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 もしこの男が大真面目に話しているとしたら、名前のそっくりさんが忍術学園に侵入していると考えるのが妥当だがそんな人、あの三人組が放っておくわけがない。名前が天女と分かっていようが「名前さ〜ん! この人、もしかして生き別れの兄弟じゃないですかぁ?」と言って事態をややこしくするぐらいはするはず。つまり

「ここにそんな人はいないのよね、そもそも」
「何を言っている?」
「ま、良いよ。なんにせよ援軍がいないと困るから、人呼ぶね」

 名前はすうっと大きく息を吸った。

「だ」
「やめろ!」

 言下左手で口を塞いできた男の懐に入り込み苦無を首に当てた。だが

「…………ああ、鉢屋君?」

 忘れもしない、昼食を床に叩きつけた男が放っていた匂い。

「鉢屋? 誰だそれは」
「すっとぼけないでよ。大体苦無を首に押し付けられて応戦しないなんて、殺されないと思ってなきゃしない行動。
 君は5年ろ組学級委員長委員会の鉢屋三郎。そうでしょ?」

 チッと聞こえるような舌打ちをされるのは何度目のことだろうか。しかしいくら年下とはいえ、やられっぱなしではいられないと反抗心が頭をもたげる。

「馬鹿にするのも大概にしなさいよ。じゃ」

 変装をといた鉢屋の背中をポンと叩いた。




「ああっイライラする!」
「珍しいね、三郎がこんなに腹を立てているのは」
「滅多にないから乱太郎に模写でも頼もうか」
「うるさいっ!」

 三郎は勢いをつけて大豆を粉砕していった。兵助が見たら「豆を大事にしろ!」とでも言われそうだが、幸い台所にいるから見えないだろう。テーブルにいる3人はせいぜい窘める程度である。

「なんでアイツは私を鉢屋三郎だと見抜いたんだ! しかも!」

 ダンッとすり棒が音を立てた。

「アイツに私が鉢屋三郎だと見抜かれてから今日ずっと、色々な人に『鉢屋三郎先輩!』と声をかけられた。
 あの1年3人組からも!」
「うーん……それは多分……」

 スッと3人が顔を見合わせた。目配せしあっているのがどうにも

「気持ちが悪い……言いたいことがあるなら言え!」
「いやぁ、面白いから名前さんが来るまで黙ってようかなーと思ってたんだけど」

 にやりと勘右衛門が嫌な笑みを浮かべた。

「三郎のせ・な・か」
「はぁ?」
「これだよ」

 苦笑しつつ雷蔵が見せてくれたのは

「……私が鉢屋三郎です? いつこんな紙を背中に────

 ハッと息を呑んだ。
 そうか、名前が最後に背中を叩いたとき
 迂闊に変装を解くんじゃなかったと内心ほぞを噛む。ざまあみろ、と背中をのけ反り高笑いをする名前までも目の裏に浮かのだから始末が悪い。──クソッ

「だが三郎、良かったじゃないか」
「なにがだ兵助」
「とりあえず目的は達成できたんだろう? 名前さんが間者ではないことと、潮江先輩が堕ちていないか確かめるっていう」
「まぁ、そうだが」

 はぁとため息を吐き三郎はすり鉢に向き合った。

「……ここに痺れ毒でも入れてやろうか」
「それはダメだ!」

 ガシリ
 八左ヱ門は三郎の肩を掴むと激しく揺すった。

「本当にそれだけはダメだ」
「僕もそれには反対だけど……でもそんなに怒ることかい、八左ヱ門」

 すると八左ヱ門は一度手を膝の上に置き「伊作先輩を怒らせたくない奴は」言いつつじっと見つめられ、三郎は素直に手を上げる。
 善法寺は怒らせるととても面倒だ。あんなに普段は優しげなのに、怪我や病気のことになると人が変わる。その上しつこいから、ヘマをしたときは保健室が閻魔殿にすら見えると囁かれるほどだが──それとこの話になんの関係が。
 説明しろという意を込めて八左ヱ門を半目で睨むと、八左ヱ門は仰々しく喉を鳴らした。

「名前さんに怪我をさせること、それすなわち伊作先輩を怒らせることである」

 芝居がかった調子に遠慮なく三郎は眉を顰めた。

「はぁ?」
「なにを言っているのだ?」
「まあ聞いていくれ。
 昨日、生物委員会で怪我をしてしまって保健室に行ったんだが……そこで、名前さんと伊作先輩が喧嘩をしてらした」
「喧嘩ぁ?」

 八左ヱ門は頷くと立ち上がり「だっからどうして名前さんは、肩をそう酷使するんだ!」「筋肉がないうちは多少の無理は仕方ないでしょう。それともなに、使わないで筋肉つけろってこと?」「そうじゃないよ! そうじゃないけど、なにもこうなるまで無理をしなくたって、基礎から始めれば良いじゃないか!」「それぐらい私もやってる。その上で色々あるのよ!」…………

「この茶番、いつまで続くんだ」
「まぁとにかく、八左ヱ門の言いたいことは分かった。伊作先輩は名前さんが怪我をしたり病気をしたりしないか、と────っても気にかけているんだね?」
「その通りだ勘右衛門。だから名前さんを故意に怪我させたら大目玉を喰らうことになるぞ」

 なら仕方ないか、と肩を落とした三郎の隣で「でもさ」と雷蔵が苦笑した。

「名前さんは、そんな伊作先輩を口うるさいと思っているみたいだね」

 伊作先輩も報われないねぇと勘右衛門が嘯いて吹き出す。「七松先輩もあれだけど、名前さんもそれに劣らない奔放さだなぁ」という呆れたような雷蔵の呟きがツボに入ったのか、そのまま延々と笑っているが

「勘右衛門、お前……なにがそんなに面白いんだ」

 勝手なだけだろう、と内心で詰った三郎だったが「俺、こういう人結構好き」との爆弾発言で思わず固まった。

「……冗談だよ」
「それで、名前さんはいつ来るんだ?」

 八左ヱ門の問いに雷蔵はそうだなぁ、と空を伺い

「あと四半刻ぐらいじゃないかな」
「えっ四半刻!? 兵助、この三郎が擦ってる大豆、四半刻で豆腐にできるのか?」
「八左ヱ門、心配はいらない。それは明日俺が食べるための大豆だから」
「おいっ!」

 ガクリと三郎は机の上に項垂れた。今日は本当に碌なことがない。
 そしてそういう日は、とことんツキがないことを三郎は身に染みて知っている。

「……え、鉢屋君のそれ、変装だったの!?」

 精巧に作れるもんだねぇとしきりに感心する名前に溜息をついた。