまたあとでするとして」

 そう言うと仙蔵はパンッと手を叩いた。

「4人中4人が間者ではない、または天女であるという証拠を持ってきた。
 5年の証言や天女が持っていた写真も含めて、苗字名前は天女だろう」
「賛成だ」

 仙蔵は全員が頷くのを順に眺め「いいな」と念を押した。

「では私はあとで、天女として学園長に報告する。
 お疲れ様」
「あー疲れた!」

 言いつつ小平太がゴロンと転がる。それを見た文次郎がまた目を怒らせたが、しかしさすがに咎めはせず「……そうだな」と壁に寄り掛かった。伊作の口からも大きく溜息が漏れる。
 これで乱太郎や伏木蔵が悲しむこともない。ここ数日のしかかっていた重荷がやっと降りた。
 だが、これは終わりではなく始まりだ。「おい、天女の処遇を決めるぞ」という仙蔵の声に、伊作は肩を回しつつ筆をとった。




「朝から元気だな。団蔵、虎若」
「食満留三郎先輩!」
「おはようございます!」

 久しぶりには組の子達と朝ご飯を食べ、すっかり良い気になっていた名前は、障子を開けて入ってきた食満を見て目を瞬いた。

「あれ、今日は授業がおやすみだって」
「いや、確かに授業はないんだが……
 伊助が掃除をしろ、って部屋の前で怒り狂ってたぞ。早く行かないとまずいんじゃないのか」

 言下真っ青になった2人は「し、失礼します!」と慌てて部屋を飛び出していった。その必死さに思わず食満と吹き出す。

「伊助君、怒ると怖いもんね。
 ……それで、食満君は私に何の用?」
「ああ。今から学園長庵に行く」
「おお……ついに」

 ちょっと待ってて
 食満を部屋から追い出すと名前は忍装束に着替えた。まさか学園長に寝巻きで会うわけにはいかない。
 それから昨日返されたスーツを抱えて廊下に出ると

「嬉しそうだな」
「どんな処分が下っても、監視されるよりずっとマシだからね」

 今更なにを言っても同じだろう。
 最後だし
 心の中で言い訳をして「やっと解放されて嬉しい」と付け加えると食満が苦笑した。

「虎若達とは何を話してたんだ?」
「テストのこと。昨日、ペーパーテストがあったんだって」
「そうか。良くできたのか?」
「本人達は今までより解けたって」
「それは良かったな」
「そうね。これで彼らに多少は自信がつくといいんだけど」

 誰も、最初から高得点は目指していない。これで少しでも点数が伸びて、勉強が楽しくなったらいいんだけどなぁという名前のささやかな願いだ。

「しっかし、これまた何で勉強しようなんて話になったんだ。は組は勉強が嫌いだろうが」
「あれ、私を見張ってた子達に聞かなかったの?」
「会話の全てを報告してもらうわけじゃないからな」
「そう?
 私が提案したの。天女に溺れていると先輩に思われるのは嫌だっていうから、じゃあ浮つくのと逆のことをすればいいんじゃない?って。
 そしたら勉強が一番苦手だというから、勉強頑張ろうって話になってね」
「そういうことか、なるほどな」
「目論見外れた?」

 名前が覗き込むと食満は「いや……」と呟いて首を捻った。そして

「良い手だったんじゃないか?
 最近は組が珍しく真面目に授業を受けていると土井先生も喜んでらした」
「それは良かった」
「そうじゃなけりゃ、は組がお前の世話を焼くことも止められていただろうしな。
 しかし、俺らもお前に多少は踊らされていたってわけか」
「どういう意味よ、それ」

 言いつつ顔を顰めると食満は大袈裟に首を傾げた。「分かってるんじゃないのか?」嘯く食満にますます眉根を寄せる。
 ふっと笑って肩を竦めるのに、名前が詰め寄ろうと口を開いた時

「ここが学園長庵だ」

 食満が、すっと目の前の立派な庵を指差した。

「ここが……」

 鹿威しが鳴る。その静かな池の奥に、いかにも室町時代らしい立派な離れが構えてあった。
 ────緊張する
 名前は立ち止まって申し訳程度に服を直した。洗濯も出来ていないから、埃が大量についているかもしれない。パタパタと全身を叩き、最後にピッと布を伸ばす。

「そんなことを気にするような御方ではない」
「だけど初めて謁見するのに」

 板張りの廊下でまたひとつ、名前が深呼吸をすると食満は呆れたように笑った。
 少し気を張りつつ、襖に手を掛け

「遅かったではないか」

 開いた途端飛んできた立花の野次にどっと力が抜けた。
 襖の前では中央を開け立花達5人が、奥の壁には黒い服の人たちがざっと10人集っている。壮年の人が多く、土井が最も若く見えた。それから年齢不詳の綺麗な女性。先生だろうか。
 そうぶつぶつと名前が観察しているのを遮るように、食満が横から座布団を差し出した。

「これに座れ」
「ここで良いの?」
「あぁ」
「では失礼します」
「こっちを向いてな」

 食満が指す方に体を向けると
 なにこれ
 向かいの壁に掛かった掛け軸に眉を顰める。

「忍者はガッツだからな」
「ふうん?」