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「……そういう話を聞いていると、もう若様は駄目ではないかと思ってしまうのぅ」
「そんなことありませんよ! そんな、しっかりしてください!」
「彦四郎の言う通りです! 小藍さんが救わなくて、誰が若様を救うんですか!」
「はは、君たちは本当に優しい」

 悲しそうに笑うと、小藍は徐に懐紙を出した。

「これを、大川殿に渡してくれんかの」
「あ……」

 3人は顔を見合わせる。

「あの、前にも申しました通り、多分小藍さんが思い描いている大川さんと僕たちのいう大川のおじいちゃんは別人だと思うのですが……」
「いや! その方で間違いない!」
「しかし」

 先日、彦四郎がうっかり「大川学え……」と言いかけたのを咄嗟に「僕たちはみなしごで、大川という人に拾われて育てられている」と取り繕ったばかりに、どうやら小藍は大きな勘違いをしてしまったらしい。大川という人格者が孤児を立派に育て上げ全国津々浦々に優秀な商人を輩出しているとかなんとか、とんでもないことを言い出し

「どうにかお知り合いになりたいんじゃ」
「でも、僕たちは」

 独断で行動しているのだからとてもじゃないが学園長に手紙を渡すことなどできない。きちんとお友達になって、できれば若様を救ってから今度は天女から先輩方を助けてもらわないと。学園長に言えば学園中に知り渡り、確実に先輩方の耳にも入る。
 先輩方を救おうとしているのに、その先輩方が事前に知ってしまっては意味がない。それにもし、小藍まで天女に懐柔されてしまったら。

「どうしてもダメじゃろうか」
「あの、そもそも他の人に話してはいけないと言っていたのに、良いんですか? 大川のおじいちゃんに事情を話しても」
「もちろん! 大川殿ほどの人格者ならば問題ない」
「それが例え、大川のおじいちゃん以外の耳に入る可能性があっても?」
「それはいかん。絶対に大川殿だけにしか伝えてはならんのじゃ。儂の、命が」

 そんな無茶を、と彦四郎は空を仰いだ。学園長に渡し、例え生徒に伝わらなかったとしても先生には確実に話がいくだろう。

「僕たちには、大川のおじいちゃん“だけ”に伝えることは難しいです。そもそも大川のおじいちゃんに伝えることも。
 力になれなくて、ごめんなさい」
「いや。良いんじゃ彦四郎くん……それなら」

 グッと小藍は彦四郎の胸に手紙を押し付けた。

「君がこの手紙を持っておいてくれんか。大川殿以外の人には絶対に見つからないように、どこかに隠して」
「……はい」
「もし大川殿“だけ”に伝えられる機会があったら」

 大川殿だけ、じゃぞ。小藍はしつこいほど繰り返す。

「渡してくれんか、その紙を」
「あの、僕たちもこのお手紙を見ても?」
「もちろんじゃ」

 ペラリ、と彦四郎は手紙を開いた。じっと3人で覗き込んだ紙には

「……すぐれたる童べありとふ噂を聞き侍りしが 我が城より大川殿へ人をやりまほしく覚ゆれどもその方なし。為む方なく我西国に遣はせば各々にあふ。ここでめぐり会ひけるえには深からむべし。ちかづきてよろづのこと語らせむ。
 露霜にしほたれて 木の上に燃ゆるほのおの一つ消えたるシメジ城より────ですか」
「うむ。もし手紙を落としてしまって儂からだと分かってしまうのではまた、命が危ない。もうシメジ城に仕えてはおらんが、名前を貸してもらった。
 そして『木の上に燃ゆるほのおの一つ消えたる』……これがポイントじゃ。他の城の者は使わん、儂らだけの言葉じゃ」
「大木が燃やされて、若様が連れて行かれたから」
「うむ」
「そうですか」

 しっかりと手紙を折りたたんで懐にしまう。一枚の軽い手紙に込められた想いは計り知れない。きっと学園長に渡すことはできないが、だからこそ小藍の気持ちを受け止める義務がある。
 よし、と彦四郎は決意を新たに前を見据えた。
 絶対に、若様を見つけてやる!




「ようしお前ら! そこの穴埋め終わったか!」
「はい! 食満先輩!」
「……食満くん。一昨日、調子に乗って喜八郎に穴を掘らせまくって悪かったわね」
「おう、俺たちの苦労が分かったか!」
「身に染みて」

 ううん、と名前は思い切り背中を伸ばした。穴を掘るのは大変だと思ったばかりだが、どうやら埋めるにも相当な体力がいる。

「その反省は次、作法委員会に行くときに活かしてくれ。
 よぅし、しんべヱと作兵衛はその右隣の穴に移動だ! 守一郎はその奥! 喜三太と平太は漆喰砲準備!
 名前はどうするか? 俺たちと一緒に漆喰砲やるか、しんべヱたちと穴を埋めるか」
「漆喰砲ってなに?」
「押すと漆喰が出てくる飛び道具みたいなもんだ。
 塀にほら、穴が空いてるだろう。あれ、小平太がバレーボールをぶつけたせいで空いたんだが」

 一体どれほどの馬鹿力ならバレーボールで塀に傷をつけることができるというのか。

「ああいうのが沢山あってな、いちいち塗っているのでは修繕が大変なんで、漆喰砲で埋めるようにしている」
「つまり用具委員って、忍たまたちの後片付けをする委員会なのね。まぁ私は責任持って、穴埋める方をやるわ」
「本当はそれだけが仕事じゃないんだがな。上級生、特に小平太、文次郎、綾部の3人は」

 本当に迷惑かけやがってとぶつくさ言いながら去っていく食満の背に「ご苦労様」と声をかける。ただ名前という人員が必要かと言えば、力持ちのしんべヱはいるし、4年生の浜もいて生物委員会ほどは困っていなさそうだ。それに

「あ、て、天女様が俺たちを殺す気でここに」
「んなわけないでしょうよ」

 ここまで怖がられていては名前も立場がない。この委員会に所属すると、むしろ富松が可哀想である。

「富松先輩、そんなに怖がらなくてもぉ。いっつも僕に卵焼きとか分けてくれるし、良い人ですよ」
「しんべヱはご飯にしか興味がないな! すき焼きが一番スキ、なんちゃって」

 ぶふぉと1人でに笑い始めた浜につられて名前もプッと吹き出した。

「こんなの全っ然面白くないのに! も、もしかして笑ってかける催眠術とか……」
「違うって。浜君の笑い方クセになるんだもん」
「僕と一緒に笑いましょう! 人が笑ってワッハッハ、牛も笑ってウッシッシ」

 ひゃっはっはと浜は文字通り笑い転げる。

「それはあんまり面白くない」
「名前さんは笑いに厳しいんですね!」
「厳しいんじゃないのよしんべヱ。笑いにはネタだけじゃなくて、間も大事なの」
「なるほど」
「そうやって笑いを研究して、笑い殺す気じゃあ……!」
「三之助と左門くんが『作兵衛は妄想がすごい!』と言っていた理由が分かったよ」

 まぁあの子たちは迷子も作兵衛の妄想だ、って言ってたけどね。付け足すなり富松は「はぁぁあ」と重苦しいため息を吐いた。