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「すいません! 頭にこんなちーさな虫がいたんで」
「えっありがとう……それで、その虫ここに落としたの? 大丈夫?」
「もそ……もそもそもそ」
「え?」

 中在家はスッと名前の前に屈むと、何かを掴み廊下にポイッと投げ捨てた。そして扉を閉め切り「もそもそ……今日は、少し声を出そう。もそ」と言って長机を指差す。
 ああ……今、虫を拾ってくれたのか

「そこに、座れ。もそもそ……今日は本の修繕をしながら、怪談話をしよう」
「修繕って、具体的には?」
「もそもそもそもそもそ」
「……ページが落ちてしまったもの、破れたものを今日は補修する」

 不破が通訳をする隣、中在家は後ろを向くと両手にいっぱい本を抱えてこちらを振り向いた。置けばギィと長机が音を立てたが

「これ全部っすか!?」

 こんなに大丈夫か、と聞く前にきり丸が飛び上がった。

「もそもそもそもそもそもそもそ」
「あー良かった」
「なに?」
「今日全部終える必要はない、1週間かけて行う。だそうです」

 すごいな図書委員、ひとりごちて名前は苦笑する。名前には中在家の口からでる空気の音が聞こえても、言葉は聞き取れたり聞き取れなかったり、まちまちだ。
 図書委員会、雰囲気は気に入ったが会話に不安あり。名前は内心で呟くと小さくため息を吐いた。

「もそもそ」
「あっはい……じゃあせっかくだから久作、基本の三つである四ツ目綴じ、麻の葉綴じ、それから亀甲綴じを説明してくれないかい?」
「はい、わかりました!」
「糸と針はどこに置いたっけなぁ」
「あ、ここにありますよ! 能勢先輩、不破先輩、中在家先輩、怪士丸、そして名前さん……っと」
「ありがとう」

 これが唐針かと渡された針をじっと観察する。違いは穴が丸いことぐらいか、とてもよくできている。

「では針穴に糸を通して。最初は四ツ目綴じから説明します
 まず穴を手前側にして本を置きます。穴を左からい、ろ、は、にと呼びましょう。初めに横から『は』の穴に糸を通しぐるっと一周」
「ぐるっと一周……」
「そして『ろ』に渡します」
「『は』から『ろ』を結ぶ……はい」
「では次に『ろ』から『い』渡して」

 みるみる手の中で和綴が完成されていく。博物館でしか見られなかったものがこの手にあると思うと、どこか不思議だ。一つ二つ三つ、と山はどんどん高くなった。

「……と、このやり方が亀甲綴じです。これで終わります」
「もそもそもそもそ」
「……久作よくやった、ありがとう。
 それでは本格的に作業に入る。怪談話は上級生がしようか、だそうです。
 分かりました、僕が話します」
「天女様も怪談話は好きですか?」
「あー能勢君、私は天女様じゃなくて苗字名前」

 このやりとりも何回繰り返せばいいのだろうかと名前は苦笑した。

「天女様、なんて誰が言い始めたんだか……死んだと思ったらここで天女として迎えられるなんて、よっぽど怪談話より怖いと思わない?」
「はは、それもそうですね……」
「ね。だから私はこの世より怖いものはないと思ってるの、怪談話も大歓迎」
「本当っすか? 鬼よりも?」
「きり丸。夜道を歩くとすれ違う鬼と、お金をごまかしてきり丸の商品を安く買う町の人。
 どっちが怖い?」

 言下「ぜってー町の人!」と言い切ったきり丸に名前は吹き出す。

「でしょ、そういうことよ」
「それでも俺は、怪談の方が怖いです。この間聞いた地獄の話もすごく怖かったし……」
「でも地獄なら、忍術学園にもあるじゃないっすか」
「えぇ……そうなの?」
「怪士丸は知らねーか? 5年生の間で囁かれる、豆腐地獄の話」

 すると不破がああー!と苦笑いを浮かべた。5年生には豆腐が好きすぎる生徒がいて、その子が振る舞う豆腐料理に不破たちは苦しめられているのだと言う。食べても食べてもなくならない、それが豆腐地獄だと大真面目に説明する不破に「なにそれ」と名前は笑ったが

「本当に思い出すだけでゾッとする……」
「なに、そんなに? そこまで言われるとむしろ、怖いもの見たさでチャレンジしたくなるわね」
「それなら是非、兵助の豆腐パーティーに来てください」




 天女を知るいい機会じゃないか?と勘右衛門は平然と笑っているが堪ったものではない。兵助に至っては「せっかくだから極上の豆腐料理を」と意気込んでいるし、八左ヱ門も仕方ないなと言うだけだし、そもそも雷蔵が誘ってきたわけだが

「なっんでお前たちはそんなに呑気にしているんだ! そうやって私たちを堕とすつもりかもしれないじゃないか!」
「だがな三郎、もう雷蔵が約束してしまった以上パーティーを開くしかないだろう」
「けどな、」
「おーい雷蔵、天女は豆腐が好きなんだって?」
「ああ、そう言っていたよ! メニュー考えるの手伝おうか?」
「いや、大丈夫だ」

 確かに、僕は迷ってしまうからねと笑う雷蔵はなんだかんだ楽しそうだ。三郎にしてみればそれも気に食わない。

「そんなに良かったのか、今日の図書委員会が」
「なんでだい? 別に、いつも通りの委員会だったよ。怪談は楽しかったけど」
「ふーん」
「それにしても図書委員会の怪談、怖そうだなぁ。
 雷蔵はなんの話をしたんだ?」
「『安義の橋の鬼』や『東洞院の僧都殿』とか」
「どーせそれを聞いた天女はまた“こわーい”とかなんとか言ったんだろ」

 いつものことで口にするのも馬鹿馬鹿しい。ふんっと鼻を鳴らしたが、雷蔵は「それが、その逆だったんだ」とおかしそうに笑った。

「もちろん始終全く顔色を変えない。しかも怖くありませんでしたか、と聞いたら『今昔物語集と口伝のミックス? 口伝の方が面白くて好きだなぁ』としみじみ言うんだ。
 僕、思わず吹き出しちゃったよ。中在家先輩すら怒ったような顔してらした」
「どこが中在家先輩までも笑わせるポイントなのか、私には分からないが」
「怖い話もしてくれたんだけど、それもさ……羽衣伝説だったんだ」

 堪えきれんとばかりに吹き出した雷蔵に、三郎と八左ヱ門は顔を見合わせた。いや、それは

「怪談話なのか、雷蔵。俺は羽衣伝説を、ただの神話だと思っていたんだが」