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「よーし。じゃあ明日もやっぱり落とし穴を」
「掘らんし、絡繰も作らない。今日は臨時の委員会だから自由にしたが、明日は通常の委員会活動だ」
「ちぇー」

 つまらんと言わんばかりに踵を返した綾部の襟首を、すかさず立花が引っ掴んだ。

「どこに行くつもりだ喜八郎」
「裏山で穴を掘ってきます」
「さっきまで散々掘ったじゃないか……」
「でも委員会は終わりの時間です。それならここで解散、ということで僕は穴掘りに」
「待て待て勝手に終わらすな! 平から、今日は絶対に喜八郎を作法室に残して置いてくれと頼まれているんだ」

 すごいぞ滝、小平太だけじゃなく喜八郎の面倒も見ているなんて。名前がポツリと呟くと「普段はただ自慢話ばっかりでうざいだけですが、そこは尊敬しています」と隣に立つ兵太夫が笑った。
 褒めてるんだか貶してるんだか

「あんな自惚れ野郎の言うことなんて無視して構いませんよ」
「だが喜八郎、昨日提出の課題がひとつ終わっていないそうだな」
「ゲェ……滝、そんなことまで言ったの」
「というわけで、喜八郎はここで待機だ。他の者はもう帰っていいぞ」
「先輩。僕は嫌です」

 言うが早いか脱兎の如く駆け出した綾部の踏み鋤にすかさず足を引っ掛ける。

「名前までなに?」
「私も実は、滝に用事があるんだよね。この間の猪狩りのとき、小平太が私の手拭い間違えて持ってっちゃって……滝が洗って今日返してくれるというから」
「全く小平太は後輩になにをさせているんだ……」
「というわけで、私が待っている間落とし穴の掘り方を教えてくれない?
 私今のところ塹壕しか掘れないの。塹壕と落とし穴は違うんでしょ」
「当たり前だよ。そもそも目的から違うじゃない」

 熱弁をふるう綾部を尻目に1人、また1人と作法委員会から帰っていくが、綾部が気付く様子もない。これはまたとんでもない変わり者がきたぞ、と思いつつ名前はヘロヘロの平が来るまで話を聞き続けた。




 彦四郎たちは今日も“あの木”を目指して早足で歩いていた。空いているメンバーたちで、なんだかんだこの秘密の逢瀬は毎日続いている────といってもまだ4日目だが。

「子曰く、学びて時にこれを習う、また、喜ばしからずや」
「友遠方より来る、また嬉しからずや」
「人知らずして恨みず、また君子ならずや」
「子曰く、由よ、女にこれを知るを教えんか。之を知るは之を知ると為し……これ、何回目だっけ」
「5回目だよ、彦四郎。最初の日から数えたら41回目」

 一平の言葉に彦四郎は頭をかいた。

「あんまり遠いから、いっつも沢山言うことになるね」
「それが勉強じゃないか」
「たしかに左吉、そうだけど……ほら、一昨日は伝七がいたから、ちょっとした算学もやったじゃないか」

 そういうのがないと飽きちゃうんだよね、と口には出さず内心で呟く。さすがに何度も何度も同じものを暗唱していると、気が可笑しくなりそうだ。いくら優秀ない組であっても。

「そういや、今頃伝七は何してるんだろう。作法委員会で、天女に何もされてないと良いけど」
「昨日は天女と別で行動したらしいけどな。今日はどうだろう」
「あ、別々に委員会活動したんだ」
「あれ、一平は朝一緒に……そうか、毒虫を捕まえに行ってたね。そうそう、朝食堂で言ってたんだ」

 今朝の時点でずいぶんウンザリした口ぶりだったからこそ、余計伝七が心配である。

「ちょっとぐらい楽しく過ごせてるといいけどな」
「彦四郎、それは無茶だ。だって会計委員会に来たときも、先輩方が嫌がっているのに全然気付いていなかったし」
「生物委員会のときはどうだった?」
「ううーん……なんにもなかったよ」

 最近の一平はどうも、この手の話になると歯切れが悪い。小藍と会った日の帰り道とは大違いだ。あの日は一平にしては珍しく、伝七さえも遮るほど興奮した調子で話していたというのに。

「まさか、天女に惚れたのか?」
「そんなことあるわけないだろ、左吉! なぁ一平」
「もちろん! そうじゃないけど……」
「そうじゃないけど、なに?」
「……いや。なんでもない」
「なんでもないって……怪しい。なにか本当は隠してるんじゃないか?」
「そ、そんなことないよ! 左吉、疑うの?」
「だって一平が」
「あっ今日も小藍さんいるみたいだ!」
 
 なにやら雲行きの怪しい2人を遮るように彦四郎は声をあげた。その目線の際で、赤い紐がパタパタと揺らめいている。

「よし、奥に入るぞ」
「うん」

 3人はサッと辺りを見回すと、草むらの中へと入っていった。背の高い植物は自分たちを隠すのにもってこいだが、頬に刺さるのが困りもの。けれどそれにも慣れたもので、彦四郎を先頭にスイスイと目的地へと進んでいく。

「もうそろそろだ」
「よし、彦四郎そこを右だぞ」
「分かってるよ……あっ小藍さん!」
「おお、よく来たよく来た」

 朽ち果てた小屋で、いつも通り小藍は美味しいものを携えて待っていた。今日は「……わぁ! 角のおまんじゅう屋さんの!」学園長も好むという銘菓で、おつかいで見たことはあっても口にしたことはない。甘い匂いにつられて、3人は小藍に寄り添うように腰を下ろした。

「それで、今日はドクタケ忍者隊首領の……なんじゃっけ、冷えたチンゲンサイ?」
「惜しい、稗田八宝斎です」
「そうじゃったそうじゃった。稗田八宝斎について教えてくれるんじゃったな」
「はい! ここにまとめてきました」
「おお、今日は一平くんが」

 とにかく小藍は、ドクタケのことならなんでも知りたいらしい。それが例え「木野小次郎竹高はいつも張り子の馬に乗っている」のような一見役に立たない情報であっても。

「まず八宝斎の一番の特徴は、とっても重たい頭です。高笑いをすると体を反る癖がありますが、頭を戻せなくなってよく部下たちに支えられています」
「ほう。そういうとき、部下がいないとどうなるんじゃ?」
「ひっくり返ったまま、足をバタバタさせることしかできません」
「なるほど、重たい頭は奴の特徴であり弱点でもあるんじゃな」
「はい。それにとっても頑丈なので、床や壁を破ることができます。
 普段はとっても間抜けな人ですが本当に悪い奴で、何度も水軍を作ろうとして兵庫水軍の方と喧嘩をしたり」

 かくかくしかじかと説明は続く。小藍はどんなときも真剣に聞き入り、時折「なんでそんな酷いことをするんじゃ」と嘆く以外これと言って余計な口も挟まない。それほど若様を思い、取り返したいと苦しむ気持ちが痛いほど推し量られて、いつも彦四郎は胸が苦しくなってしまう。
 つい4日前に会ったというのに、乱太郎たちはこんな辛い思いもしていたのだろうか。