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「一回体育委員会の子達に会ったことがあるんだけど……みんなボロボロで」
「体育委員会は、保健委員会と違う意味で大変だからなぁ」
ヒエッと息を呑んだ名前に、きり丸は「いやでも!」と続ける。
「大丈夫っすよ! 杏より馬が安い、です!」
「案ずるより産むが易し、な」
「そう私も思いたいんだけどね……」
七松と2人で裏山に行った時を思い出す。あの時の心配も取り越し苦労なんかではなく、むしろ想像よりも酷い結果が待ち受けていたのだ。今回も案ずるより産むが難し、だろう。
2人の哀れんだ視線に、名前は小さくため息をついた。
あくる日の放課後、校庭では見知った2人が名前を待ち受けていた。
「天女様こんにちは!」
「こんにちは平君。と、君は……えっと」
「2年は組、時友四郎兵衛なんだな」
「時友君ね。この間名前を聞かなかったから。
私は苗字名前、6年に組に編入しました。改めてどうぞよろしく」
「よろしくお願いします」
ペコッと頭を下げた時友に、ずいぶんと可愛らしい子だと胸の内で呟く。
「それで、金吾君達は?」
「今日は金吾が三之助を迎えに行ったんですが、三之助に引きづられてしまったようで……七松先輩がまとめて回収しに行きました」
「そう?」
「なので今日は!」
えっへんと平は胸を張る。
「四年生の中で教科の成績が一番なら、実技の成績も一番なこの平滝夜叉丸が裏山の山頂までご案内いたしましょう」
「あら、ありがと…………あ、」
「滝夜叉丸遅いぞ────────!」
「七松先輩!」
土煙をあげながら次屋を抱えてやって来た七松は、むんずと平の首を掴むと
「じゃあ名前! 裏裏山までいけいけどんどーん!」
「裏がひとつ増えた……」
一瞬で遠ざかっていく背にため息を吐き、諦めて最後尾に並んだ。目の前を走る金吾はすでにフラフラである。
「大丈夫?」
「ま、まぁ……
一回、裏山の途中まで、っはぁ行ったんですけど、気が変わったとおっしゃって…………もう一回学園までっ、戻って来たからっ」
「あぁごめんね、分かったよ。喋らなくていい」
喋らせて悪かったね、と名前が笑うと金吾もヘラっと笑った。それに少し安心したのも束の間
「……いつの間に」
顔を上げて茫然と呟く。この一瞬で、七松はあんなに遠くまで行ってしまったというのか、死にそうな金吾を置いたままに。
しかも見ていれば、七松は右に行ったり左に行ったり、決して止まることも振り返ることもない。平がなんとか後輩を引導しているが、全員すでに疲労困憊の様相である。
魅力的かと言われると、ねぇ……
名前がひとりごちた時、やっと七松はこちらを振り向いた。
「ここで休憩しよう! そばに川がある!」
元気なものだ、と名前はため息を吐いた。金吾は言下崩れ落ちたのに、七松はスキップでもしそうな調子でスタスタ歩いていく。その草木をかき分ける様子につい、暴君めと心の内でこっそり詰ったのだが
「……はぁ、美味しい」
川まで連れてきたのは七松なりの気遣いだったのかもしれない。
「っはー! 本当に冷たくて最高ですね!」
時友と水を掛け合っている金吾はすっかり元気、どころか随分楽しそうだ。
「……さすが、鍛えられてるねぇ」
名前はさすがにそうもいかない。岩に腰を掛け、はしゃぐみんなをボーッと眺めているのが精一杯────ひとりごちたとき、視界の端で何かがキラリと瞬いた。
私は動かないぞと内心で決意を固めたものの、一度気づくと気になってしかたないのが人のサガである。「……見てみるか」重い腰を持ち上げ数歩、近付いて拾うと透き通ったガラス片だった。赤く輝く様はまるでこの時代のものではないようだが
「……本当にキレイ」
「どうだ名前! 楽しいだろう、走るのは」
咄嗟に懐にしまった。
「うん、楽しいね。自然も気持ちいいし」
言ってから失敗した、と後悔が頭をもたげるがもう遅い。今は疑われる立場なのだから、隠さず七松に見せるべきだったのに。
「だろうだろう」
しかし名前の素振りを全く不審がらず、むしろ満足そうに頷いた七松は「それじゃあと半刻ぐらい走れるな!」と笑い
「え?」
「では体育委員会、でっぱーつ!」
「ちょっと七松せんぱ……金吾、四郎兵衛早く上を着て!
あっ三之助! そっちじゃない!」
「え?」
「こっちよ」
ふらっと反対に向かった次屋の腰についている縄を、名前はさっと掴んで引っ張った。
便利だな、これ
「天女様! 三之助を頼んでもいいですか?」
「はーい任されました」
「ええー俺1人でも大丈夫なのに」
「でも、1人より2人の方が安心でしょ」
そういうもんかなぁと首を捻る次屋はあくまで「無自覚」な方向音痴だと、身に染みて理解している。だから悪いけど無視、と内心で宣言しあちこちへ動く縄をしっかり腕に巻き付けた。
明日は確実に筋肉痛だなぁ
しかしそれにしても七松の体力は底無しだ。どれだけ走っても決してスピードを落とさず、木々の間を縫うようにどんどん進んでいく。
「……いつ止まるのよ」
かれこれ七松がいう1時間は走ったような気がするが、全く景色に変わりがない。ちょっと疲れたなぁと思う名前の方がむしろ体力がないのだろうか。いや、そんなまさか。
「そういうことを考えてはいけません」
「そうですか」
「俺たちは七松先輩についていくのが仕事なんで」
「ところで平君は?」
「あいつは放っておいても大丈夫っすよ。不死身すから」
けっと吐き捨てた次屋に思わず吹き出したとき
「う、わぁ……!」
突如として視界が開けた。
「……っと天女! 急に止まるな!」
「あ、それ禁止ね。私の名前は苗字名前だから、天女以外の呼び方でよろしく」
「え、はい」
名前と次屋は息を整えながら、ゆっくりその薄紫色をした花畑を歩く。ところどころに咲く白い花がまた華やかで、風に吹かれると鈴の音でも聞こえるのではないかというほど。
「ほら、こっちに来てみろ!」
「……わぁ、すごいね!」
「本当にすごいです」
「この時期にしか見られない、貴重な景色なんだ」
「とっても綺麗なんだな……!」
いつの間にか来ていた時友たちも、目を輝かせてすっかり魅入っていた。ここからだと傾きかけた太陽と木々の影が相まって、センチメンタルな気分にさえなる。それほど幻想的で、名前の目にじんわり涙が滲んだ。
「どうだ体育委員会、入りたくなったか!」
「……まぁ、悪くはないと思うけど」
「天女様がついてこれるか心配でしたが、この調子なら大丈夫そうですね!」