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「蛇が怖いから、だそうですよ。
 あの時は危険を察知して帰ってきて偉かったなぁ、ジュンコォ〜」

 頬ずりを始めた姿に嘆息する。

「……本当に好きなのねぇ」
「もちろんです。僕たちのことは誰も引き裂けません! なぁジュンコ。
 だというのに、ジュンコを食べようとしたり」
「未来には蛇食文化が根付いているのか?」
「まさか。その天女がサバイバル精神に溢れてたというだけ。むしろこの時代じゃないの、蛇を食べるのって」
「ジュンコは食べ物ではありません!」
「知ってるわよ……そもそも毒がない方が味としては美味しいじゃない?」
「やっぱり食べる気じゃないですかぁ!」

 毒がなくても水みたいな味であまり美味しくない、と聞いたことがあるから蛇にはあまり興味がないのに。「あの人に近付いたら危ないぞ、ジュンコ」とは全く失礼な話だ。

「……まぁ、伊賀崎先輩のあれはいつものことなので」
「いつか結婚しそうね」
「あり得そうなことを言うのはやめてくれ……」

 ガクリ、と肩を落とした竹谷に苦笑する。

「苦労するわねぇ」
「ところで、竹谷先輩。名前さんに狼の赤ちゃんを見せても良いですか?」
「ああ、もちろん!
 生まれたばっかなんだ、可愛いぞ」

 言いつつ竹谷は檻の中に入っていく。「よーしよし大丈夫だぞ」と中から聞いたこともないような猫撫で声が聞こえ
 自分の子供もこうやって甘やかすんだろうか……
 ふと想像してしまい吹き出した。

「ほら、コイツ。可愛いだろう……って何笑ってんだ」
「なんでもない」
「変なやつ。メスで名前はまだついてないんだけど、触るか?」
「じゃあ、少しだけ」

 竹谷たちがいかに面倒を見ているか、毛に触れるだけでよく分かった。まだ生後半月も経っていないという割にはずいぶん立派である。未来を想像するとフルッと肝が冷えるけれど、忍者は狼も使うのだろうか。

「散歩とか行くの?」
「もちろん、それが生物委員会の仕事だからな!」
「虫、鳥、動物、有毒生物の管理……仕事かなり多いんじゃない?」
「それだけじゃありませんよぉ」

 初島がピョコリと肘下から顔を出した。

「薬草園の管理もあるんです」


 薬草園、と言われて名前が想像したのはせいぜい東京ドームの4分の1程度である。だが

「ホント、この学園膨大な敷地を持っているのね……」

 見渡す限りの緑。色々な植物が植っているらしく看板が点在しているが、馬鹿正直にひとつひとつ読んでいたら日が暮れてしまいそうだ。

「ちょっと中に入ってみますか?」
「あれ、伊賀崎くんジュンコは?」
「袂の中です。炙られたら困ります」
「だから食べないってば」
「本当ですか?」

 孫兵は慣れた様子で中を進んでいった。肥料になるとはいえ根は引っこ抜かれたまま、刈った草もそこら中に放置されっぱなしである。これだけあれば3ヶ月ぐらい生徒を養えそうなのに、もうちょっと整理しても良いのではないかと思う。
 と、

「あっこれ!」

 名前は見覚えのある花を見つけて駆け寄った。

「ああ、これですか? カタクリですよ」
「カタクリ……片栗粉?」
「はい。地下の球根を日干するとデンプンが採取でき、それが片栗粉になります。花を咲かせるまでには8、9年ほどの歳月を必要とするので、あまり採取できる量は多くないのですが……それがどうかしましたか?」
「あ、いや、片栗粉に興味があったわけじゃないんだけど……
 この間体育委員会のイケドンマラソンで、この花を見かけたの。広く群生していて、とっても綺麗だったのを思い出して」
「もしかして、アネハ山ですか?」

 三治郎の言葉に首を傾げる。

「いや……小平太は裏裏山に行く、と言っていたけど」
「アネハ山は裏裏山の少し奥にあるんです。とっても高い山で、あそこに生えているような木がこーやって生えてませんでしたか?」

 指された方を見遣り「たしかにそうだった!」と名前は両手を打った。

「やっぱり。あそこのカタクリはこの辺で一番綺麗なんです」
「そうなんだね! 本当にとっても綺麗だった」
「僕も見てみたいなぁ。三治郎、今度連れてってよ」
「ごめん虎若、もう行けないんだ。だってあそこ、乱太郎が罠踏んじゃったところだもん」

 三治郎は少し寂しそうに笑った。

「え、乱太郎たちが名前さんに助けてもらったとき?」
「うん。ほら、あの日の宿題は薬草スケッチだったでしょ。
 僕たちかけっこした後に、よくあそこで寝てたんだ。あれをお湯に入れるとお腹にいいんだって言って、いつもちょっとずつ集めて保健室に持って帰ってたんだけど……罠が沢山あって、すごく危険だったって乱太郎が」
「なるほど……」

 七松によれば、取締りが厳しくなったせいで山賊たちもピリピリしていたというあの場所。それを知らずに行き、そのうえ罠まで踏んだというなら運の悪い。

「……さすが乱太郎」

 ポツリと初めて聞く声がして、名前はハッと振り返る。しかし「……上ノ島くん」目が合ったのも束の間、やはりスッと顔を逸らされてしまった。



 障子を開け、柔らかい日差しを背中に受けながら名前は将棋盤をじっと見つめた。

「名前。入る委員会は決まったか」
「いえ、まだ」

 飛車を進めれば良いか。パチリと小気味良く音が鳴る。

「今はどこを見とるんじゃ」
「生物です。あそこは下級生が多くて大変そうですね」
「虫達を脱走させて、捜索をしている姿もよく見るのう」
「学園長先生は一緒に探されないんですか」

 桂馬を動かされううんと名前は唸った。ここに来るまで将棋など触れたこともなかった名前には、まだまだ先を読むのが難しい。

「あんなに下を見とると腰が痛む」
「ちなみに捕まえるときは何を使うんですか?」
「虫取り網か素手じゃ」
「究極の2択ですね」

 ここはとりあえず角を動かすべきではないだろうか。このままだと王の逃げ道がなくなってしまう。

「ああ、火バサミという手もあるぞ」
「なるほど、それもありですか」

 ヘムヘムは学園長に勝つのは簡単、と言ったけれど名前には到底そんなことは思えない。次はどうしようと思いつつ手の中で獲った駒を遊ばせる。

「ほかの委員会はどうじゃった」
「どの委員会も収穫があって楽しかったですよ。会計委員会が池の中で寝る必要性だけは分かりませんでしたが」
「潮江文次郎の趣味じゃ」
「まさか」

 学園長先生が王手に迫っている、だと。

「最近体育委員会とよく遊んどるようじゃな」
「遊んでいるというか、遊ばれているというか」
「お主は足がずいぶん速いと聞いたが」
「体術はそれだけが取り柄なんです。あまり力が強くないのですが、避けることと逃げることは上手くて」
「……たしかにそうじゃの」

 なんとか窮地を乗り切った。それでもまだまだ学園長の方が有利だが、少しは成長しているらしい。

「忍びこむのは得意か?」
「どうなんでしょうね。失敗して死んだことを鑑みると、決して上手いとはいえなさそうですが」
「100度成功しても1度の失敗で命を失うからのぅ」
「違いありません……負けました」
「なんじゃ、わしは王手!と言いたいぞ」
「どうぞ。では私がここで駒を進めて」
「王手じゃ!」