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「また見てやる」
「それはありがたい。じゃ、またね」

 名前はゆっくり木々を渡っていく。少しは進展したと思っていいかな、と久しぶりに胸が躍った。



「おい団蔵! これ、なんて書いたんだ」
「ええと……保、健、委員会の……なんだっけ」
「ほんっとにお前は……」
「ご、ごめんなさい!」

 勢いよく頭を下げた団蔵に名前は思わず吹き出した。

「名前! 笑いごとじゃない!」
「いやぁ、潮江も無駄なことで怒るなぁって」
「名前さん! それは団蔵に失礼だと思います」
「天女様は本当にデリカシーがありませんね」
「あら、私が嫌がってる『天女様』って呼称を使う田村くんも大分デリカシーがないと思うけど?」
「それはどうでもいい!」
「よくない」
「そんなことよりこの会計帳簿をどうするか、だ」
「急ぎのものがあるなら、私が団蔵君の代わりに書こうか?急を要さないものは字の練習も兼ねて、団蔵くんがやったらいいと思うけど」
「……そうするか。この保健委員への催促状を明日までに出したいんだが、その保健委員会薬草購入帳簿を完了させないとどうにもならん」

 ちなみになんの催促状?と名前は首を傾げた。

「領収書の催促状だ。今月の委員会費使用額と領収書の帳尻が合わん」
「……領収書、あるんだねこんな時代に……」
「当たり前だろう。経費とそれ以外をしっかり分けずに、どうやって予算を組めというんだ」

 当たり前、なのだろうかと名前は首を傾げる。だが本来室町に存在しない概念だとしても、これは異世界なのだからともたげた疑問を自己解決。

「……我ながら適応能力が恐ろしい」
「なんか言ったか」
「ひとりごとです」
「それじゃあ団蔵、名前の隣で項目に答えていけ。ちなみに名前、さっきからやってるその帳簿は」
「多分半分ぐらい終わったと思う」
「三木ヱ門、引き継げ」
「委員長! 天女が」
「名前が?」
「……苗字がここまで計算したものを、確認しなくてもいいんですか?」
「俺たちに比べれば算盤の手は遅いが、見る限り正しく弾いていた。問題ない」
「分かりました」

 田村は渋々と言った様子で名前の帳簿を持っていく。しかしそれでも昨日に比べれば、無視されないだけずいぶんマシな対応だ。

「さ、団蔵くん、やろうか」
「はい!」

 あとは左吉だが────チラリ、と伺うとじっと睨めつけられた。昨日よりむしろ嫌われている気がするのだが、気のせいだろうか。
 しかたないか、と名前は首を振った。焦る必要はない、どうせまだまだここにお世話になるのだから。




「……というわけで、ますますあの天女はこの学園での影響力を強めている」
「そもそもあほのは組が、あの人を学園に入れたところから間違いだったんだ!」
「左吉も伝七も、そんなことを言ったって仕方がない」

 言いつつ彦四郎は目の前の石を蹴った。そろそろ町が近づいてきているようだ、賑やかな声が微かだが聞こえる。

「そうだよ。だからこうして僕たちが、新しい友達を探しに来ているんじゃない」
「一平の言う通り。よくい組は実習に弱いって馬鹿にされるけど、いつもは組がするみたいに友達を見つけて、天女から学園を救うんだ。
 優秀ない組の学級委員長である僕が思うに、これは本当の実力を示すいい機会だ!」
「しかもは組と違ってお遊びのついでじゃなく、勉強のついでに、だからな!」

 そういうと「いいか!」と伝七は3人の目の前に躍り出た。

「今日は豆を移す習いをやりながら、協力者を探すんだ。
 覚えているか? 左吉は」
「商家を見たら豆を食べ、民家を見たら豆を袖にしまう。武家のときは何もしない。一平は?」
「民家を見たら豆を食べ、武家を見たら豆を袖にしまい、商家のときは何もしない」
「その通り! そして僕は、武家を見たら豆を食べ、商家で袖に入れ、民家には何もしない」
「それで……僕は?」
「彦四郎は頼りないからなぁ」
「そうそう」

 そんな言い方するなよ!と言いかけて飲み込んだ。左吉や伝七に「頼りない委員長」と呼ばれるのはいつものこと。

「じゃあ、露店の数をカウントしたら?」
「一平、それはいい!」
「それなら女の露店は豆を袖に、男の露店なら豆を食べて、子供の露店ならそのままにしておくのはどうだ?」
「うん、左吉のにしよう。子供の露店が多ければ、最近この辺で戦があったと分かるから」
「よーし、これで決まりだな!」

 伝七たちが走り始めたのを見て、彦四郎は袂から忍たまの友を出すと枝で強く印をつけた。「女は袖、男は食べる……と」書いてからパッと前を見ると、もう3人はいない。
 頼りない学級委員長とは言わせないぞ、とひとりごち彦四郎も駆け出した。



「意外と多いなぁ」

 全員一緒に回るつもりだったが、バラバラになった方が会える人も増えるだろうと4人は別れた。それが半刻ほど前のことで、彦四郎は練り歩いているうちに露店の多い路地に来てしまったらしい。保健委員ではないが、今日はほとほと運が悪い。

「こうも数が多いと、だんだん分からなくなってくる……」

 忍たまの友に手を伸ばしかけてブンブンと首を振る。伝七は別れる前に「いいか、絶対に忍たまの友を見るなよ。それは実践とはいえない!」とかなんとか言っていた。もし見たとバレれば、なんと言われるか。

「でも……」

 男、男、女、子供と女、男、男と女──性別ごとに別れてくれればいいのに、実際は組み合わさっているからタチが悪い。そもそもこの場合どうするか決めておくべきだったのでは、などと考えているうちにもう分からなくなる。
 ……伝七も左吉も、ここにいないよね?
 胸の内で念じながら前後左右を素早く確認した。……よし、

「ちょっとぐらい……えっと、確かメモはこのページに」
「あのぅ」
「ひぃっ!」

 彦四郎は飛び上がった。

「あ、あのこれはただメモをしようとただけで、見るつもりは……って、あれ?」
「若様、若様ぁぁぁあ」
「え、ちょ、ちょっとお爺さん、大丈夫ですか?」