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 ふうと溜息をついて名前はお菓子を押し出した。

「どうぞ、勝たれたので学園長先生のものです」
「うむ」
「今日はどこの饅頭ですか。昨日のとはまた違う匂いがしますね」
「望月屋のじゃ。ここは餡子がしょっぱいのが良い」

 なるほど、食べてみたいが名前が学園長に勝てるのはいつの日か。

「しょっぱいといえばそうじゃった、この間兵庫水軍から面白い塩をもらってのう」

 どこに隠したじゃろう、と学園長はごそごそと棚に頭を突っ込む。そして次々と箱やら明かに重要であろう密書やらを放り投げ、気付けば「うわ……」名前が思わず仰反るほど高く積み上がっていた。

「……いつも思うのですが学園長先生、棚の中を整理なさっては?」
「それでは、に組! 明日の授業は部屋の片付けとする!」
「学園長先生は片付けなさるんです?」
「いや。儂は先生としてきちーんと指導してやるから安心せい!」

 つまり名前がここを片付けろと。ひとりごちて名前は苦笑する。
 私が敵だったらどうするのよ

「どうです、お塩はありました?」
「……課題は、塩を探すことじゃ」
「まさかここ全部お掃除しろと?」
「うむ。まぁ1日とは言わんから、ゆっくりやってくれれば良い」

 それはもちろん、この数の棚を1日で掃除するには無理があるが。

「ヘムヘムー! ちょっと来てー!」
「ヘムゥ!」
「悪いね、日向ぼっこしてたのに」
「ヘムヘム」
「明日から4日間ぐらい、午前中空いてる?」
「ヘム……ヘム、ヘムヘム!」

 にこりと名前は笑った。

「そっか、じゃあ私と一緒に学園長先生のお部屋を掃除しよう!」
「ヘムゥ!? ヘム、ヘムヘムヘム」
「ええ、だってさっき空いてると言ったじゃない。ねぇ学園長先生」
「うむ。金楽寺には乱太郎きり丸しんべヱにでも行かせるから安心せい」
「あ、そのことなんですが……どうやら町で、10歳ぐらいの男の子を狙った人攫いがいるそうで」
「おお、そりゃいかんな」

 おもむろに学園長は腕を組む。

「……少し、学級委員長委員会に報告してくるとするかの」
「私が伝言頼まれましょうか? 庄左ヱ門と尾浜、鉢屋が所属しているのは知っています」
「そうじゃのぅ。5年のどちらかに伝えてくれるか」
「ヘム、ヘムヘムヘム」
「ああ、そろそろお昼の時間なのね。じゃあ先に食堂に行って、待ち伏せしてようかしら」

 それが良いと学園長が頷いたので、名前は駒をしまって立ち上がった。

「将棋盤も明日片付けるので、隅に置いておいてください。この出してしまった荷物も、そのままに」
「分かった! では頼んだぞ」
「はーい」

 鹿威しが落ちるのを聞きながら、ヘムヘムと廊下を歩いていく。「ヘム、ヘムヘム」と名前より長く仕えてきた彼曰く、あそこは玉手箱のようなもの、だそうだが

「開けちゃったんだから仕方ないわよ……巻き込んで悪いんだけどさ、ヘムヘムだって学園長先生の自慢話大会に私を参加させたり、ブロマイド作りさせたり、おあいこでしょう?」
「ヘムヘム、ヘム」
「うん、そうよ。お互い頑張りましょ」

 二人はしっかりと肩を組んだ。ヘムヘムといる時間が最近一番楽しいんだよねと呟くと、ヘムヘムが「ヘム!」と同意する。2人で顔を見合わせひひっと笑った。



 ザワッと木が音を立て、思わず名前は身震いした。昼間はかなり暖かくなってきたが、やはり夜はまだまだ寒い。あんまり木に跨っていると風邪を引くぞ、と思いつつ動く気も起きないが。

「ほう、今日も一平と話せなかったのか」

 名前はじっと前を見据えたまま「……そうね」と呟く。

「だから何ってこともないわよ……なんか用、立花」
「お前は腹立つ奴は呼び捨てに、そうでなければ敬称をつけるそうだな」
「たった今むかつく奴に分類されたのよ、アンタは」

 名前はトンっと木から飛び降りた。

「立花の鍛錬の邪魔をしたなら悪かったわね」
「いいや。今日は帰ってくるのが遅いから様子を見に来ただけだ。また伊作に怒られるぞ」
「立花も善法寺もほんっとお節介」
「名前のお世話をさせていただく、と最初に言っただろう」
「まだ監視されてるとは思わなかった」
「監視じゃなくて世話だ」

 ストンと立花も降りてきて隣に立った。本当にこいつ、私を四六時中監視してるんじゃないでしょうね。ひとりごちて鼻で笑う。

「暇なの?」
「むしろ大忙しだ。ただ、落ち込んでいるお前というのも見ていて面白いからな」
「ほんっとに良い性格してる」
「ここにいると落ち着くのか」

 唐突な質問に立花を初めて振り返った。まっすぐ見ているのは

「……この木?」
「ああ。嫌なことがあるといつもここで寝ているな」
「嫌なこと? 違うよ。ここ、怪士丸くんが教えてくれたんだけど風が気持ち良くてね。
 だから毎晩鍛錬しにきてるだけ」
「そうか。まぁ何か困ったことがあれば言え。あの文次郎が話ぐらいは聞いてやる」
「立花じゃなくて潮江が聞くのね」
「当然だろう」

 名前は思わず吹き出した。この2人、どう考えても主導権は立花にある。

「明日は作法委員会に来るそうだな。私たちが盛大に歓迎してやるから楽しみにしていろ」
「あらそう」

 嫌な予感しかしないけど、と付け足すと立花はふっと笑った。

「伝七の態度も、私たち作法委員会なりの歓迎だ」
「……そ。楽しみにしてるわね」

 わざわざそれを言いにきたのか、らしくもない。1年い組のことは割り切っているつもりだが、なにか態度に出てしまっているのだろうか。だとしたら早くケリをつけるべきだ。

「帰らないのか」
「ここから木を伝ってぐるっと回ってくの。早く木に慣れないといけないから」

 潮江に習ったように上まで登り、見下ろした立花は苦笑を浮かべていた。

「じゃ、また明日ね」
「ああ、私たちも楽しみにしている」



 楽しみ、ね。名前は昨日の言葉を繰り返した。確かにこれはずいぶん楽しみにされている、主に名前が晒す情けない姿を。

「さぁ、遠慮せず中に入ってこい」
「いやよ、その板踏んだらどうなるっていうの」
「それは踏んでからのお楽しみです!」
「楽しそうねぇ兵太夫。授業中にせっせと何作ってるのかと思ったら」

 暇さえあれば隣で小道具をいじっていた兵太夫を、ただただ熱心だと見守っていた過去の自分を殴りたい。