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「こっちから迂回しても良いですよー」
「残念綾部君。それは落とし穴のサインって小平太から聞いた」
「ちぇ」
「これ、怪我しないで中入る方法あるの?」
「一応ひとつだけ残しておきました!」
いつもなら可愛い浦風の笑顔も、今日は悪魔のようである。
「ほら早く入ってこい」
上は洪水下は大火事がお風呂だとしたら、上は木製ハンマー下は落とし穴が作法室。つまり名前が通るべきは
「この畳の縁なら何もしてなさそう」
「おおー!」
ただ拍手をしている時はこんなに可愛いのに、一度絡繰を渡せば最後、えげつない代物を作るのだから恐ろしい。
「だが名前、そこまで来たは良いがゴールはこの座布団だぞ」
「そうね……どう考えてもここ、何かのボタンだからこれ以上は行けないし」
さて、このボタンは何に繋がっているのだろうか。無線のはずもなく、かつ上へ繋がる板や線もない。だとすれば
「ここは屋根裏に上がるべきなんだろうけど」
「上がれますか?」
「そうねぇ浦風君。鍛錬の成果が上手く出ればっ」
トンとなんとか屋根裏に手が掛かる。継続は力なり、とひとりごちて名前は這い上がるが「……なにこれ」目の前に置かれるトラップの山。少し進んだだけで、もう下に降りる必要があるらしい。
「っとこれさ、小さな作法室の中に入るのにこんだけかかるなんてびっくりだよ」
「じゃあここからはもっとびっくりしますね!」
「……なに作ったの、兵太夫」
「僕と綾部先輩特性、うんこが飛んでくるマシーンです!」
「うわぁ……」
「うんこで部屋を汚して立花先輩に怒られたくないので、きちんと襖の前に板が出るようにしましたー」
「それに、うんこみたいな見た目ですが泥なので安心してください!」
うんこうんこ言うんじゃないよ、と名前は内心呟いて思わず笑った。よくここまで手の込んだトラップを作ったものだ。
「そこはもう一歩踏み出したら作動するようになっているので、諦めて進みましょう」
「お前は本当に血も涙もないね、綾部」
「作法委員会らしいだろう」
「とんでもないサディストばっかりなんだなってことは分かったよ」
トン。踏み出すとゴトンと地下で音が鳴る。そして
「名前さん頑張って避けてください!」
「これは矢を避ける予習になりますね!」
「うーん……名前には無理かなぁと思って甘くしたけど、もうちょっと沢山出ても良かったかなぁ」
「……っはぁ! 勝手なことを言うんじゃないよ、綾部!」
「あともうちょっとです!」
機械が止まると名前はその場に膝をついた。
「つ、疲れた……」
「私もうんこまみれの名前はあまり見たくなかったからな、避け切ってくれて良かった」
「ううーん、うんこを避けるときにスイッチ4と7と8を踏む予定だったんだけどなぁ」
「みんなと話しているときに確認できたのよ、踏むわけないでしょう」
「なるほど! じゃあもう少し進めるように上のトラップを改良して、下に落りた瞬間からうんこが飛んでくるようにします!」
いらんアドバイスをしたな、と立花に笑われて名前は苦笑を浮かべる。次の餌食になる人に合掌。
「さて、座布団は目の前だがどうした」
「私、これだけでは終わらない気がするのよ」
「なるほど」
「ところがどっこい、座布団以外に進める道はない」
「では座布団に座れば良いではないか」
「立花まで飛んでって抱きつけば回避?」
「疲れて頭でもやられたか」
「5日越しに言ったことをそのまま返されるなんて」
もう良い、実に立花らしい歓迎ではないか。
「よし、」
座布団を踏んだ瞬間。
「うわあああああああああ!」
名前は穴に吸い込まれていった。右にグルンと周り滑り台を経由し、板がぐるっと回って
「……ここ、どこ」
上には綺麗な空が広がっている。
「だーいせーいこーう」
「どうでしたか、僕の絡繰地下室は!」
「楽しかったよ」
ひとしきり笑ってどうにか落とし穴から這い出た。
「……っよいしょ」
「今日の委員会では、落とし穴から出る練習をする。と聞くとまるで体育や会計のようだが、これで良いんだな喜八郎」
「はい。名前は落とし穴への落ち方も、出方も全く綺麗ではないので僕が特別に訓練をしようと思います」
「綾部が穴を掘りたいだけなんじゃないの」
「僕は綾部と名字を呼び捨てにされるぐらいなら、喜八郎の方がいいです」
「はいはい喜八郎」
綾部は嬉しそうにするでも嫌そうにするでもなく、全く変わらぬ無表情のまま「ここに」と言いつつあたり一面をぐるっと指した。
「穴をたーくさん掘りました。好きなだけ落ちてください。底に縄梯子や苦無なども置いてあります」
「すごーい用意周到」
「ぼ、僕もやって良いですか!?」
「良いよ藤内。兵太夫も伝七も、やりたければやりなよ」
「……伝七、嫌なら私と縁側で首化粧をするのでも構わん」
「縁側、」
「万が一兵太夫たちが怪我すると危ないからな」
結構良い委員長してるのね、と呟くと容赦なく背中を殴られる。
理不尽な
「じゃあ僕は首化粧をします」
「そうするか」
そこから名前はありとあらゆる深さの落とし穴に落ち続けた。万が一上がり方が分からなくても「立花ぁ!」と底から声をあげれば「縄梯子だ」と的確な指示が返ってくる完璧なサポート体制である、これを利用しない手はない。飽きるほど落ちたあとは落とし穴のサインとやらを観察。
これにずいぶん気を良くした綾部は嬉々として穴を掘り続け、ついには
「ぜひ作法委員会に入ってください」
「落とし穴の訓練のために作法委員会があるわけではない」
「でもほら、こうして名前もなかなか落とし穴に落ちなくなったじゃあないですか」
「いつの間にか這い出る練習から落ちない練習になってましたね!」
「そうねぇ兵太夫。そりゃ20も30も落とし穴に落ちれば、這い出る練習には十分だからね」
「そこで落とし穴を見破る予習を始めた名前さんは、予習の素質があると思います!」
予習に素質なんているのか、と立花は笑う。
「はい!」
「そうか。なら良い予習仲間が見つかってよかったな」
「あ、はい! 確かにそうですね、これからもよろしくお願いします!」
「それでは明日も、落とし穴の予習をしましょう。おー」
「だからしないと言っているだろう」
「じゃあ、名前さんのペンダントの絡繰を調べるというのは」
名前は嘆息した。まったくこの子は
「絡繰が好きね、本当に。でも何度も言っているけど、渡すことはできません」
「ええー壊しませんよ?」
「ダーメ。これは大事なの」
授業中だろうが休み時間だろうが、隙あらば狙ってくるのだから気の抜けない。兵太夫の「未来の絡繰が見たいんです!」という気持ちも分かるけれど、ダメなものはダメだ。
「どうしても?」
「ダメです!」