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お手並み拝見、と言ってソイツは落とし穴の淵に座った。「やーいここまで出ておいでー」と嘯く様子は
クソガキめ
内心で毒づく。出てこいと言われても、手元にあるのは七松から常備しろと言われた苦無のみ。それ一本でというのはいくらなんでも意地悪ではないだろうか。
「……いや、意地悪で言ってるのか。天女だから」
「上がれないんですかぁ?」
「今上がるわよ!」
ここまできたら絶対に手を借りるもんか、とひとりごつ。馬鹿にしてくる相手にまで頭を下げられるほど、名前のプライドも低くない。
とはいえ、ここから飛び上がっても絶対に穴の淵には手が届かないだろう。土でできている上に苦無一本だとよじ登ることも難しい。ではほかには、
「……そうか、途中に踏み台があれば」
よし、と呟いて名前は思い切り飛び上がると穴の壁に苦無を突き刺した。「うん、綺麗にハマった」額の汗を拭いつつ今度は地面に這いつくばる。
「おやまぁ、それをどうするんです?」
「手で掴むの」
「え?」
「まぁ黙って見てて。お手並み拝見してくれるんでしょ」
名前はそう言うと、底から微かに頭を出していた掌大の石を掘りおこした。それを苦無から1mほど離れた場所に、再度飛び上がってねじ込む。どうにも心許なさは否めないが、足場として最低限機能してくれるだろう──おそらく。
「ちょっと君、そこからどいて!」
「ええー」
「反対側に移動すれば良いだけよ! そこにいたら、私が穴から出るついでに蹴っちゃうと思うけど良いの?」
「それは嫌ですねぇ」
「じゃあどいて」
「はーい」
あら、意外と素直なのね
ひとりごち、苦無をじっと見上げた。────こんなもの、木から飛び降りたことに比べたら屁でもない!
「えいやっ」
名前は飛び上がると左手で苦無を掴み、それを支えに壁を強く蹴り上げた。そして小石に右足をかけ、ぐっと上に跳ねる。そしてなんとか地面に右腕を乗せ、思い切り土壁を蹴って地上にゴロリと転がった。
「おおーお見事」
拍手をされても。みっともない身のこなしになってしまったのに、お見事?舐められたものだ、と名前は内心で吐き捨てた。しかし
「……なに?」
いきなり差し出された手。名前はあからさまに眉を顰めたが、男の子は怯まず、表情すら一切変えないまま
「僕は綾部喜八郎です。穴掘り小僧や天才トラパーと呼ばれています」
唐突な自己紹介に名前は目を瞬いた。
「……あ、そう」
「あなたは?」
「苗字名前です」
「ふうん。
僕としては穴を傷つけたのは気に食いませんでしたが、その根性はよかったです」
ありがとう、というべきなのだろうか。内心首を傾げつつ起き上がって「どうも」と肩を竦める。
「ただ、苦無は穴を掘るにも使えるのはご存知でしょう。小石を掘るとき、苦無を使う方がもっとスマートです。
マイナス10点」
「……ああ、たしかに」
「それから、武器である苦無が穴の中に残ってしまう。マイナス15点。
実戦なら敵に追いつかれたとき、応戦手段がありません」
「そうね」
「なので75点です」
言いつつ綾部は穴に上半身を突っ込み、自身の苦無で名前の苦無を引き抜くと「はい」と差し出した。
受け取ろうと右手を出した名前だったが、その瞬間走った痛みに思わず腕を引っ込める。
「肩を痛めましたね、マイナス20点。あーあ、55点ですよ」
「情けなくて言葉もないわね……」
「保健室に行かなくても良いんですか?」
「大丈夫、上には動く。前に出す動作が辛いだけ」
「伊作先輩に怒られるのが怖いんですかぁ?」
言わないで
仏頂面で名前が言うと、綾部がなんとも言えない表情になった。
「なに?」
「うーん……まぁ、僕も伊作先輩に怒られるのは嫌いです」
「そうでしょうね。だって怖いもの。
ところで、図書室はどこ? 放課後行けと学園長先生に言われてるんだけど」
「ああーそれならそこを曲がって……」
綾部に言われた通り進むと、すぐに建物が見えてきた。この中のどれかが図書室だろう。
しかし、本当に広い校舎である。
「すみませーん……遅くなりました」
「あっ名前さん! 何かあったんすか?」
「まぁ……色々と?」
「もそ、もそもそもそ」
「中在家先輩も、もう少しで探しに行くところだったとおっしゃっています」
「髪まで汚れていますが……もしかして、落とし穴に落ちましたか?」
さすが鋭いねと名前が言うと、ははっと笑って不破は頭を掻いた。「まぁ、全身汚れるとしたらそれぐらいしかないですし……」と言っていることはもっともだが、指摘されると恥ずかしさもひとしおだ。
「落ちないように、訓練でもします」
「それなら、」
「うわぁびっくりしたぁ!……怪士丸君か」
本棚の奥、薄暗いところから顔を覗かせる姿はさながらオバケ。しかしそんな些か失礼な名前の態度にも怒ることなく、怪士丸は「ここの裏」と廊下の方を指さした。
「この建物の裏?」
「はい〜そこは訓練するのにうってつけですよぉ……暗くて、ジメジメしていて……綾部先輩が掘った穴がたくさんあります」
「そう。じゃあ今度行ってみようかなぁ」
「あそこはぬかるみが多いので、足がはまらないように注意してくださいね」
「そうなの? 忠告どうもありがとう。君は……」
「2年い組、能勢久作です」
「能勢君ね。6年に組の苗字名前と言います。どうぞよろしく」
もう少し中へ、という怪士丸の囁きに促され名前は図書室に初めて足を踏み入れた。途端に鼻をかすめる紙や糸、小さな虫、墨が混じった匂いが
「すごくいいね……落ち着くよ」
「図書室が、ですか? 僕もそう思います」
「能勢君は本は好き?」
「はい! 僕は、」
「2人とも、図書室ではお静かに」
「あっはい……」
ごめん、と能勢を片手で拝むと能勢はパタパタと首を左右に振った。名前は不破にもペコリと頭を下げたが「あっ……」なぜか焦った様子でこちらを見て口を抑える。なにか?と名前は首を傾げ
「あ! 名前さん動かないで!」
きり丸が唐突に飛び上がり、名前の頭を思い切り叩いた。
「なに!?」