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「利吉さん、とおっしゃるんですね。ご結婚なさっているならお子さんもいらっしゃるのかな、というそれだけです。
 ご気分を害されましたか」
「いやぁ。なんだ、利吉は天女によく人気があるからまたそういう話かと」
「この学園の生徒じゃないのに、ですか? もしかして、顔立ちがかなり整っている、とか」
「その通りですよ。しかも、利吉君はかなりの売れっ子忍者ですから」

 売れっ子忍者、利吉……と繰り返してはっと息を飲む。

「ああ! 売れっ子フリー忍者の利吉さんか!」

 なるほど、山田の息子だから山田利吉か。得心して頷き「ごめんなさい山田先生、やっぱり知ってたようです」と言うと、山田は深いため息を吐いた。

「お好きですかな」
「まさかぁ! 名前だけしか知りませんよ。小松田さんに『牡蠣飯に気をつけろ』と変わった伝言をしていかれた忍者さん。インパクトが強かったのでそのストーリーだけ覚えています」
「牡蠣、めし?」
「はい。小松田さんはそうおっしゃってましたよ。
 ただ久々知くんたち曰く、入門表にサインがなかったからそれだけを伝えに来たんだろう。でもお忙しいのに、ただの夕飯を注意しにくるかな? だそうですが」
「……そうか」

 山田が神妙な顔をして顎をさする。

「……やはりかなりおかしなことなんですか? 小松田さんの様子だと、そのような感じは全くなかったので」
「小松田くんは少しのんびりしているからな」

 吉野に比べれば、山田の方がずっと小松田への当たりが優しい。

「それにしても、そんなに人気なんですか。山田先生の息子さん」
「もちろん。利吉くんは色々な城から声も掛かってくるし、町でも女性人気が高くて……それこそ、食べ物に髪の毛が入っていたり」
「こんな時代からそれがあるなんて信じたくないんですがね」

 とはいえ藁人形で人を呪うには髪の毛を入れるというし、歴史はもっと古いのかもしれない。考えるだに恐ろしいが。

「そうでした。名前さんはどんな形で貰ったんですか?」
「土井先生こういう話好きなんですね。意外です」
「最近呪術の本を読んでいて、少し興味が湧いてしまって」
「なるほど。
 先生方は、バレンタインという行事について天女から聞いたことはありますか?」
「如月に行う、好きな男性に贈り物をする日だと聞きましたよ」
「そう、それです。一般的に送られるのが、チョコレイトという南蛮の甘いお菓子なのですが」

 一旦話を止めてサバが焼けているか確認する。
 もうちょっとね

「それでですね、未来には商品として売っているものと手作りがあり、バレンタインには手作りが好まれる傾向にあります。そして一般に男性宛ですが、女性宛に送ることもいいとされていて……私はバレンタインに男性からチョコをもらっていたんです」

 友チョコと詐称すればどんなチョコでも受け取ってもらえる、という小賢しい男の発案だ。

「で、その中に髪の毛やら爪やら、まぁ色々と……」
「そういう場合、名前さんは気づくんですか?」
「いえ。ただ怖いので、そもそも手作りは申し訳ありませんが捨てていました。食べ物を粗末にするのはいけませんが、それでも気持ち悪くて」
「妥当ですな」

 山田がズズッとお茶を啜った。

「というまぁオチのない話なのです」
「いや、やはり自分の思いを込める場合髪の毛や爪というのは未来も変わらないのかと知れて面白かったですよ」
「ところで」

 じっとこちらを見つめる山田に首を傾げる。

「その手つきを見ていると、ずいぶん名前さんもここに慣れたようですな」
「そう……ですかね」

 立花に散々扱かれた甲斐があったらしい。これが鍋でここにお玉がうんちゃらかんちゃら、初めから一貫して面倒見の良い男である。
 しかも向こうは名前の委員会も鍛錬も待ったというのに、文句の1つも言わなかった。もちろん完璧に覚えるまでは寝させないスパルタだっだが、おかげで山田に褒められたと思えば、団子ぐらい持っていくのもやぶさかではない。

「ここで不便していることはありますかな」
「ううーん……まぁ純粋に、馴染みのない生活に四苦八苦しているというのはありますけどね。あとは……
 まぁ、あれですね。先生方、私への敬語やめませんか。それ結構不便です、生徒なのに1人敬語だとムズムズするんですよ」
「では遠慮なく、は組のみんなと同じで良いかな」
「お願いします、山田先生」
「君に対する警戒が解けないことは、申し訳ないと思っているんだよ。でも、なかなか前のことがあって難しくてね」

 土井はまた困り顔を浮かべる。この人は本当に眉をへの字にすることが多い上に、それがまた可愛いのだからしょうがない。

「だがありがたくも思っておる。は組が少しだが真面目に授業を受けるようになったんだから」
「それは良かったです、山田先生。ま、良いんですよ、気持ちは分かるので……私も鬱憤が溜まって色々やらかしているのでおあいこです」

 主に6年長屋に小細工をしたり、七松を執拗に追いかけ回したり。前者はともかく七松は楽しそうなので憂さ晴らしとは思っていないだろうが。

「やはりあれは名前くんの仕業か。昨日潮江が帳簿まで吹き飛んだと言って怒っていたぞ」
「立花くんに、忍者なのだからいついかなる時も気を抜いてはいけない。だから6年長屋に細工をしたとしても、引っかかるのが悪いのであって作る方は悪くない。と、一応許可はもらっています」
「そりゃあ立花に名前さんの世話を任せた、6年の失敗だな」

 やーい言われてやんの、と胸の内で名前は立花を囃し立てる。普段はクールにすましているが、やはり先生から見ると可愛い生徒なのだと思うと可笑しかった。 




「名前くんは最終関門を突破しましたな、土井先生」
「ええ。全員に毒を盛れる状況下においても、怪しいところは一切なし。これでやっと私たちも警戒態勢を解くことができます」
「しかし土井先生も、練り物類全部盗むとは大胆なことをしますなぁ」

 はは、と半助は頭を掻いた。

「あれぐらいすれば、名前さんも私たちの部屋に来てくれるかと」

 そうだな、と山田は静かに頷く。2人の間にある蝋燭が風に吹かれて揺れた。