34


 律儀に答えた食満は、名前の後ろに付き添うように膝を下ろした。一挙一動に方方からの鋭い視線が集まり、ビシバシと肌に刺さって痛い。
 なんとも居心地が悪く、名前がうろうろと視線を彷徨わせていると「わっ……」突如としてあたりは煙に包まれた。

「シュタッ。初めましてじゃの、苗字名前殿。
 ワシこそがこの学園の学園長じゃ」
「ヘムヘムゥ!」
「あっ……」

 この声は!
 思わず出そうになった声を慌てて抑えた。
 あの正体不明の音が、まさか……犬?の泣き声なんて
 名前は内心で呟く。見た目はかなり犬らしいが、なんの動物だろう。二本足で立つこんな生き物を、未だかつて見たことがない。

「ヘムヘム」
「うむ。お茶を準備しなさい」
「ヘムゥ!」

 学園長が座布団の上に腰を落ち着けたのを見て、名前は慇懃に頭を下げた。

「この度は10日間、お世話していただき感謝申し上げます。大変遅くなりましたが私は……未来、から参りました苗字名前と申します」
「大川平次渦正じゃ。うちの生徒の乱太郎、伏木蔵を助けてくれてとても感謝しておる。
 お主がおらんかったら彼らはもっと酷い目に遭っていただろう。感謝してもしきれんわい」
「いえ、2人が無事で何よりです」

 すると「頭を上げんか」と学園長が笑った。

「恩人だというのに無礼なことをしてすまんかった」
「いえ。一年は組の子達からも立花君からも、ここで何が起きたかは伺いました。
 私がその立場ならきっと、同じことをしたでしょう。気にしないでください」
「聞きしに勝る女子ではないか」
「え、ええ……」

 一体どう言う意味だろう。
 好好爺のような見てくれなのに、何を考えているのか全く分からないところがいかにも忍者らしい。熟練の忍者を教師として束ね、そして乱太郎達のような無垢な子供を忍者として育て上げる男だ。すごい人に違いない。

「ところで、お主には大切にしている首飾りがあるようじゃな」
「はい」
「見せてくれるか」

 チェーンを首から外し、蓋を開ける。それを立花から借りた手拭いに乗せ、差し出すと

「本当にお主そのままじゃな」
「ちょうど私が14の時の写真ですので」
「ほう?」
「15歳で中学校を卒業しますから、その前にという話に母となって。記念に2人で撮影したんです」

 他の先生にも見せてくれないかと頼まれ、名前は渋々ながら顎髭を生やした男性に渡した。それを一斉に覗き込み、ちらちらと名前を繰り返し伺う大人達に「……犯罪者の身元確認ね」とひとりごつ。

「たしかに、これは貴方のものに違いないでしょうな」
「はい」

 返されたものを丁寧に拭ってから首に戻した。
 それにしても結局これで済むなんて、あの10日間はなんだったのか。そんなことを考えても仕方がないけども。

「お主を間者ではないと認めよう。
 また、乱太郎達を助けてくれた御礼にこの学園への入学を許可する!」
「ありがたき幸せ」
「もう少し嬉しそうに言ってくれんかのぅ」
「すみません……あまり感情が湧き上がって来なくて」

 冷静になって考えれば、ここから出たところで路頭に迷うこと必須だからありがたい申し出だ。しかし嬉しいか、幸せかと言われれば……難しい。しかも、昨日七松が口を滑らせたおかげで驚きもない。

「ところで」

 言いつつ名前は風呂敷をといた。

「なんじゃこれは」
「私が着ていた物を裁断しました」

 ハサミを久々知という少年から借り、昨日のうちに只の布に戻ってしまったスーツを押し出す。

「きり丸君から、布は非常に高価だと伺いました。入学金として受け取って頂きたく存じます。
 足りなければアルバイトをして払いますので」
「ほう、そうかいそうかい」

 学園長は受け取ると布を全て広げて見せた。一枚二枚、と捲っていくにつれて笑顔が広がっていく。

「うむ、これならかなりお釣りが出るじゃろう。余った分はそなたにお返しする」
「ありがとうございます」
「ますますこれで、お主をこの学園に入れない理由がなくなったな」

 学園長は声を立てて笑っているが、横にいる先生達は厳しい顔を崩さないのに気が付いているのだろうか。

「お主、どこの学年に入りたい?」
「特に希望はございません」
「そうかの」
「あぁでも、私はここの文字が読めないので……座学だけは低学年の授業に入れて欲しく思います。
 文字を教えるのが危険だと思われているなら構いませんが」
「うむ、良かろう。
 ここの生徒だというのに文字が読めんというのは不便じゃろうからの、励みなさい」
「ありがとうございます」

 ふむ、と学園長はその頬を摩った。

「お主は女子じゃな」
「そうですね」
「しかしくノ一教室に入れるのはあまり良い策とは思えん」
「そうですか。ならこちらの教室で学びます」
「なぜじゃと思う?」
「え?」
「なぜ、くノ一教室は向かないのじゃろう」

 ご自身が仰ったというのに、理由を私に聞くのか
 名前が思いを隠さず表情に乗せれば、学園長は片目だけを開けてこちらを見やった。随分挑発的な顔だ。
 ……まさか、試されてる?

「実用性が、ないからでしょうか」
「どういうことじゃ?」
「くノ一の仕事は……ええ、この時代ではなんていうのか存じ上げませんが、色気を使ったものが多くなるのではと私は思います。
 しかし私は異なる時代から来た身。常識が圧倒的に欠けている点で、実用的でないと言えます」

 どうでしょうか、と伺えば学園長は再度その目を閉じた。腕を組み考えるフリをしたかと思えば、ニヤリと嫌な笑みを浮かべる。

「ふむ、思いついたぞ!」

 これがきり丸が嘆いた「突然の思い付き」というやつだろうか。

「お主はこのまま、6年生に編入とする!」
「分かりました」
「はぁぁぁああああ!?」

 クマの酷い少年が大声を上げた。

「お前、本当に文次郎に嫌われてるな。
 俺といい勝負だ」
「はぁ?」
「女が6年に入ったところで、実技じゃ使い物にならん!」
「うるさいぞ文次郎。
 はじめからそういう話だっただろう」

 七松が顔をしかめたが「あれはその場限りの言葉だと……!」反論を聞いて思わず名前は笑った。
 なんだ、私と一緒じゃん

「では、どの組にするかは追い追い決めるとして」
「良いのですか?」
「なぁに山田先生、座学は下級生と受けたいと言っておる。
 実技は組分け関係ないじゃろうて。実習には行かんじゃろう」
「しかし……」
「ならば────に組でどうじゃ」
「に組ぃ?」

 周りが口を揃えて驚いた。しかも律儀に腰をまで浮かせて。
 なにか不都合なことでもあるのか……?
 囲まれた当の名前だけが置いてけぼりだ。

「うむ! 名前は女子なうえ、生い立ちも独特じゃ。い、ろ、はどことも違うじゃろう」
「ですが学園長先生、」
「ええいうるさいうるさい! わしがに組と言ったらに組なんじゃ!」
「はぁ……分かりましたよ」