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「力強い言葉をありがとう、平君。 
 まぁ入るかどうかは追々考えるとして……とりあえず天女様と呼ぶのはやめようか」
「なら名前も滝夜叉丸を滝夜叉丸と呼んだらどうだ?」
「三之助ぇ! 先輩をつけなさい先輩を!
 名前さんのことも呼び捨てにするな! 年上だぞ!」

 体育委員会は気質まで体育会系なんだなぁと名前がひとりごつなり「滝夜叉丸だけだよ」言い放った三之助に、平がまた目くじらを立てた。拳を大きく振り上げると

「さ、ん、の、す、けぇ……」
「逃げろ!」
「動くな」

 走り出そうとしたまま次屋は七松を振り返る。さしもの平もポカンと口を開け、七松を茫然と見上げていた。

「……なんか動いちゃいけない理由でもあるの?」
「どうやらこの山腹に出城を作ろうという動きがあってな、山賊や浮浪者をかなり厳しく取り締まってるんだ。おかげで山賊の方も気が立っているのか、ここ最近揉め事が多い」
「なるほど」
「それなら、この辺で大人しくしておいた方がいいですね」
「ああ。争いに巻き込まれても面倒だ」

 この景色ももう見れないのかなぁ
 ポツリと呟いた金吾の頭を、わしゃわしゃと七松が撫でる。

「どんな城がなにをするつもりか分からないが……ま、大丈夫だ!
 いけいけどんどんでなんとかなる」
「それって何なの、七松君専用の掛け声?」
「細かいことは気にするな! いけいけどんどーん!」
「あっ七松先輩! 四郎兵衛、三之助の縄を!
 金吾、名前さん、行きますよ!」

 慌てて七松を追いかける4人の背中を見ながら、なんだかんだ良いとこかもと名前は小さく呟いた。



「それで体育委員会を楽しんだ結果、そんなに痛そうな腕をしていると」
「なんで立花君は嬉しそうなの?」
「まぁ、昨日の塹壕掘りも酷いものだったしな」
「見てたの!?」
「ああ。作法室から楽しく見物させてもらった」
「本当にいい性格してるわね」

 名前は呟いて口を尖らせた。初日は縄を散々引っ張り、二日目には塹壕掘を2時間もさせられ名前の肩から二の腕は湿布だらけである。6年の実技に参加しようと校庭に向かう道すがら、わざわざ後ろから声をかけてきた立花は、それはそれは楽しそうにお腹を抱えて笑うばかりだ。

「これは実技も大変かもしれんな」
「組み手だっけ?」
「ああ。とはいっても、型があるわけではないが。
 要は、相手に乗るか戦闘不能にできれば勝ちのゲームだ」
「そんなの怪我必須じゃない……
 これ以上湿布が増えないように祈るばかりだよ。じゃないとまた善法寺君に怒られる」

 こんなに無茶するなんてどうたらこうたらと昨日のお説教は本当に長かった。名前も自覚はあったけれど、もう少し上半身を鍛える必要があるらしい。無理に使うと体を壊してしまうから良くない、と全く反論も余地もなかったが、そこまでかと少し自分にがっかりしたのも事実である。

「そんなしけた顔をするな。確かにああいう時の伊作は恐ろしいが、心配されている証拠だ」
「心配されたのが嫌だったのよ……」

 そもそもいつの間に心配されるほどの間柄になったというのか。

「まぁ伊作はいまだにお前を患者として見ている節があるからな」
「結構元気なんだけどね」
「結構どころか、完全に回復しているだろう。あのいけどんマラソンに2日も参加しておきながら、病人のはずがない。伊作は心配しすぎだ」
「それ本人に言っておいて」

 肩を竦めると立花はふんと鼻を鳴らした。自分でどうにかしろということだろうか。
 言っといてくれりゃいいのに

「しかし、今日の怪我は腕だけではすまないかも知れん」
「やめてよ、そういう予言……」
「だが見てみろ、あの2人の気合の入れようを」
「さっきからよくよく見てるわよ」

 食満と潮江が大声で罵り合いながら取っ組みあっているのだ、うるさすぎて無視もできない。2人して急所を狙わんばかりの猛攻を仕掛ける様に、思わず名前は「あーあ」と嘆いた。
 それをくつくつと笑う立花も嫌な男である。他人事だと思って、とひとりごつと

「実際他人事だからな」
「ほんと、可愛げのない男ね」

 立花らしいといえばらしいのだが。

「それではこれより6年生実技、組み手を始める!」

 立派な軍配団扇まで持ち出してきた学園長が台座の上に立つ。そうして今回はトーナメント方式で優勝者にはわしのブロマイドを、などと授業なのに大会さながらの仰々しさで語っていくのを聞きながら、名前は小さく息を吸った。
 負けるもんか
 隣に立つ潮江なんぞ「ギンッギンに潰してやる……」と物騒なことを呟いている。
 10日間の鬱憤、晴らしてやろうじゃないの

「では第一試合は……6年は組、善法寺伊作! 対するは6年に組、苗字名前!」
「頑張れ伊作!」
「負けるんじゃないぞ!」

 応援の声(全てが善法寺に向けてではあるが)を背に受けながら、名前は善法寺の前に進むとじっと目を見据えた。

「お願いします」
「……お願いします」
「それでは、」

 さっと団扇が上がる。それを確認すると、名前は一歩踏み出した。




 仙蔵がそっと文次郎の前に湯呑みを置いた。

「もうそろそろ落ち着いたらどうだ」
「そうは言ってもな、仙蔵! あいつは俺に勝てたかもしれないのに、決定的な攻撃は与えずに試合を続けて……
 おちょくられたとしか思えん!」

 言下お茶をひと思いに飲み干した文次郎は「おばちゃんおかわり!」と席を立つ。その背を見つめながら小さく伊作も溜息を吐いた。

「僕も情けないよ……いくら不運だったとはいえ、くノ一でもない人に負けるなんて」
「なにを言ってるんだ。不運は偶然じゃない、お前は不運に嵌められたんだ」
「え!? 仙蔵、それってどういう」
「つまり」
「あいつは、いさっくんの不運を利用したんだ!」
「なんだって!?」

 しかし仙蔵の苦笑を見てハッと伊作は息を飲んだ。

「嘘……だろう?」

 確認するよう呟いたが、小平太も「いーや嘘じゃない」と首を振って言い切った。チラリと目の前に座る留三郎を伺うが、留三郎にさえ困ったような笑顔で肩を竦められてしまう。