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「だから乱太郎が何事もなく保健室に来れたなんて、奇跡に近いんだ!」
「ええっそんなことがあったんですか!? 数馬先輩」
「うん。天女様と来た乱太郎は、いつもの不運がなかったらしい」
「つ、ついに本物の天女様……?」
「なに言ってるの。しゃんとなさい」

 名前が顔をしかめると、起き上がった左近は照れ臭そうに笑った。「驚いたので、つい」冗談めかして言いつつパッパと泥を払っていく。

「全員揃ったことだし、自己紹介をして行こうか。
 といっても、天女様は保健委員をよく知ってると思うけど」

 そう言って肩を竦めた善法寺につられて笑いが起きる。確かに名前の知り合いは保健委員ばかりだ。

「それじゃあ改めて、僕が保健委員会委員長、6年は組の善法寺伊作です」
「私は1年は組、猪名寺乱太郎です」
「1年ろ組、鶴町伏木蔵」
「2年い組、川西左近です」
「3年は組、影の薄い三反田数馬です」
「ごめんね三反田君、そんなに根に持たないで。次からはちゃんと気づくから」

 どうだか、とジト目を向ける三反田に苦笑する。

「昨日より6年に組に編入した、苗字名前です。この学園での最初の目標は、どんな時でも三反田君に最初に気付けるようになること。
 天女ではないので、天女様以外の呼び方で」
「名前さん、と呼びましょう!」
「乱太郎君達はそう呼んでるけど。好きで良いよ、様って言わないなら」

 すると川西がこてんと首を傾げた。

「名前さんは先輩になりますか?」
「まぁ、そうかもしれないけど。在籍年数はこの中で一番短いから先輩というのも……」
「タカ丸さんもタカ丸さんだし、いいんじゃないですかぁ?」
「うん、そうだね」

 タカ丸さんというのは、と乱太郎が熱心に説明してくれる。なんでもくノ一に絶大な人気を誇るらしく

「髪を結ってもらうのに3ヶ月!?」
「はい!」
「それなら自分で結うわ」

 モテる男と仲良くしても碌なことがない、は名前の持論である。女が後を引く喧嘩をするとき、渦中にいるのは男か金。面倒事を起こせば十中八九殺される身としては、極力距離を置いておきたい。

「いい人なんですけど、僕たちが穴に落ちてると変な風に髪の毛を結われちゃったりして」
「あぁ数馬、この間変わった髪型をしていたね」
「はい。そのせいで七松先輩にアタックの標的にさせられてしまって」
「え、それは……どういうことよ?」
「バレーボールのアタックを正確な位置に打ち込む練習をしていたようで、その目標ポイントに立たされたんです」

 小平太、あとで……とぶつぶつ呟きつつ薬草を摺る善法寺を尻目に「それで怪我は?」と名前は尋ねた。

「もちろん七松先輩はすごくバレーボールがお上手なので、怪我はしなかったんですけど……空気の入りすぎで割れてしまったバレーボールの中に、誰のイタズラか唐辛子が入っていたんです」
「ええ!」
「それが偶然僕の顔のすぐ上で割れたから、目に染みて」
「ほんっとになんでそんなことが起きるわけ?」

 言下「不運委員会だからです!」と全員が口を揃えてまた言うので、名前は吹き出した。

「もう2度とこの質問はしないことにする」
「そうしてください」
「私たちが名前さんに出会ったのも、保健委員会の不運がきっかけですからね」
「たしかに、ただ薬草摘んでただけで山賊の罠を踏むなんて、流石に運がないとは思ったけど……
 あぁ! もしかして、あの日は保健委員会の仕事中だったの?」
「はいー。いつもなら伊作先輩や数馬先輩と一緒に薬草摘みに行くんですけど、あの日は僕たち1年ろ組と1年は組に薬草スケッチの宿題が出ていたので、乱太郎と2人で行ったんです」
「そうだったんだ」

 するとそこまで黙って聞いていた川西が「結局2人は薬草スケッチができたのか?」とニヤリと笑った。

「できるわけないじゃないですかぁ!」
「ただ、僕の忍たまの友が泥だらけになっただけでした…………足が速い乱太郎のは、大丈夫だったけど」
「先生には?」
「怒られましたよ!」

 そうかそうかとどことなく嬉しそうに川西は頷く。それにむっとした2人は、さらに「ダメじゃないか」とからかう調子でつつかれ「余計なお世話です!」と頬を膨らませた。
 年が近いと揉めるのも、古今東西変わらないのね
 名前の呟きに善法寺が小さく笑う。
 それからも5人の「不運話」は出るわ出るわ、結局保健委員会は、最近の不運を報告することに終始して活動が終了した。
 簡単な薬草の煎じ方は2日目に、と善法寺は告げられた名前はその足で浴場に向かったわけだが

「委員会の活動を体験させることが目的じゃないよね……それならもっと特化したことをするだろうし。
 なんのために回らされてるんだろう」

 ちゃぽん、と湯船がいい音を立てる。考えてもよく分からず、ぶくぶくと名前は顔を風呂桶に沈めた。
 相変わらずこの離れにポツンとある浴場を使わされているが、名前はこれが結構気に入っている。足を伸ばすことができる桶は心地好いし、自分専用というのも気楽でいい。

「ま、ところどころヒビがあるんだけどねぇ。
 横のとこなんか外れそうだし」

 それでも驚きの出来栄えである。そうしてジッと木目を見ていると、だんだんと瞼が落ちてきて────

「あっつ!」

 名前は絶叫した。
 気付けばお湯がものすごく熱くなっている。慌てて名前は風呂桶から這い出ると、髪を拭くのもそこそこに外に飛び出した。

「ちょっと! お湯を焚き直してくれるのはありがたいけど、なにも私がいる時に……あ、」
「あ! あなたは!」

 カマドに向けて熱心に息を吹き入れていたのは

「怪我、治ったんだぁ。良かったー」

 名前に見事な一本背負いをくらわせた忍術学園の門番だ。ヘラリと笑った門番に嘆息すると、名前は「お陰様で」と言いつつ近付いた。

「どうしました?」
「もう焚かなくて良いよ。私しか使わないし、もう入ったから」
「あぁ、そうでしたか」

 慌てて立ち上がった門番が水桶を抱えたのを見て、名前もそばにあった水桶を持ち上げる。

「どこまで行くの?」
「あ、用具倉庫で吉野先生に報告をしないと」
「じゃあそこまで持ってくよ」

 そうして連れ立って歩きながら、名前は「そうそう」と門番を見上げた。