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「そうだよ、八左ヱ門。名前さんはその神話を、怪談調にアレンジしたんだ。
 元の話ではまず、百姓が天女の羽衣を百姓が奪うだろう?」
「そうだな」
「そこまでは同じなんだ。でも名前さんの物語では、天女は泣き寝入りなんてしない。モーレツに腹を立てて、百姓に取り入る傍ら、毎晩父親である神様に、百姓にありとあらゆる災難が降りかかるようお願いするんだ。
 おかげで財宝は全て灰になり、作物は何をしても枯れ、日照りの日が続き、子供は皆病気にかかる」
「そりゃひでぇ」

 八左ヱ門は顔を顰めたが「だけどすごく面白いんだ!」と雷蔵は笑い転げた。

「百姓に起こる怪奇現象を聞いているうちに、どんどんきり丸も怪士丸も、久作まで真っ青になって……最後に名前さんが『ね、私って……天女、かしら?』と言って」
「きり丸と怪士丸の魂は図書室の外へ、と」

 兵助のメニュー草案から顔をあげた勘右衛門は声を上げて笑った。

「そこに居合わせられたら良かったのに」
「ただ性格が悪いだけじゃないか」

 三郎は吐き捨てたが「ちゃんと話せばそうじゃないって分かるよ」と雷蔵が苦笑する。なに絆されているんだ、と言いかけた言葉は飲み込んだ。悪いのはあの天女であって、雷蔵を困らせるのは本意ではない。

「柔和な感じがするけどな、あの人」
「本気か兵助? あの潮江先輩に噛みつく天女を見てもそう思ったのか?」

 うーんと首を傾げた兵助は「でも気性が荒いという印象は受けなかったけどなぁ」と言ってスッと豆腐料理の献立に目を映した。
 柔和な感じを受けた、というより豆腐以上のインパクトがなかったってことだろ。
 呆れてひとりごつと

「俺もそう思ってたんだけどさ」
「まさか八左ヱ門まで豆腐と天女を比較してるなんて思わなかった」
「そうじゃなくて。穏やかで家を好むような、おしとやかな人だと思ってたんだけど」
「本気か?」
「本気だ。虫に誓って」

 変なものに誓うなよ。雷蔵が横から突っ込んでおかしそうに笑った。

「でも今日、潮江先輩が────天女から一本取れなかったらしい」

 おしとやかじゃなかったんだな、とどこまでも呑気な八左ヱ門の頭を後ろからはたいた。

「まさかとは思うが……負けたのか?」
「さすがにそれはない。引き分けだったって、虎若が団蔵から聞いてきたところによると」
「今日食堂で怒ってらしたのはそれが原因だったのか」

 勘右衛門の呟きに三郎は眉間のシワを深めた。

「あんなヒョロい奴に勝てなかったって? 冗談だろう」

 馬鹿げてる、と三郎はハッと肩を竦めたが

「虎若や団蔵が嘘をついたっていうのか、三郎は」
「そうは言わないが」

 だが6年生が相手では5年でも引き分けが精一杯だというのに。たかが天女が、自分たちと同じ結果に終わるなんてとてもじゃないが信じられない。

「……よし、明日確かめにいく!」
「えっ!?」
「未来から来たのは事実だが、先に他城で拾われていたのかもしれない。それでその城のやつに頼まれて、忍術学園に忍び込んでいる可能性がある」
「他城の人を術にかけて、ってこと? 天女に一度惚れると側を離れられなくなるのに、ありえないだろう」
「勘右衛門、それが絶対にないと言い切れる証拠はどこにもない。
 だから私はこの目で、アイツが間者ではないか、そして潮江先輩は本当に天女に陥落せず負けたのかということを確かめる!」
「おーい三郎、負けじゃなく引き分けだぞ」

 そんなことは知っている、言葉の綾だと三郎は八左ヱ門を睨めつけた。

「まぁ僕は好きにしたら良いと思うよ……ただ、三郎も含めてあの人を天女というのは止めよう」
「なんでだ」
「嘘も百回言えば真実となる────こんな言い回しが、未来にはあるそうなんだ。もし、本当に名前さんが天女になってしまうと恐ろしいから」
「あんなに笑ってたけど……怖かったのを誤魔化すためだったんだね」
「兵助、それは言わないでくれ」

 これがまた行き過ぎる前に止めるには、三郎がここで天女──名前の正体を見破るしかない。そう決意を固めると、三郎はスッと前を見つめた。
 お前が自由にしていられるのも、ここまでだ




 混んでいることを覚悟して来た井戸の周りには、人っ子ひとりいなかった。
 手裏剣の授業のあとだから……さすがに1人ぐらい手を洗っていると思ったのだけど
 名前はひとりごちてから、それはないかと首を振った。洗ったところでもう授業はない、どうせ手も汚れるしすぐに裏山へ遊びに行くだろう。1年は組とはそういうクラスだ。

「まぁ、1人で井戸を独占できるってのは贅沢ね」

 あの奥の部屋に押し込まれていた時を考えればこの上ない幸せである。しみじみ思いつつ水の入った桶を引き上げると

「……あら」

 見知らぬ顔が水面に映り、名前は振り返った。

「どちらさま?」
「私だ」
「だからどなた?」

 やはり忍ばせるには実力が足りなかったか?と目の前の男は嘲るように笑った。

「……なんの話ですか」
「まぁいい。急務だ、しっかり聞いてほしい」
「……なに」
「お前が忍術学園に忍ぶのに成功してから、まだいくらも経っていないが……状況が変わった。今すぐ本拠地へ戻るよう、お頭からの命令だ」
「はぁ?」

 遠慮会釈なく名前は顔をしかめた。

「すっとぼける必要はない。もうお前がここから脱出する手筈は整えてある、さぁ」
「悪いけどそれ、人違いだと思いますよ。私は誰かに頼まれてここにいるわけではありません」

 すると目の前の男は腹を抱えて笑った。「ごっこ遊びはもうやめろ」といつか名前が吐いたような言葉を言いつつ、手を差し伸べ

「行こう、生徒たちが気づく前に」

 名前はポカンと口を開け、目の前の不審者を見つめた。

「……とりあえず、あなた忍術学園の関係者ではないと」
「何を言ってるんだ、当然だろう。お前の上司だ、まさか忘れたのか? 薄情な奴め」
「だから忘れてるんじゃあなくて、そもそも知らないって言ってるのよ……」

 この男、本気か?名前はキュッと眉をしかめた。