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「どうかしましたか?」

 おい立花先輩がいるのはそっちじゃない!と利発そうな少年が神崎の襟首をひっつかんで容赦無く畳の上を引き摺った。さすが同級生、扱いに慣れている。

「藤内。悪いが2人を会計室まで送り届けてくれないか」
「え、ぼ、僕まだ天女様を会計室まで連れて行く予習をしていません! どうしよう……『天女様、こちらです!』あ、いや『おい天女! こっちだ!』どっちが良いかなぁ」
「ああ、君が“浦風藤内”くんか……」
 
 予習復習の鬼ってそういうことね、とひとりごちて苦笑する。

「そう真面目に捉えるな、藤内。犬の散歩でもしている気分で2人と会計室まで行ってこい」
「あっそれなら、生物委員会に入って動物の散歩をする予習をしたことがあるので大丈夫です!」
「先行きに不安しか感じないわね」
「じゃあ藤内、頼んだぞ。その足で作法室まで来てくれ、用がある」

 いうや否やスタスタと歩き始めた立花を追うように「じゃあ名前さん。左門と一緒に犬になったつもりで!」と足を踏み出した浦風だったが、すぐさま「やっぱり2人は人間ですね」と言ってその場に立ち止まった。

「ん?」
「隣を歩きましょう」

 初めの心配はどうやら杞憂だったらしい。至って普通に浦風は会計委員会の部屋まで案内してくれた。

「藤内、わざわざありがとな!」
「うん、委員会頑張れよ! 名前さんも」
「はーいありがとう。浦風君も頑張ってね」

 さて、と名前は目の前の扉を見据えた。立花の手前「緊張」なんて見栄を張ったが、本当はそれどころではない。

「名前さん、入らないんですか?」
「今、腹を決めていたところよ……よし、入る!」
「失礼します!」

 2人が口を揃えた言下「遅い!」と一喝。「団蔵はどうした」と凄む表情は

「さすが、鬼の会計委員長」
「質問に答えろ」
「団蔵は土井先生からお話が。手習の補習とかなんとかっておっしゃったわね」
「……なら良い。左門、そこの帳簿を片付けろ」

 それだけ言うと、潮江はドカリと長机の前に座ってしまった。赤目が綺麗な4年生は見向きもしないし、左吉だか伝七だかいう子は鼻をただ鳴らしただけ。
 おおー最高に居心地が悪い
 もはや感動できるほどの総スカンぶりである。

「……ねぇ潮江、仕事ある? と聞いたところで『お前に学園の会計なんぞやらせられるか!』ぐらいは言われそうだけど」
「おう、分かってんなら聞くんじゃねぇ」
「でも委員会回るのは学園長先生からの命令だし、それに従わないわけにはいかないでしょう。なら何かやらせてくれないと、時間が無駄になっちゃう」
「だが部外者に収支を伝えるわけにはいかん」
「それ以外の仕事、なんかないの。例えば各委員会に宛てた会計からのお達しとか」
「文字も書けんやつが何をいう」

 ふんっと嘲笑うように潮江は口の端をあげた。

「文字も書けないって……私の字、潮江見たことないじゃない」
「お前たちの時代には筆がないことぐらい知っている」
「筆がないんじゃなくて滅多に使わないってだけ。
 謹賀新年やご祝儀袋ぐらい筆で書くわよ、馬鹿にしないでくれる?」
「じゃあやってみろ」

 パラっと20枚ほど手の上に紙が乗る。目の前に筆と墨までセットされ「これだ」と押し出された台本は

「……今度の予算委員会について、ね」
「読めるんですか」

 ここにきて初めて、4年の子と目が合った。

「まぁ、あの子たちの勉強見ていたときから文字は見ていたし……1年生の手習いの授業も一緒に受けてるから」
「読めても書けなければこの仕事はできないがな」
「知ってるわよ潮江、煩いわね。読める程度に書き上げるって言ってるの」
「勝手にしろ。どうせ期待などしていない」
「ほんっとに……!」

 実際あまり褒められた出来栄えではないことを知っているが、何を偉そうに。苛立つ気持ちを抑え、名前はその辺に散らばっている紙をかき集めた。

「なにをしている」
「どうせ一発書きはできないから下書きの紙をもらおうと思って。帳簿、そんだけ綺麗にしてるんだからこの辺にある紙はどうせもうゴミでしょ。もらうわね」

 大丈夫か聞いたところでどうせ文句を言われるだけ、けれども練習ができなければ潮江が提示した見本の1割も書けないだろう。それならいっそ、やるだけやってみればいい。
 ふんっと名前は息を吐く。
 なんとしてでも、認めさせてやるわ


 おい、終わったのかと聞かれた名前は顔を上げる。

「ええ、今見直してたけど……間違いはないわね、これで全部終わり」

 保健以下全委員会に宛てた今期予算委員会のルールおよび各顧問に宛てたお知らせ、学園長先生への予定報告。ふと気が付けば、辺りはすでに真っ暗になっていた。

「ふむ……いいだろう。もう今日は帰っていい。三木ヱ門、左門を連れていけ」
「わ、私たちも帰っていいんですか!?」
「ああ。今日は急ぎで合わせなきゃならん帳簿はない」
「今回は3徹で終わったぁ……!」

 3徹、と団蔵の喜びに満ちた声から聞いてはいけない言葉を拾って繰り返す。成長期の子供にどうなの、などと言ったら最後、また天女は生温いことをと皮肉が飛んでくるだろうが。

「じゃあ左門帰るぞ!
 潮江先輩、お疲れ様でした。団蔵、左吉はまた明日」
「あ、じゃあ僕たちも帰ります。左吉、今から食堂行くか? は組、今日はしんべヱたちが夕飯当番で、南蛮の珍しい料理を作ってくれるらしい」
「おっいいな。行こう行こう」
「名前さんもどうですか?」

 チラリ、と名前は左吉を伺った。