37
「いや、ロクヨンでお願いしますロクヨンで!」
「多い方がきり丸君だよ?」
「分かってますけど、流石に斡旋料も貰ってその配分じゃ悪いっす。ロクヨンでもだいぶ収入増えますから」
「そう? ならお言葉に甘えて」
きり丸はふうと息を吐き、上げかけていた腰を落とした。
うーん、ちょっと失礼だったかな
今はまだお金があるから、せめて一緒にアルバイトをしているうちくらい良いかと思ったのだけれど。
「名前さーん、冷めちゃうよ。食べないなら僕が貰いますよ?」
「ちょっとしんべヱ、よだれ」
「あぁ、ごめんごめん。つい話に夢中になっちゃて」
「じゃあ、明日からで良いすか?」
「いや、なんか私委員会を回らなきゃいけないらしくて……ちょっとその詳細が分からないと」
「あ、それなら大丈夫ですよ!」
ネギまで一つ残さず食べ終え、箸を置いた乱太郎が笑顔で顔を上げた。
「ん?」
「今日と明日は、私達保健委員会のところに名前さんは来ることになりますから」
「そうなの?」
「はい! って今朝、伊作先輩が」
明日の委員会は未三刻には終わるらしいですよ、と続けた乱太郎に名前は首を捻る。十二支で未は8番目、それを2倍して2引いた数が正刻だから
────14時半か
どうにもこうにも難しい。
「ご馳走様でした」
「食器はここに返してちょうだいね」
「あ、はい!」
わざわざ厨房から顔を出し「美味しかった?」と尋ねるこの人が、ここのコックだそう。「食堂のおばちゃん」と呼ばれみんなから親しまれていると乱太郎は教えてくれたが、確かに母を彷彿とさせる雰囲気がある。
「あ、そうだおばちゃん」
「なぁに?」
「療養中、体に良いご飯をありがとうございました」
「あらやだ。改めて感謝されると照れちゃうわ」
これからも沢山食べてね、と微笑む彼女に笑い返した。
「それで、名前さんは」
「ん?」
「一年い組とろ組はどうでしたか?」
「あーね……」
乱太郎と保健室へ向かう道すがら、名前は聞かれた質問に苦笑を浮かべた。食堂で別れたきり丸はバイトへ、しんべヱはその手伝いへ向かうらしい。
「ろ組では貴重な体験が出来たよ。今日は挨拶だけだったけど、1日中あそこで過ごしたらとんでもないスリルとサスペンスを味わえそう」
「あ、伏木蔵と話せたんですね!」
「うん。元気そうで安心」
名前がろ組の教室に入るなり、伏木蔵は小さな木箱をくれた。なんでもろ組の気持ちが込められているらしいが、おどろおどろしいのはなぜだったのか。
青いこの火は何?とは結局聞けず、今も名前の袂に入っている。
「い組は? い組はどうでしたか?」
「んー……出禁くらった」
「つまり?」
「い組で授業を受けることは許されないみたい」
「ええええ!?」
そもそも引き戸を引く前から聞こえたヒソヒソ声。中に入れば安藤夏之丞先生から放たれた「天女とはつまり、天に昇れず落ちてきた女ってことですよねぇ」という皮肉。
加えて、たしか級友には左吉、伝七と呼ばれていただろうか。利発そうな子達が言い放った
「あなたのような不審者と馴れ合うつもりはありません。
あほのは組は受け入れていますが、先輩方や僕達は決して受け入れることはないでしょう!」
「天女様に近付いて、悪いことはあっても良いことなど一つもありません!
僕達はあなたと授業を受けるのを、拒否します!」
年甲斐もなく泣きそうになった。
大人に何か言われるより、純粋な子供に言われる方がよっぽど傷付く。
「まぁ、仕方のないことだからね」
「本当に?」
心配そうに下から伺う乱太郎の頭を名前はポンポンと撫でる。
「本当よ。きっと、時間が解決してくれるから」
にこりと笑えばホッとしたように乱太郎が息を吐いた。
乱太郎はとにかく優しすぎる。乱太郎だけではなく、は組やろ組の子達も。
い組の子達の反応は決して間違っていない。今までの天女の話からしても、名前に優しくしようとはならないのはもっともだ。
「名前さん、保健委員とは仲良くできると良いね」
「そうねぇ」
言いつつ障子を引く。
「あ!名前さん!」
「伏木蔵君!」
「待ってたよ」
「善法寺君も。
ごめんね、遅くなって。私がのんびり食べてたせいで」
空いている場所に座ると、伏木蔵がズイと近くに寄ってきた。
「何?」
「ここに来るまで、落とし穴に落ちませんでしたか?」
「うん」
「乱太郎も?」
「え、もちろん」
「おお〜スリルとサスペンスう〜」
隣で体をくねらせる伏木蔵に名前は首を傾げた。一体何の話だろうか。
「僕たち保健委員は、不運委員会と呼ばれていて」
「それは知っているよ、乱太郎君たちに聞いたからね。
ってあれ。君いつからいた?」
「最初からいました!」
まん丸の目に涙を溜め、プリプリと起こる少年は少しふくよかで可愛らしい。
しかしなぜ気付かなかったのだろう。このうねる紫色の髪はかなり特徴的なのに。そして、この忍装束は確か……左門と三之助が着ていたから
「分かった」
「何がです!?」
「君の名前。君は、三年生の三反田数馬君」
そういうと少年、もとい三反田はビクッと体を震わせた。「どうしてご存知なんですか」と尋ねる声まで震えている。
え、今怖がる要素あった?
こんなことで怯えられるなんて、学園長は一体どのような説明を生徒にしたのだろう。名前について少し話しておくとは言われたが。
「……あのね、君について、神崎君と次屋君が教えてくれたのよ」
「え?」
「正しくは三年生について色々教えてくれたんだけど……
妄想癖がある富松作兵衛君、予習復習が大好きな浦風藤内君、毒ヘビの彼女がいる伊賀崎孫兵君、そして────影の薄い、三反田数馬君。
こんなに近くにいて気付かないなんて、君が三反田数馬君かなぁって」
「影が薄い……」
「落ち込むことないよ。忍者はむしろ、影が薄い方が良いじゃない。ね、善法寺君」
天女様の言う通りだよ
善法寺が言うと、膨れっ面のまま三反田は頷いた。納得がいかないと言わんばかりの表情に、思わず笑ったそのとき
「お、遅くなりました!」
「左近! 大丈夫かい?」
ゼェゼェと肩で息をして入ってきた小さな男の子は、保健室の中へ崩れ落ちた。
「わぁ、どこもかしこも泥だらけ。なにがあったの?」
「滝夜叉丸先輩の戦輪を避けたところに用具委員の道具があって、それに躓いて尻餅をついたら綾部先輩の落とし穴を踏み抜いて……」
「……不運委員会って、そういうこと?」
「そうです〜」
泣き顔をした5人は一斉に名前の方を向いた。